あなたは「他者の人生」を生きていませんか?
他人にああしろこうしろ、と指図したり、こういう風にした方がいいんじゃないかなぁ、とかお節介を焼く人、ひょっとしたらこれを今読んでくださっている方の中にもいるかもしれません。では、そんなあなたに質問。
「仕事もせずに遊んでばっかり」なのは、「誰の課題」ですか?
毎日仕事もせずに、遊んで暮らしている友人のAさんに、「仕事しなさい」と言ったところで、「仕事をしない」という課題を持っているのは誰でしょう。もっといえば、「Aさんが仕事をしない」ことで、あなたはどういうことで困るのでしょうか。
これがAさんの直属の上司や部下、同僚なら不利益が多々あると思いますが、Aさんと単なる友人関係だったり、プライベートでの付き合い程度の人間関係であれば、さほど困ることは無いはずです。そうなると、Aさんが仕事せずに遊んで暮らしているのは、本当は別にあなたにとっては「どうでもいい」ことになります。
「他者の課題」に興味を向けるうちは「自分の人生」を生きていない
アドラー心理学ではこの「他者の課題を解決する」ということをきっぱりと否定しています。いくらAさんが仕事をしなくても、こちらが良かれと思って「仕事しろ」と言うのは「他者の領域に土足で踏み入れること」と同じだ、と断罪しています。あなたが口酸っぱく働け働け、と言ったって、仕事をするのはあなたではありません。Aさんです。
他者の領域に土足で踏み入れると、踏み入れられた人が逆上して暴行する、ということに発展することもあります。実際に、働かない孫に祖母が仕事をするよう注意したところ、孫が怒って祖母を殴り逮捕、という事件もありました。
もちろん、「仕事をしないこと」に対して何もするなという訳ではありません。どこか働き口を紹介するなど、Aさんに対して援助することはアドラーも認めています。ただ、その援助を受けるかどうかについてはAさんの課題なので、あなたがどうこう言って解決する問題ではありません。
Aさんが何をするかの決定権は全てAさんにあります。あなたや、Aさん以外の人には本来Aさんに関する決定権は一切ありません。「Aさんのあれこれをあなたが決めにかかる」という行為は、あなたは「Aさんの人生」を生きていると言うべき行為であり、「あなた自身の人生」を生きていない、と言えることです。
劣等感から、その人と比較することで同じ気持ちを味わわせるために「仕事しなさい」「勉強しなさい」と言っている側面もあるかもしれません。他人に指図して他人の人生を生きるより、今自分にできること、やれることを見つめなおし、自分の人生を生きてみませんか。気が付けば、劣等感からも解放されるかもしれません。