相手に期待することが、結果的に相手のやる気向上に繋がる
スタッフの得津です。
先日、大学の友だち数名とお酒飲んでました。すごく楽しい時間だったんですが、一点だけ気がかりな事がありました。
それは仕事の話です。
やっぱり負い目を感じています。
6名いて、一人は一般企業、残り四人は先生。で、僕です。
みんな普通に給料をもらっている一方で、僕は全然稼ぎなんてない。
みっともないなーって、やっぱり思う訳です。
でも、友だちの一人がこう言ってくれました
そうか、まだ夢追いかけてる段階なんやな。でもヒデボーのビジネスモデルはなぁ、俺絶対儲かるとおもうねん。
これむっちゃ嬉しかったですね。
自分が自分に期待していなかった。
この言葉をもらって、自分は自分の仕事に期待してなかったんだと反省しました。それとともに、自分が期待してないことでも、期待してくれている相手がいる事の喜びをすっごく感じました。
だから、今はその友人の言葉が支えとなり仕事へのやる気につながっています。
ふり返ってみて
「あぁ、これってアドラー心理学の勇気付けだな」って思いました。
勘のいい方は、これまでを読んで”相手への期待を口に出す事で、相手のやる気を引き出そうって話だな”なんて考えておられる事と思います。
ちょっと違います。
”相手が関心を持っている事に対する期待を口に出す事で、結果的に相手のやる気が引き出される”というお話です。
操作的でない。相手の関心に寄り添う
相手のやる気を引き出すために、期待を口にするということはともすれば相手を操作する事になります。
(部屋の片付けをしてほしいから)「●●なら、ちゃんと片付けできるもんなー」
(勉強してほしいから)「▼▼は、できるって信じてるし。」
なんていうのは、相手に自分の価値を押し付けてしまい、結果的に苦しめる事にもつながります。
(アドラー心理学でも、この危険性を示唆しています。)
そうではなくて、相手の関心への期待を述べることが重要です。そして、それが結果的に相手のやる気向上につながります。結果的、というのはその友人は僕にやる気を出してほしいとか思って発言した訳ではないからです。ただ、僕が勝手にやる気があがっただけです。
もう、見事に勇気づけのお手本を見せてもらった気分です。
相手の関心に対して期待を述べるというのは、それで幸せになってほしいという願いの表れでもあるんですよね。きっと。