【自習コース開講】不登校の子どもが勉強できるように、トレーニングジムのような場所をつくろうと思う。

フリースクールをはじめて半年が経とうとしている。

手探りではじめた教室も今では10人近くが参加し、ワイワイと賑やかになってきた。

はじめはよそよそしかった生徒たちも、だんだん仲良くなっていき、会話も増えた。

行き帰り、一緒に帰る姿も見られる。

すると、勉強面でも変化が見られるようになった。

「勉強なんてしたくない」と言っていた子が、ワークブックを持ってきて、少しずつするようになってきた。

家で一緒に勉強問題を出し合うようになってきたと、お母さんから連絡をいただくこともある。

「なにもしたくない」という状態から脱し、意欲が出てきた。

「学校へ行ってみたい」と言い、週に何度か学校へ行く挑戦をする子もいる。
 
 

僕は、「そろそろだな…」と、思った。
子どもたちに、勉強の意欲が出てきた今こそタイミングだ。

この教室では、みんなでなにかをすることが多い。
個人で自習する時間も取っているけれど、せいぜい30分程度だ。

「もっと勉強をさせてあげたい……」

みんながボードゲームで遊んでいるとき、わいわいやっているときに、一人で集中して勉強するのは難しい。

どうしても気が散るし、楽しいことに気が向いてしまう。

黙々とやるなんて、この環境では無理だ。
 

そこで、今度新しく別の曜日で自習するコースを開講することにした。

ただ、問題は内容だ。
今までと同じなら時間は、3時間ほどある。

そんな長い間、黙々と取り組むことは可能なのか?

そもそも、ただ自習するだけのコースに誰が来たいと思うのだろうか?

さすがに、「勝手に勉強しておいてね」ではダメだ。

「どうしようか……?」
じっくり考えたとき、自分の中学時代のことを思い出した。

「あっ!」
「あんな感じだったら、出来るかも知れない……」

脳裏によぎったのは、僕が中学生のとき1時間以上かけて通っていた塾だ。
 

そこは、”スパルタ”で有名なところだった。
新聞の広告を見て、母親が「言ってみないか?」と誘ってきた。

僕は、部活のコーチとの関係が悪くなり、なにかに逃げ出したいところだったので、渡りに船といった感じで行くことにした。

行ってみると、確かに厳しかった。

時間で管理され、タイムカードがある。
決まった時間までは、拘束されており、帰ることが許されなかった。

窓から飛び降りて逃げ出す生徒もいるようなところだった。

でも、僕にとっては悪くない環境だった。
別に脅されて、「勉強しろ!」と言われるわけじゃない。

ただ、無理矢理勉強する環境に追いやられるだけだ。

授業以外の時間は、自習室があり、そこで勉強をしていた。
先生が一人いて、後ろからみんなを見ている。

うるさくしている子がいたら注意をするし、ひどかったら部屋から追い出す。

わからない問題があると、教えてくれた。

専門的な問題に関しては、わざわざ担当の先生を呼んで来てくれることさえあった。
 

自習室では、簡単なルールがあった。

取り組む課題を自分でシートに書き、できたら先生にチェックしてもらうのだ。

そのシートがあるおかげで、帰るときには自分がなにをおこなったかも見える。

なにより、計画する力が自然に身についていた。
 

「同じようなことをすればいいんじゃないかっ!」

自分の教室での自習スタイルを考えていて、僕は思った。

綿密な計画を立てて、それ通りにすることは難しい。
けれど、少しでも「これをやろう!」と決めて取り組むことで、集中できる。
 

1日の流れをこんな感じにするといいだろう。

まず、みんなが教室へ来る。
集まったところで、それぞれが「今日はこんなことをやろうと思ってるんだ」と話す。

ページ数やワークの名前など、細かく説明する必要はない。

宣言することで、「自分はこれをやるんだ!」と思えるし、他の子が「あの子は、こんなことをやっているんだなぁ」というのがわかる。

これは、良い刺激になる。
 

そして、自習の時間。
宣言した内容で、それぞれが取り組む。

勉強をしてもいいし、読書でもいい。
ただ黙々と作業をしていれば、それでいい。

もちろん、ゲームや勉強に全く関係のないものはダメ。他の子の気が散るから。

でも、マンガで学ぶ勉強の本などは大歓迎だ。
 

お昼になったら、みんなで食事。

それぞれが学んだことに対して問題を出すなど、楽しく学ぶ時間になればいい。

そして、最後はみんなで集まって、振り返り。

実際にやってみてどうだったか。
どこまで進んだか。
どんなことを感じたのか。

それぞれがみんなの前で話す。

振り返りでは、できなかったことではなく、できたことを言う。

「これができた!」「これをやった!」というのが、一人一人の子にとって自信になる。
 

うん。
想像してて、なんだか楽しそうに思う。

 

僕は、ここをトレーニングジムのような場所にしたいと思う。

中学時代に行っていた塾の話をすると、みんな口をそろえて「そんなところへ行きたくない」「最悪だったね」と言う。

でも、僕はそうは思わない。

あの環境があったから、僕は勉強ができたのだ。

家だと、マンガやテレビなど気が散ってしまい、集中して勉強することなどできなかっただろう。

勉強以外できない場所だったからこそ、学ぶことができた。

僕は、あのときの時間が今でも役に立っている。

あの場所のおかげで、集中して勉強する体力が育まれた。
勉強する基礎体力がついた。

テスト前にしか勉強ができなかった自分が毎日のように勉強できたのは、逃げられないあの環境があったから。
 

勉強と筋トレは、よく似ているなぁと思う。

家でやろうとしてもなかなか続かない。
やりたくないし、成果がでるのは少し時間が経ってからだ。

僕が行っていた塾は、まるでトレーニングジムだった。
勉強以外できない場所だった。

ジムへ行ってトレーニングせずに帰る人はほとんどいないだろう。

筋トレ以外できない場だからこそ、人はそこに価値を見出し、ジムへ通う。

今度、開講する場所もそんなところにしたい。

強制するわけじゃない。

でも、そこへ来ることで自然にできる。
家では出来なくてもここではできる。

そんな場所にしたい。

そして、そこで基礎体力をつけることで、ゆくゆくは家でも、誰に言われるでもなく勉強できるようになっていけばいい。

無理せず、その子のペースで筋肉をつけていくことができる、そんな教室にしていきたい。
 

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    この記事を書いた人

    1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

    中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
    しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
    野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
    浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
    友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
    フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
    京都新聞にして子育てコラムを連載中。
    詳しいプロフィールはコチラから

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