【子どもと関わる立場を志す人に読んでほしい】子どもがキツい言葉で接してくるとき、その子は何を思っているのか

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教員とNPOのスタッフ、二足のわらじで子どもたちと関わり始めてこの秋で1年半が経ちますが、そのぶんたくさん見えてきたことがあります。

そのなかのひとつが、多くの子どもたちは「信頼の置ける大人」を探しているのだな、ということ。

多感な年頃である子どもたちは、友達のこの行動が気に食わない、先生にこんなことを言われて腹がたった・・・と言うようなことを、しかもどんな小さい事実でも敏感に受け取ってしまいます。そして、こういう話を誰彼構わずできるかと言われれば、当然そういうわけではありません。

場合によれば、こんなことを話す関係性を築けている大人や友達がいないことだって考えられます。

「ちょっと聞いて」で始まったら、愚痴であれ日々の生活の気付きであれ自分がこれからする話を聞いて欲しい、というシグナルです。おもしろい雑談であればいっしょに笑い、腹の立つ話であれば大変だったねと気持ちに寄り添う。こんなことを繰り返しつつ、大人と子どもの信頼は築かれるのだろうと思います。

ただ、「信頼の置ける大人」を見つけるにあたって、今書いたような手段を講じる子どもばかりではありません。

たとえば、他人の愚痴をこぼすのだけど、その愚痴で用いる表現が過激な場合。目上なはずの大人を「あいつ」呼ばわりしたり、人を名指しして「大嫌い」などと言うこともあれば、ここでは書けないほどの言葉を使ってあれこれ文句を言う子どもも中にはいます。

このとき、この子の中にはどういう感情が渦巻いているのでしょうか。

まず前提として、その子の中には「ここでは書けないほどの言葉を使う」ほどに腹が立っているという事実が存在しています。それがどれほど汚い言葉であろうと「そんな言葉を使うのはやめなさい」という声は1mmも待っていません。逆にそんなことを言ってしまえば、最悪子どもの信頼を損ねることになります。

ここで大事なのは、なぜ「ここでは書けないほどの言葉を使うほどに腹が立っていることを、この場で(人に)発しているのか」ということです。

さきほども書きましたが、こういう話を誰彼構わずできるかと言われれば、当然そういうわけではありません。これは大人でも同じことが言えます。会社で腹が立ったことを同じ会社の人に言える、というのはよっぽどの信頼関係がないとできないことだと思います。

ここまで書けばお気づきの方も多いと思いますが、なぜ「ここでは書けないほどの言葉を使うほどに腹が立っていることを、この場で(人に)発しているのか」という答えは、

この子どもは、それほどこの場(人)に対して全般の信頼を寄せている

ということになります。

ここからは僕個人の体験談なので一般的かどうかは断言しかねるのですが、様々なフリースクールなどに携わってたり見聞きした中で、実は「ここでは書けないほどの言葉を使ってあれこれ文句を言う子ども」というのはそう珍しい存在ではありませんでした。

たしかに、はじめて出会った子どもがかなりキツい言葉を使っているとギョッとします。人によってははじめて会う自分のことを拒絶している、もしくは嫌っていると考えてしまうこともあるでしょう。しかしそれは、ある意味「新しく来た大人に興味を持っている」証なのです。

子どもの側からすれば、たとえ丁寧な自己紹介をしたとしても新しくやってきた大人がどういう人なのかよくわかっていません。アニメが好き、ボードゲームが得意、ということはわかったとしてもその大人の人となり、そして性格まではなかなか伝わりにくいものです。

果たして目の前のこの大人は、信頼を寄せても大丈夫な人なのだろうか?

こうしたときに、たとえばキツい言葉を使ってみる。あえて何か危険な行動をしてみる、というように「大人を困らせる行動」をわざとしてしまうのです。この「わざと」というのが大きなポイントです。

これは専門的な言葉に置き換えると「試し行動」と呼ばれるもので、子どもたちはこの試し行動を通して気になっている大人の気を引かせたり、また「この人はこういう接し方をしても良いんだ」という信頼感を得ていくことにつながります。

つまり、この「試し行動」に対して大人がどう対応できるかによって、子どもが信頼を寄せてくれるか、そして子どもが信頼を寄せられる大人を見つけられるかが決まってくるのです。

とくにフリースクールなどでボランティアをはじめてまだ間もない人にとっては、このあたりにとても悩むことが多いと思います。実際に「試し行動」に耐えきれずボランティアを辞退する、と言ったケースもまったくない話ではありません。

もちろん、許容範囲というものがあります。ダメなものはダメと言うことは必要です。でなければ、「これはこの人にはしてはいけない」という判別が難しくなり、ずるずると試し行動が止まらなくなってしまうこともあります。しかしその線引きが難しいのもまたその通りです。

このあたりは、たとえばその場を預かる責任者やボランティアスタッフの先輩など、経験者に相談するという解決策もあります。が、ある程度自分で「ここまではOK」「ここまでは嫌と言おう」という分別はしても大丈夫だと思います。

僕もかなり「いじられる」ほうで、よくキツい言葉を受け止めたりする役割を引き受けることがあるのですが、「悪気があって言っているわけではない」という認識があれば「この子はこういうことがわかってほしいんだな」という裏の声も聞こえてきます。僕はそちらのメッセージを大切にしています。

不登校でいえば、教育機会確保法などにより不登校の子どもの居場所の必要性が今叫ばれています。こうした場所では常勤のスタッフではなくボランティアスタッフが貴重な存在であることは間違いありませんし、こうした存在がフリースクールなどを支えています。

だからこそ、いざボランティアをはじめて思ったところと違う、大変だった、という理由で、わずか短期間でフェードアウトすることは、ボランティア側にとっても居場所の側にとっても不幸なことです。そういうことにならないためにも、こうした「子どもとの関わり方」の下準備は非常に大切です。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。