不登校の子が元気になるためには、AKB48のプロデューサーが必要だ!

僕は、秋元康さんになりたい。

秋元さんは、AKB48グループのプロデューサーであり、仕掛け人。

一方、僕は、どこにでもいる普通の男だ。
32歳。独身。大阪出身で、今はNPO法人の代表をしている。

テレビに出ることもないし、雑誌で特集をされるような人でもない。

そんな平凡な自分だけれども、自分は秋元康さんになりたいと思うのだ。

そう思ったキッカケは、去年に参加した高校生のイベント合宿だった。

高校生が集まり、二泊三日でそれぞれの子が自分のやりたいプロジェクトを考える。
主催団体にお誘いいただき、僕は高校生のサポートスタッフとして参加した。

初めて会う高校生と一緒になって企画を考える。相談を受ける。

その子がどんなことを感じて生きてきたのか。
どんなことに関心を持っているのか。
どんなことに憤りを感じているのか。

じっくり聞いた上で、その子だからこそ出来る企画を一緒に考えていく。

何度もダメ出しをして、企画を練り上げていく。

わずか二泊三日。
ほとんど寝る時間もなく、高校生は企画を考えていた。

ずっと付き合っていて、帰るときには僕もぐったりしていた。

でも、とにかく楽しかった。

三日という短い時間で、「やりたいことが分からない」と言っていた高校生が、「これがやりたいのです!」と力強くプレゼンしている姿を見ると、大きな手応えを感じることができた。

高校生の力もあるけれど、サポート役として「ここまで出来るっ!」という自信になった。

ちょうど同じ頃、ある相談のメールをいただいた。

内容は、子どもが引きこもりで困っており、相談にのって欲しいというものだった。

僕は、正直戸惑った。
今まで、不登校支援と言われるものをしたことがなかった。

たまたま生徒が不登校だったことはあったものの、「不登校の相談にのってください」と言われたのは、初めてだった。

どこまで期待に応えられるか不安に思いながらも、「どうしても!」ということで、話しを伺うことにした。

親御さんと会い、お子さんの状況や学校へ行けなくなったキッカケなどを聞いた。

話しが終わったあと、「息子にも会って、話を聞いてあげてくれませんか?」とご相談をうけた。

「あの子を分かってくれる人が欲しいので……」と親御さんから頼まれては仕方がない。

「じゃあ……」と言って、会うことになった。

「家から出るのはイヤみたいなので、家まで来ていただけますか?」ということで、電車に乗って自宅まで伺う。

ダイニングテーブルに座り、じっくり話しを聞く。

正直、なにをしたらいいかも分からない。僕ができるのは、ただ話しを聞くだけだった。

1時間ほど話しを聞いて、その日は終わった。

家に帰ると、保護者さんからメールが届いていた。

「楽しかったとうちの子が言っています。また、来ていただけませんか?」

意外だった。
特になにかをしたわけではない。

なのに、学校へ行けず引きこもっている子が、僕と話して「楽しい」と言ってくれた。

嬉しくて、「はい! また伺います」と言いたいところだったけれど、さすがに時間を割いてお宅へ伺うのは、なかなか大変だった。

ボランティアでは続かないので、びくびくしながら「有料だったら……」ということで聞いてみると、「構いません」というお返事をいただいた。

「そこまでなのか……」と、少し驚いた。

家庭教師の何倍もの金額を提示したのにも関わらず、「ぜひ、お願いします」とおっしゃっていただいた。

「もしかしたら、不登校の子に対して、僕にできることがあるのかもしれない」と思った。

今まで自分が培ってきたものが、困っている人に使えるのであれば喜んで使おうと思い、面談(メンタリング)のサービスも始めることにした。

2週に1回くらいのペースで会って、話しを聞く。
時間は、1時間。

たったそれだけなのに、面談をしている子どもの表情はどんどん変わっていった。

「最近、自分の部屋から出てきて、家族と一緒にテレビを見ているんですよ。楽しそうに。今までは、そんなこと無かったのに」と、嬉しい報告を親御さんからいただく。

それから、何件も面談のお申込みをいただいた。

「この子、田中さん以外に頼る人がいないみたいなんです」と言われることもあった。

今年の4月には、保護者の方々に「お願いします!」と言われて、昼の居場所であるフリースクールを作った。

「不登校支援なんて自分たちが出来るはずない」と思っていたけれど、信頼し、相談してくれる人たちがたくさんいたので、僕たちは始めることにした。

相談や問い合わせは、どんどん増えていった。

北海道や東京、沖縄からも問い合わせをいただくようになった。

僕自身、学校へ行けない時期があった。
高校にはほとんど行っていないし、大学も1年くらい引きこもって行かないときがあった。

だから、不登校で苦しい子どもの気持ちはよく分かる。

あるとき、フリースクールに来ている生徒が「こんなこと言っていましたよ」と、保護者さんに教えていただいた。

「カウンセリングの先生って結局、学校行けていた人やろ? そんな人に自分の気持ちなんて分からへんと思うねん。でも、田中さんは学校へ行けてなかったから、自分の気持ちも分かってくれると思う」と。

