夏休みに自信がついた出来事vol.2―帰省という名の「大冒険」
今週のリレーコラムは、スタッフが子どもの頃の夏休みに「自信を得た体験」を綴っています。
+-+-+-+-+-
僕の趣味のひとつに「遠出」がある。半分旅行というべきものなのだが、家からぐっと離れた街に行って、地元の人に紛れつつ繁華街を歩いたり、疲れを感じたらふらっとカフェに入ってコーヒーを飲んだりする瞬間が何よりも楽しい。
でもなんで遠出が好きなんだろう。
僕は電車の乗り換えには結構強い方だと思っている。例えば複雑な東京の地下鉄の路線図から行きたい駅をぱっと見つけ出し、この駅で○○線に乗り換えて・・・とルートを見つけ出すのはまあまあ得意だ。特に18きっぷで遠出をするときの、次の電車は何番線で・・・という乗り換えもほとんど迷った経験がない。
でもなんでこういうのが得意なんだろう。
今回「夏休みに自信を得た体験」を書くにあたって、心当たりがひとつあることをふと思い出した。
小学生が「ひとりで電車に乗ってどこかへ行く」、ということ。
夏休み、とりわけお盆と言えば帰省のシーズン。この時期にテレビをつければ「新幹線の乗車率は・・・」「飛行機は満席で・・・」「高速道路の渋滞は・・・」などと帰省ラッシュに関するニュースを目にしない日は無い。でも僕は、今までこういうニュースになにひとつ無縁な生活を送ってきた。
なぜなら母方の祖父母は同居していたし、父方の祖母(祖父は僕が産まれる前に亡くなりました)の家は車で1時間もかからない距離。月に一度は父方の祖母の家に行っていたので、正月でもお盆でも「帰省」と言う感覚は全くなかった。
うちは両親共働き。なので夏休みや冬休みの平日に祖母の家に行くときは、どうしても「足」がない。母方の祖父母に車で送ってもらう訳にも行かないし、じゃあどうするかといえば、僕ひとりで電車に1時間揺られて祖母の家に行く。これが、僕にとって「帰省」と呼べるものだった。
ひとりで電車に乗ってでかける、というのは大人にとっては日常のことでも、まだうっすらとした世界しか知らない子どもにとってはたった1時間の距離でもひとりで電車に乗ることは「非日常」そのもの。塾や学校に電車通学もしていない普通の小学生の僕にとってはまさしく「未知の大冒険」だった。
明日ひとりでおばあちゃん家行くんや、という前の夜は、期待と不安半分の気持ちだったことを、よく覚えている。
親切な駅員さん、手を合わせていた小さなお地蔵様
祖母の家まで電車で行くと、必ず京都駅で一度乗り換えを挟む。しかも祖母の家の最寄り駅は普通電車しか停まらない。そこでうっかり快速電車に乗ったら最後、無慈悲のように祖母の家の最寄り駅を足早に通り過ぎていく。
「何番線の何行きに乗るんやで、でも快速は停まらへんから普通の電車に乗るんやで」と教えられた記憶は正直ない。でも一度も間違えずに祖母の家にたどり着けているから、たぶんちゃんと教えてはもらっていたとは思う。
ひとつだけ忘れられない記憶がある。
京都駅で教えられたホームに行くと、次の電車は「普通電車」、だけど本当に行き先これで合ってたっけ?もし全然違って、知らないところに連れて行かれたらどうしよう・・・。困った僕は、意を決して「(祖母の家の最寄り駅)に行きたいんですけど、この電車は行きますか」と駅員さんに聞いた。
すると駅員さんは親切丁寧にちゃんと行けることを教えてもらった上にホームで一緒に電車を待ってくれて、「気を付けてね!」と電車のドアが閉まる瞬間に優しく手を振ってくれた。見上げるようにして手を振り返す僕。
このシーンが、大人になった今でも「大冒険」の小さな思い出として、今でも脳裏に刻み込まれている。
もうひとつ。駅から祖母の駅までの道のりに小さなお地蔵様がある。「ここにちゃんと手合わせてから来るんやで」という祖母からの教えを守って、毎回通りがかる度に寄り道して、「無事にここまで来れました、ありがとうございました」と手を合わせて祖母の家に行くのが習慣だった。
そうして「大冒険」はいつしか恒例行事になった
小学校の高学年にもなるとすっかり1時間の電車移動にも慣れて、むしろ楽しみのひとつになった。あのときの駅員さんがどなたかはもう知る由もないけど、小さなお地蔵様に立ち寄ることは一度たりとも欠かさなかった。守っていたただきありがとうございました、と手を合わせると、どこか落ち着く自分もあった。
いまや「ひとりで電車に乗る」のは毎週、毎日のようになり、もはや「生活の一部」になっている。そんな「生活の一部」を何不自由なく可能にしていること、そして電車を数本乗り継いでの遠出や旅行に自信があるのも、すべてこの「大冒険」が礎になっていることは、まず間違いないと思う。
さあ、この夏はどこへ遠出しようかな。