田中 洋輔– Author –

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒
中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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死んだほうがマシだと思っていた不登校の日々が、まさか誰かの役に立つ経験になるとは……。
「実は、うちの息子が田中さんと同じことを言っていたんです」 教室へ入会希望の保護者さんと面談しているときだった。 「ブログで、書かれていたでしょ? うちの子がそれと同じことを言っていて、これは田中さんに聞かないと! と思って、ご連絡させてい... -
学校へ行けなかった中学生が、懸命に勉強をするまでの物語
これは、D.Liveの教室へ通っている生徒の物語です。 不登校で、学校へ行けない姿を見ていると、「いつになったら、この子は前を向けるようになるだろう」と、絶望することもあるでしょう。 私たちにお問い合せいただく保護者さんも、みんなそんな状況です... -
琵琶湖を見たこともない男が、滋賀へ来てNPOを始めたワケ
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不登校の保護者は、羅針盤を失った航海士かもしれない
今からずっと昔のこと。 まだ、飛行機も新幹線もなかったときのこと。 世界へ移動する手段は、船だった。 荒れ狂う海の中、人々は目当ての島へ向かって船を漕いだ。 GPSは、もちろんない。 人々は、たった一つのものだけを見て、舵を切った。 それが、羅針... -
不登校と関わる全ての大人に捧げたい最高の1冊。
予感は、していた。 「これは、もしかしたら……」と。 しかし、そんな僕の想像は、軽く超えていた。 不登校に関するイベントで読書会をすることになり、スタッフに本を選んできてもらった。 名著に出会うとっておきの秘訣を伝授し、本屋へ行ってもらい、購... -
誰かと比べて、落ち込む日々から抜け出したいときの処方箋
ずっと、誰かと比べて生きてきた。 学校では、テストの順位を気にする。 「あいつは、自分よりも下だな」と思うたび、ほっとしている自分がいた。 負けず嫌いで、誰かに劣っているのは、屈辱を意味した。 勝負には、どんなことでも勝つべきだと信じていた... -
市長に、なんとしても小学生の成長を見て欲しくて頭を下げた日。
「市長っ! なんとか最後のムービーまで見て帰ってくれませんか?」 僕は、草津市のボスに向かって直談判をしていた。 この日は、子どもたちが作った新聞を発表する日。 市長は、講評するために来てくれていた。 しかし、次の予定もあるため、1時間ほどで...