遠くの未来より明日の楽しみを見据えて生きる

ハッキリと言おう。

僕は将来が不安だ。

この先結婚できるのかもわからない、家族や友人との別れもあるかもしれない、仕事はどうだ、その頃世の中はどんな情勢なのか、そして自分が死ぬときに誰がそばにいるのだろうか、考えだしたらキリがない。

だけど、変わらず朝はやってくる。来るべきその瞬間に一歩ずつ近づいている。

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たぶん、こう思っているのは僕だけではないと思う。

学校に行っていないから将来社会の一員として働けるのだろうか、思い描いていた未来と全然違う、学校の選択を間違えた、いろいろな要因があれど「未来が不安」という気持ちを抱えて生きている人はきっと多いはず。

でも、未来なんてちょっとのことでガラッと変えられるのだ。あの日あのときあの行動を取っただけで結果なんて大きく変わってくる。だからこそ、未来を考えて辛いのなら、未来なんて考えなくていい。

「いま、このとき」に目を向ける生き方を

さっき「将来が不安だ」とは言ったが、僕が将来のことを考えるときってだいたい1日が終わって布団に入る瞬間である(で、眠れずに朝を迎えるかやっぱり布団から抜け出して生活リズムが大いに狂いだす)。

言い換えれば、日中は本当に「いま、このとき」を生きるのに必死になっている。今週はコラムを書かなきゃ、大学のレポートの締め切りは何時だ、このあと打ち合わせだけど何時の電車に乗りたいから家は何時に出よう、そうか明日は○○さんとごはんに行くんだった・・・。

で、1日を終えて布団にもぐって目をつむったとき、死んだらどうなるんだろう、死後の世界ってどうなってるんだろう、とか、これから先どうやって生きていこう、とかいろんなことをぐるんぐるん考え出して、未来が不安になる、というわけだ。

正直こうも毎日布団にもぐってそういうこと考えると寝る瞬間が嫌にもなる。だから、3日先、1週間先の楽しみを考えることを最近意識する。次の土曜はちょっと楽しみな打ち合わせがある、その次の日は思いっきり趣味に打ち込める、と思うとちょっと生きるのが楽しみになってくる。

楽しみが見つけられないのなら、本当に小さな小さな楽しみでいいと思うのだ。明日のごはん、1日1時間のゲーム、読みかけの小説の続き、ちょっとした合間に食べるおやつ、お風呂、睡眠・・・ちょっと目を向けたら、楽しみなんていっぱい転がっている。

僕は「ゆず」と言うアーティストが好きだ。彼らは「栄光の架橋」と言う曲で「いくつもの日々を越えてたどりついた今がある」と歌っている。未来なんて誰にも分からない。毎日、ちょっとした楽しみを見つけながら、1日1日を大切に過ごす。僕はこういう日々の積み重ねこそが「未来」だと信じている。

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この記事を書いた人

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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