問い合わせでは、「田中さんのように、不登校を経験してフリースクールをやっているところはありますか?」と聞かれることもある。

先日、大津市で講演に行ったときは、「田中さんは不登校だった子の成功モデルですよね」と言われた。

でも、僕はすごい人でもないし、”成功事例”なんて言われると戸惑ってしまう。

「自分なんて……」と思う。

ただ、経験したからこそ分かることもあるし、出来ることもあると最近になって強く思う。

「経験したからこそ分かってくれるはず」と期待して、相談してくれる保護者さんも多い。

僕は、別に不登校の子は、かわいそうだとは思っていない。

言葉として”不登校支援”と言っているけれど、決して「助けてやっている」なんて思ってはいない。

不登校は、たまたま学校が合わなかっただけの子だ。

かわいそうでもないし、支援が必要なわけでもない。

むしろ、大きな可能性が眠っていると思っている。
可能性に溢れ、きっとなにかができるチカラがあると信じている。

多くの子どもと同じように学校へ行って、大学へ進学して、就職する。

そんな”当たり前”と言われる道からは、少しはずれてしまったかも知れない。

でも、その子たちには、まだまだ無数の進路があって、まばゆいばかりの未来が待っている。

高校もろくに行かなかった僕は、浪人して、立命館大学へ進学した。
入学して1ヶ月で大学へ行かなくなり、1年間引きこもった。

7年ほど大学へ行き、なんとか卒業。
飲食店に就職したあと、今やってるNPOを立ち上げた。

ずっと親には、「一般企業に就職してくれ」と言われ続けた。

同級生には、「お前はなにをしているかわからん」と言われてきた。

でも、僕は今、とても楽しく毎日仕事をしている。
やりたくてたまらなかった仕事ができている。

道をはずれた僕は、人生のレールを自分で敷き、歩んできた。

僕が今、楽しく人生を過ごせているのは、ほんとにたまたまだ。

いつ高校を退学していてもおかしくなかったし、実際に大学は辞めようとも思っていた。

けれど、人との出会いでここまで来ることができた。

引きこもっていたときに、政治家のインターンシップを申し込んでくれた友人。

マスコミに興味があると言うと、新聞記者さんを紹介してくれた先輩。

テレビ局で働きたいと言えば、フジテレビの制作会社を紹介してくれたインターン先の社長。

ご縁があり、その人たちに背中を押されたことで、今の自分がある。

たまたま、良い人に出会えたから、僕は今、こうして楽しく仕事をすることができている。

僕は、いただいたご恩を、恩送りとして、子どもたちに返したいと思っている。

大きなことはできないけれど、一つの小さなキッカケを与えられる人になれたらいいなと思う。

僕にキッカケをくれたたくさんの大人みたいに。

僕は、子どもと関わる仕事をしているけれど、いつも困る質問があった。

「子ども好きなんですか?」

よく聞かれるけれど、僕はいつも困っていた。

だって、子どもが好きだからこの仕事をしようと思ったわけじゃない。

自分が経験して辛かったから、その思いを子どもたちにして欲しくないという一心だった。

だから、子どもが好きかどうかを聞かれると戸惑う。

果たして、自分は子どもが好きなのだろうか……。

嫌いではない。子どもと一緒にいるのは楽しい。
ても、「好き!」というのは、なんだかしっくり来なかった。

しかし、フリースクールをしていて、子どもたちの成長をみるうちに気がついた。

僕は子どもが好きなのではない。

成長を見るのが好きなのだ。

成長フェチなのだ。

小学生でも大学生のインターンでも同じ。

人が成長する姿を見るのが、なによりも嬉しい。

それは、大人も変わらない。

モヤモヤしていた保護者さんが、「気がつきました!」と言って、どんどん頼もしくなっていく姿を見ると、思わずガッツポーズしたくなる。

大人の成長も見ていてすごく嬉しい。

成長した姿を垣間見るたび、この仕事をしていて良かったと思える。

最近は、不登校の相談をいただくたびにワクワクしている自分がいる。

保護者さんからお子さんの話を聞くたびに、「この子には、どんな可能性が眠っているのだろう」「半年後には、どんな姿になっているだろうか」と想像してワクワクする。

新しいおもちゃんを買ってもらった子どものように、ウキウキする。

「どうしたらいいか分からない」と言われていた子が、数ヶ月後には「えっ? こんなに変わるのですか?」と言われるくらいに、変わることがある。

劇的な成長をおこすことがある。

僕は、それを知っている。

だから、ウキウキしてしまう。
成長を見たくて、ウズウズする。

やっぱり、僕は秋元康さんになりたいなって思う。

あるとき、彼がプロデュースしているAKB48で、指原莉乃さんのスキャンダルが発覚した。

すぐあと彼女は、福岡・博多を拠点とする HKT48への異動を命じられる。

誰もが「左遷だ」と思った。
