スポーツ観戦で自己効力感は高められるのか?
ぼくはプロ野球の千葉ロッテマリーンズというチームをかれこれ10年ほど応援しています。プロ野球やサッカーなどでは、特定のエリアの観客席にそのチームのファンが集合し、太鼓やトランペットなども駆使して選手やチームに大きな声援を送る文化が根付いています。
もちろん静かなエリアでまったり観戦、という方もいらっしゃいますが、ぼくはいつも野球を観に行く時はファンが集まる外野席に陣取って、選手やチームのためにひたすら声を出します。負けたときは当然がっかりしてしまいますが、勝ったときの応援は格別。あの瞬間を味わいに球場に通っているようなものです。
というわけで、今日はこのスポーツ観戦を通して、自尊感情や自己効力感について考えてみようと思います。
ふなっしーで軽い失敗体験をした話
こんな例を出してみましょう。ある試合でぼくはこんな応援グッズを取り出してみました。
「ふなっしー」のパペット。もちろんふなっしーの地元・千葉県のゆるキャラであることもそうですが、「負無っしー」で「ふなっしー」なんて読めるので、ある意味縁起のいい応援グッズだと、ロッテの攻撃中、このパペットを手に付けて声を出していました。
が、なかなか点が入りません。こりゃキツいなあ、と思い、手汗がひどかったのもあって終盤はパペットをお休みして応援していました。すると途端に大爆発するロッテ打線、それまで1点しか入らなかったのに、ふなっしーをお休みさせた瞬間一気に6点も入りました。
なんか、ふなっしーがいないほうがロッテ点取るなぁ・・・と思い、それ以後ふなっしーの出番はがっくりと減ってしまいました。
「たまたま」で片付けられる話なのかもしれませんが。
ふなっしーを掲げて軽い「失敗体験」をして、ふなっしーを掲げずに「成功体験」をしたことは言えると思います。
何も応援グッズに限った話ではありません。「あの選手が凡退したのは、さっき自分がちゃんと大きな声を出さなかったせいだ」と考えて、次の出番でその選手が結果を残した。これもひとつの成功体験に繋がります。次もちゃんと大きな声で応援しなきゃ!ということですね。
また、その応援歌を演奏するとことごとく選手が打てなくなる、と言う理由で応援歌の歌詞を変えたり、応援歌そのものをお蔵入りした、と言う話も聞いたことがあります。ムードが下がる、などの要因もあるとはいえ、その応援歌によって成功体験が積めずに遂行可能感が減少した結果、と分析することも出来ます。
選手やチームに声援を送る、ということは、知らず知らずのうちに応援を通して成功体験を積み、自己効力感を伸ばしているのかもしれません。だからこそ、選手が結果を残したときや勝ったときに、仲間や知らないファン同士で交わすハイタッチがたまらなく心地よいのかなぁ、とこの文章を書きながら思いました。