村上春樹と同じく、ぼくも卵の側に立ち続ける。NHK「私たちのこれから #こどもたちの未来」を観て

6月4日にNHKで、「私たちのこれから #子どもたちの未来」という番組が放送された。

 

テーマは「子どもの貧困」。

子どもの6人に1人が相対的な貧困状態と言われる現在。その原因や対策について、インタビュー映像や20人ほどの討議の様子が流され、現状を理解するという点では非常にわかりやすかったと思う。

 

特に、20人の討議では認定NPO法人フローレンスの駒崎代表や、「学力の経済学」の著者である中室牧子さんをはじめとした専門家が多数おられ、NHKの力のいれようが伝わってきた。

 

番組では、リアルタイムに番組の感想が流れるようになっていたので、放送中たくさんの感想を読むこともできた。「幼稚園の義務教育化は賛成」「シルバー民主主義やめろ」「がんばれなんとなかる!」「もっとこの現状をしってほしい」などなど。「子どもの貧困」にたいして、いろんな立場の人から意見が寄せられていた。

 

 

ぼくは、番組を観ながら「正直しんどいなぁ」と感じていた。

 

 

実はD.Liveでも、子どもの貧困対策に寄与する活動をおこなっている。

中学生の居場所づくり事業「TudoToko (つどとこ)」だ。

 

毎週木曜日がTudoTokoの日で、一緒にご飯を作ったり、テスト前は勉強したりしてすごしている。ひとり親家庭支援事業の一環として、草津市から委託を受けて活動しており、先日2年目をむかえた。地域のお母さんたちにも手伝っていただき、中学生支援の新しい形として草津市に根付きつつある。

 

しかし、悩むことも多い。

社会に対して希望をもてない子どもが30%以上いることが内閣府の調査で明らかになり、NHKの番組にもあったが貧困状態にある子どもは特に希望が持ちにくい。番組では、「大学進学したいけど家のことを考えると…」と言って諦める子どもの声がとりあげられていた。

 

たとえ貧しくても、将来に少しでも希望を持てるように子どもの自信を育てたい。

そんな思いではじまった「TudoToko(つどとこ)」だが、社会を変えるにはまだまだ力が足りないことを痛感する。

 

たとえば、ぼくたちがおこなっているTudoTokoを拡大していけば社会は変わるかというと、そうではない。この事業はあくまでひとり親家庭支援なので、両親がいる家庭は対象じゃない。だから、両親がいるご家庭が子どもを通わせたいと思っても、希望に添うことはできない。

 

サービスを必要としているところに届けきれない事例は他にもある。

最近、ぼくが関心があるのは学校での不登校対策だ。

 

学校にはスクールカウンセラーが配置されているが、中学校区に1名や2名程度の配置がほとんどで、話したい時に話せないことがしばしばある。あるお母さんから聞いた話だが。せっかく話せる機会が得られても一ヶ月後なんてめずらしくない。

「いま困っているのに、必要な時に話を聞いてもらえない。一ヶ月の間、この困っている気持ちはどうしたらいいんだ。」

スクールカウンセラーについて教えてくれたお母さんはそう語っていた。

 

別のお母さんは、カウンセリングを受けてもあまり意味がなかったとも言っていた。

「カウンセラーの方から、信じて待ちましょうと言われても、いつまで待てばいいかわからないし何かしてあげたい気持ちにどうしてもなってしまう。でも、相手は待ちましょうとしか言ってくれないので、不安で。」

 

 

この課題を解決するためにどうすればいいだろう。例えば、カウンセラーを増やして小学校に1名にしてみる。ぼくたちのような不登校の支援もおこなっている専門家を、不登校の生徒について話す学校の会議に参加できるようにしたり、あるいはご家庭とつないでもらう。

 

なんなりとアイデアは浮かぶ。だが、財源はどうするのかという問いが立った時に、これらのアイデアは沈んでしまう。NHKの番組でも財源の確保について話している場面があった。所得の高い人からさらに税を徴収すべきだ、必要なところに届くなら消費税の増税もしかたない。多数の意見が交わされたが、ある高齢者の言葉が自分の胸に刺さった。

 

「私は年金をもらって暮らしているが月7万だけで、全然生活がなりたたないですよ。」

 

 

あぁ。

深いため息がこぼれた。

 

しんどい状況にいるのは子どもだけではない。

年金も含め、高齢者福祉もかなりの課題をかかえているのだ。

 

 

自分の活動している領域にだけ課題があるのではない。見渡してみれば、課題や困り感を抱えているところはたくさんあって、みんな手助けを必要としている。

 