悪いことをしたから、飛ばされたのだ。

そう思った。

でも、秋元康さんはこう言った。
「左遷じゃないです。今のHKTには新しい指導者を送り込まないといけない」と。

それから1年後。

選抜メンバーをファン投票で選ぶ『選抜総選挙』にて、指原莉乃は15万票を獲得して、初めての1位に輝いた。

誰もが予想していなかった結果だったという。

秋元さんは、指原さんに新しい居場所を与えた。役割を与えた。

バッシングを浴び、人気が低迷するかも知れない。
本人のモチベーションが下がるかも知れない。

そんなタイミングで、新しい役割を与えた。

「私にとって一番孤独な時間でした」と指原さんが言うように、決してラクな異動ではなかっただろう。

でも、そのしんどい機会が、彼女を強くし、1位という結果を導いたのだと僕は思う。

秋元康さんは、女の子がアイドルとして輝ける場を作っている。

僕は、学校に行けなくてしんどさを感じている子の輝ける場を作りたい。

子どもが活躍する、成長する機会をプロデュースしたいと思い、今度ある企画をおこなう。

半年前から相談にのっている高校生がいる。
高校をやめ、引きこもり状態になっていた。

そんな彼になにが出来るだろうと思ったとき、一つのアイデアをひらめいた。

去年参加した高校生のイベント合宿で、僕が担当していた女子高生がいた。

彼女は、徳島県牟岐町出身。
人口は、4,167人のまち。

イベントに来る前には、「私のまちには、なにもないんです」と言っていた。

けれど、棚卸しをしていくうちに、「私のまちには、都会にないものがある」ということに彼女は気がついた。

合宿3日目には、観光大使のように自分のまちをPRしていた。

「めっちゃいいところやから、絶対来てください」と。

そのことを思い出し、僕は家からなかなか出られない彼に向かってこう言った。

「徳島へ旅に行こう」

キョトンとする彼。

でも、僕は本気だ。

徳島の女子高校生に連絡をとり、段取りをつける。

せっかくだから、教室へ来ている高校生たちも誘う。

牟岐町でどんなことができるか熱弁すると、気乗りしていなかった高校生の彼も「あっ、釣りいいですねぇ」とだんだんのってきた。

一緒に行く他の高校生との出会い。
現地でコーディネートしてくれる女子高生との出会い。

その一つ一つ、そして旅での経験がきっと彼に成長する機会を与えてくれると僕は信じている。

指原莉乃さんは、不登校だった。

ある日、ポストをあけると「もう学校に来ないでください」と書かれた手紙を受け取ったこともあったそうだ。

いじめをうけ、学校に行けない女の子は、国民的アイドルになった。

輝く場を与えられた彼女は、アイドルとしてたくさんの人たちに夢や希望を与えている。

僕が出会う子たちに「有名人になって欲しい」とは思わない。

ただ、その子たちが自分の輝ける場所を見つけ、充実した人生を送ってくれたらいいなと思う。

これからも、子どもたちの人生にとって、キッカケとなる機会をプロデュースしていきたい。

僕は、不登校の子どもたちにとっての”秋元康”になりたい。

◆小冊子『不登校の子が劇的に変わるヒミツ』をプレゼント中◆

下記フォームでお申込みいただくと、メールにファイルを添付し、お送りいたします。

    お名前 (必須)

    メールアドレス (必須)

    お住まいの都道府県 (必須)

    この冊子を知ったきっかけ (必須)
    ホームページブログSNS知人からの紹介LINEYoutubeその他

    この冊子で得たいことや知りたいことは何でしょうか?

    ご不明点等ございましたら、こちらにお願いいたします。

    よかったらシェアしてね!
    • URLをコピーしました!
    • URLをコピーしました!

    この記事を書いた人

    1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

    中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
    しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
    野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
    浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
    友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
    フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
    京都新聞にして子育てコラムを連載中。
    詳しいプロフィールはコチラから

    目次