がんばれない自分を責めてしまうアナタへ

 

自尊感情(自己肯定感)についてこれからD.Liveではいろいろな情報を掲載していきます。

ただ、それらの情報をご紹介する前にまずは僕自身について今日は書きたいなと思っています。
僕自身の自尊感情は、とても低かったと思います。
常に心を支配していたのは、「足りない」という気持ちでした。

今思い返すと、とにかく理想が高すぎた。

中学生のときは、本気でメジャーリーガーになりたいと思っていました。
なれると思っていたし、なれないはずがないくらいに信じ込んでいました。
理想が高すぎるからなにをしても満足が出来ない。
達成感ってどういうことなのか全くわかりませんでした。

過去の自分へ届けるために事業をおこなう

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僕は、ずっと自信を持つことができなかった。

自分を動かしていたのは恐怖だ。
常に今の自分ではダメだと思っていた。
自分を認めることができなかった。

いつからなんだろう。

人の目が常に気になっていた。
どう思われるかを意識し、まるで演じるかのように生きていた。

相談できる人は、周りにいなかった。
すべてを自分で抱え込み、なんとか解決しようともがいた。

D.Liveを立ち上げて活動していく中で知った自尊感情という言葉。
そのときはじめて自分が自尊感情の低さで苦しんでいたことに気がついた。

高校〜大学生時代、僕は自分の中でどうやってその気持ちと折り合いをつけたらいいのかわからなかった。
誇大化する理想像。それについていけない自分が情けなく、ちっぽけな存在に感じる。
常に自分を責めた。出来ない自分、ガンバれない自分はダメだと思い、気合いだけで乗り切ろうと思った。

「足りないのは努力」

そう自分に言い聞かせて、ただ前だけを向けて一心不乱に進んだ。
人と遊んでるときは、「こんなことしている場合じゃない」とただただ危機感だけが募り、それが焦りになった。
周りから褒められても全く嬉しくなかった。

「自分はこんなもんじゃない」

常に自らを追い込み、もっと前へ進もうと思った。
言葉だけを捉えるとストイックに見えるが、自分の中ではいつもアクセル全開にしながらもブレーキを踏んでいる感覚だった。
どこかで自分自身を出せない。周りや人の目が気になり、突き抜けられない。

がんばりたいけど、がんばれない。
モチベーションにばらつきがある。
がんばれるときは大丈夫だけど、燃え尽きてしまうともうなにもしたくなくなる。

テンションの浮き沈みがとても激しかった。

 今、僕が思うこと

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「自尊感情が低いことってなにが問題なの?」とよく聞かれることがあります。

いじめや不登校など、目に見える結果につながることはもちろんですが、僕自身の経験で言うと“とにかくしんどい”のです。
気持ちは、人には見えません。
ずっと自尊感情が低いことで苦しんだ自分だからこそ、人に伝えられることがある。
そう思って、D.Liveを立ち上げて運営をおこなっています。

大人でも自尊感情の低さで苦しんでいる人は多くいます。

「自信が持てない」
「人の目が気になる」

もっと自分らしくいたいのに。
もっとがんばりたいのに。

でも、なぜかがんばれない。

僕と同じようにアクセルを踏みながら、もう片方の足で必死にブレーキを踏んでいる。

そんな人たちへ届けるためにも、これからこのブログで解決につながるヒントを書いていければと思っています。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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