こんな状況にあって、私たちは本当に社会を変えることができるのか。みんなが安心して暮らせる社会は実現できるのだろうか。先ほど紹介した社会に対する希望の統計じゃないが、自分も心がくじけそうになるときがある。NHKの番組を観て私が感じたしんどさは、社会はどうしようもないんじゃないかという諦めにも似ていた。

 

 

 

しかし。それでもなお諦められない。くじけそうになったとき、ぼくは村上春樹がエルサレム賞を受賞した時に語ったスピーチを思い出す。

 

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。
そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。

このメタファーの意味は何か?時には非常にシンプルで明瞭です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装の市民が卵です。これがこのメタファーの一つの意味です。

しかし、それが全てではありません。もっと深い意味を含んでいます。こう考えてみてください。多かれ少なかれ、我々はみな卵なのです。唯一無二でかけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。それが私の本質であり、皆さんの本質なのです。そして、大なり小なり、我々はみな、誰もが高くて硬い壁に立ち向かっています。その高い壁の名は、システムです。本来なら我々を守るはずのシステムは、時に生命を得て、我々の命を奪い、我々に他人の命を奪わせるのです-冷たく、効率的に、システマティックに。

私が小説を書く理由は一つしかありません。それは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光を当てるためなのです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです。システムが我々の魂をそのくもの糸の中に絡めとり、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。私は、物語を通じて人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません-生と死の物語、愛の物語、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語を通じて。これこそが、我々が日々、大真面目にフィクションをでっち上げている理由なのです。

(中略)

私が皆さんにお伝えしたいことは一つだけです。我々は国や人種や宗教を超えて、同じ人間なのだということ、システムという名の硬い壁に立ち向かう壊れやすい卵だということです。見たところ、壁と戦っても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、あまりに暗くて-あまりに冷たいのです。少しでも勝機があるとしたら、それは自分と他人の魂が究極的に唯一無二でかけがえのないものであると信じること、そして、魂を一つにしたときに得られる温もりだけです。

考えてみてください。我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります。システムは魂を持っていません。システムに我々を搾取させてはいけません。システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。 (スピーチ文 一部抜粋)

 

 

ぼくもまた、卵の側に立つ人間です。

戦ってはくじけて、戦ってはくじけてをくり返す卵です。

 

すべての子どもたちが自分に自信や希望を持てるためには、どれだけ叩きつけられても卵の側に立つしかありません。

 

 

長く厳しい戦いになるかもしれませんが、希望もあります。

昨年TudoTokoにきていた中3の男の子が、高校に進学してすぐに顔を出してくれました。ブレザーの制服姿がよく似合っていた彼が、「おれさー、先生なりたいんやけど。大学って難しい?おれ勉強できひんけど、なんとかならんかなぁ」と聞いてきました。

 

彼は、小学校の時に担任の先生と合わなくて学校にいけない時期がありました。それからは大人に対する不信感が残っているかもしれないと保護者さんから聞いていました。そんな彼が先生になりたいと言っている。こんなに嬉しいことはありません。ぜひ、これからも応援したい生徒の一人です。

 

 

先日おこなったイベントでは、以前も参加してくださった保護者さんたちが連れ立ってこられていました。同じテーブルで、すごく楽しそうに話しているんですよ。まるで同窓会のように再会を楽しんでおられました。みなさま、お子さんが不登校でどうすればいいか悩んでいた時に、ぼくたちのイベントにきてくれました。住んでいる場所もおこさんの学年も全然ちがうけれど、悩みを一人で抱えず相談できる関係ができていました。

 

 

ぼくたちはシステムという高い高い壁に立ち向かう卵です。

すぐ割れるし、たまにくじけそうになることもあります。

 

 

けれど、小さい希望がたしかに生まれつつあります。

この希望をより大きく広げていきたい。

「早く行きたければ一人で行け、遠くに行きたければ、みんなで行け」

よくNPO業界のマネジメントで引用されるアフリカの諺です。

 

 

ぼくたちは遠くにいきたい。

 

すべての子どもたちが自分に自信や希望を持てる社会というちょっと遠い社会に向かって。

このブログをお読みの皆さんや思いを同じくする皆さんとともに。

 

 

 

○ 講演させてください

D.Liveは、子どもの自信が低いという社会課題や思春期は子どもとの関わりかたについて講演・研修させていただいております。壁に立ち向かう卵をふやす機会や出番をいただけませんでしょうか。どんな内容なのか、下記リンクにまとめておりますので、一度ご覧ください。

これまでの講演実績やスライド、お問い合わせはこちらから

 

 

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この記事を書いた人

D.Live副理事/元小学校教員
自分に自信が持てない、自分を好きになれない、そんな人が自分を好きになり前向きにチャレンジできる社会を創るためにD.Liveを立ち上げた。
自尊感情に関心が高く、D.Live内では主に自尊感情に関する事業を担当。

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