自分のことが好きになれないあなたに知って欲しい自己肯定感

あなたは、自分のことが好きだろうか?

「自分のことが好きですか?」と聞かれて、「はいっ!」と手を高くあげることが出来るだろうか?

正直、僕には理解が出来なかった。
どうして、声高に「好きっ!」と、答えられる人がいるのかと。

「自分を好き」って言える人がうらやましく、そう思えない自分はダメな自分だと思っていた。

きっと、自信満々に「好き!」と言える人は、自分みたいにイヤな部分がなくて、素晴らしい人なんだろうな。

そんな風に思っていた。

もっともっとガンバって、イヤな自分を無くしていけば、きっといつかは「自分を好き」と言えるのだ!
そうに違いない!

そう思って、必死に必死にもがいていた。

しかし、1つの考え方を知り、僕の考えは変わった。

8377862576 bc4450a970 z

 

僕は、「自分を好きになる」というのは、「お気に入りの服を着る」ことと同じだと思っている。

ファッションとは、〈流行。はやり。特に、流行に即した服装・髪型など。〉であり、あくまで流行に過ぎない。

人は、「流行っているから」という理由で服を買う。

欲しいものなら、それでいい。

けれど、「流行っているから」「みんな着ているから」という理由だけで、服を選ぶのは果たしていかがなものなのかと男性の僕は思うのだ。

流行は大事かもしれない。

「今年は、オレンジが流行ります」と言われると、どうしてもその服はショップにたくさん並ぶし、欲しくもなるのかもしれない。(理解はできないけど)

しかし、「それ以上に大事なものがあるのではないのかっ!!」と僕は強く思う。

流行っているから着る。
オシャレに見えるから着る。
女優の誰々が着ていたから着る。

そうじゃない。

大切なのは、「ああ、この服いいなぁ」「この服、好きだなぁ」と思うあなたの感覚だ。

『人生がときめく片づけの魔法』の著者である“こんまり”(近藤 麻理恵さん)は、「“ときめく” or “ときめかない” で物を捨てるかどうか判断しましょう」と話す。

服を買うときも同じ。

試着して、ときめくのか。
服を触っていて、ときめくのか。

「ときめく」という感覚がなにより大事だと僕は思うのだ。

お気に入りの服、好きな服は着ているだけでテンションが上がる。
なんにでもなれそうな、どんなことでもできそうな、そんな錯覚を引き起こす。

人にどう思われるからじゃない。
誰がどんな服を着ているからじゃない。
流行っているとかじゃない。

そうじゃない。
そうじゃないんだ。

自分が着たいから着る。
自分が「好き」と思うから着る。
着ててワクワクするから着る。

人が決めたルールや流行なんて、どうでもいい。

大切なのは、自分だ。

オレンジが流行っていようが、自分が黒の服を好むのであれば、着ればいい。

年相応の格好?
それがどうしたっ。

周りは関係ない。
他人の評価も関係ない。

服装とは、そもそも評価できないものだ。

ファッションデザイナーのココ・シャネルは、「みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。」と言った。

人の判断なんてくだらない。
人の評価なんてくだらない。
人の意見なんてくだらない。

自分が着たいものを着る。
自分が着たい服を着る。

それでいい。

いや、それがいい。

A mother kisses her daughter 1316148 1280x960

 

「自分を好きになる」というのも、同じことだと僕は思っている。

僕は、今でも「自分のことが好きです」と言えない。
大きな声で「好きですっ!」とは言えない。

でも、それでいいと思うのだ。

僕はずっと勘違いをしていた。

人見知りな自分が見えると、「ああ、自分ってダメだなぁ」と思っていた。
みんなの前で自慢をしている自分を「ああ、イヤなやつだ」と思い、後で落ち込んでいた。

自分の行動、自分の態度、その1つ1つにマルとバツをつけていた。

「今日は、うまく話すことが出来たからマル」
「友達に優しくできたからマル」

「自慢したからバツ」
「初対面の人にうまく話せなかったからバツ」

と、いうふうに。

しかし、そうじゃなかった。

自己肯定感とは、「自分が自分であって大丈夫と思える感覚」と言われている。

自己肯定感とは、「良い」「悪い」と判断をしない。

それは、あなたの服装に対して、「良い」「悪い」と判断する必要がないことと同じように。

白い服が好き。
フリルがたまらなく好き。

それでいい。

そこに優越は存在しない。

あなたがその服を好きならそれでオッケーだ。

「自分」も同じ。

良い、悪いなんてない。

「イヤな自分」「人見知りな自分」が、いても良いのだ。

白い服が好きなのもあなただし、友達の前でつい自慢話をしてしまう自分もあなただ。

でも、それに対して、あれはマルで、それはバツというものはない。

それも含めてのあなただ。

「流行なんて、関係なしで私は白い服を着るのよっ!」と、頑なな感じではない。

「ああ、みんなはオレンジなんですね。でも、私は白い服が好きだから、白を来ますよ」と、いった感じ。

Soil 1506888 1280x960

 

自己肯定感の根幹は、「自己受容」だ。

自分を受け容れること。

まるで土に水が染みこんでいくがごとく、じんわり、じんわりと受け容れていく。

はじめは、イヤな自分を見つけると、いやぁな気持ちになるだろう。
自分を責めてしまうかも知れない。

でも、その必要はない。

そんな自分を「そんな自分でもいいんだっ!」と、無理矢理肯定するのではなく、ただ、ただ受け容れる。

「ああ、こういう自分もいるんだなぁ」と。

イヤな自分がいても、いい。

僕はずっと、自分を好きになるためには、嫌いな部分を全てなくす必要があると思っていた。
でも、そうじゃなかった。

嫌いな自分も含めて、自分だと思うことが出来たらそれでいいのだ。

「自分を好き」と大きな声で言える必要なんて、どこにもない。

別に好きじゃなくていい。

むしろ、「自分大好きっ!」と大きな声で言える人のほうが珍しいなと僕は思う。

イヤな自分もいるだろう。
嫌いなところも見えることがある。

でも、そんな自分も、自分。

なにが良くって、なにが悪いなんて評価する必要はない。

好きにならなくてもいい。

ただ、ただ、今の自分を受け容れること。

「自分のこと、嫌いじゃないよ」と言えれば、それでいい。

自己肯定感を詳しく知りたい人は、『子どもの自信白書』をご覧下さい。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

目次