わたしの成功体験(中高編)Vol.1―あの日の挙手が、成功の始まり。

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今週は、スタッフが思春期に経験した成功体験にスポットを当てます。題して、「わたしの成功体験(中高編)」。

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いま、TRY部で「授業時間中、最低1回は手を挙げて発表する」ことに毎日取り組んでいる生徒がいる。先日のTRY部でも「今のところうまくいってるで!」と嬉しそうな顔で報告する生徒を見て、思い出したことがひとつある。

「ヤマモトくん、文化祭の実行委員長立候補するの?」

9年前の秋、このセリフを言われていなければ、僕の人生はまた違った方向に進んでいたかもしれない。そして今思えば、なんでこんなことを言われたのかも、まったくよくわからない。

当時、僕は通信制高校の1年生だった。単位制の高校を紆余曲折の末2ヶ月で退学し、すぐにこの通信制高校に編入した。実は通信制高校は高校進学にあたって一番行きたくなかった学校だった。だけど、編入学するとなれば通信制以外に道はない。藁にもすがる思いだった。

それから、週に3日、別に誰とも話すことなく家と学校を往復する日々がはじまった。とりあえず転学の際に面接して頂いた先生が顧問を務めていた写真部に入部するも、活動は週に1度だけ。男女問わず、茶髪やピアスで個性を主張する生徒も多い校内環境に日に日に萎縮していった。当然そんなに楽しくなかった。

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体育の授業で、なんとなく君空いてるなら一緒にやろっか、と名前も知らない男子と無言でバドミントンのラリーを続ける。これが特に苦痛だった。だけど、上から目線ですぐに怒鳴りつけるような先生はいなかった。これだけで、本当に救われた気分になっていた。それが嬉しくて、日に日に僕は職員室に居場所を求めるようになった。

ちょっと長い夏休みも明けたその日も職員室にいた。この頃になるとすっかり顔なじみの先生も多くなった。たまに追い出されたりもしたけど、生徒より先生と話をする機会の方が確実に多かった。そんなときに、写真部顧問の横のデスクだった家庭科の先生に、件のセリフを言われた。

文化祭。僕の学校では、卒業制作も兼ねて毎年卒業式の1週間前におこなわれていた。しかし前年度に始まったばかりらしく、この年が2度目。文化祭の存在は写真部顧問経由で知っていたのでもとから出展するつもりだったけど、折角なので委員もやってみようと思っていた。でも、実行委員長まではさすがに考えていなかった。

当時の僕は、とにかく学校内で写真部以外の居場所が欲しかった。小学校の頃から目立つことは嫌いじゃなかったし、委員長なんて否が応でも目立たなければいけないポジション。必然的に人と会話することも増えるから、友達や仲間を作るには最適なポジションだと言える。千載一遇の大チャンスだ。

だけど、僕は昨年度の文化祭がどんな雰囲気だったのか全く知らない。それにまだ僕は1年で、ぶっちゃけどんな人が委員会に来るのかもわからない。どこをとってもリスクしかない立候補。でも、やっぱり、委員長をやりたくない、と言えば嘘になる。

僕の中で悪魔がほほ笑んだ。

第一回の文化祭実行委員会。誰を委員長にするか、という決議で、思い切って僕は手を挙げた。

当然、実行委員長にはなれなかった。だけど。

3年の先輩、2年の先輩、僕の3人が立候補した。当然ともいえる流れで委員長の座は3年の先輩が射止めた。そりゃそうだ。1回目を知らない1年の奴に実行委員長など出来るわけがないし、任せられるわけがない。でも、僕(と2年の先輩)は副委員長という役職を貰えることになった。

この副委員長と言う役職のおかげで、僕は実行委員の間にもすっと溶け込むことができた。時には実行委員長に叱られながらも半年間、慣れない連絡網での情報伝達や打ち合わせ、工作など、自分なりに仕事を全うした(と思っている)。もちろん様々な困難もあったけど、それからの学校生活は大きく変動した。

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とにかく、友達が増えた。自分を受け入れてくれる仲間が大勢できた。ひとりぼっちで授業を受け、適当な空いてる教室で弁当を食べ、名前も知らない生徒同士でバドミントンに興じ、空いてる時間に自習室にいるのが嫌で職員室にたまっていた日々から考えると、友達がいる、仲間がいる学校生活は天国そのものだった。

校内での存在も変わった。副委員長の働きが評価された僕は、翌月の入学式で新入生代表としてスピーチもした。その後結局2年・3年も文化祭に携わり、卒業時には表彰までいただくことになった。これは予想外だった。「君にこの表彰を・・・」と別室で校長先生に告げられた瞬間は、今でも忘れられない。

時が経ち、あのときの実行委員のメンバーも、いまや東京で働いていたり、結婚して育児に勤しんでいたり、役者の道を歩んでいたり、と三者三様の道を歩んでいる。文化祭が終わってからも何度も遊びに行ったし、僕にとって「高校のときの友達」と言えば、彼ら文化祭実行委員会のメンバーのことである。

もし、あのとき、家庭科の先生に実行委員長の話を振られていなければ。そして、実行委員長に立候補していなければ。自分はどんな高校生活を送っていたのだろう。高校1年でのこの文化祭での成功体験がなければ今の自分が存在していないのは間違いないし、この文章も書いていない。D.Liveにすらいないかもしれない。

ああ、久しぶりにあのメンバーに会いたいな。

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山本 駿

山本 駿

NPO法人D.Live スタッフ / 高校非常勤教員(社会科) 京都出身。中学3年間不登校。岐阜県内の大学を卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画。主にTRY部や不登校講演事業を担当しながら、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。