不登校は、ムダな時間?

「一刻も早く学校へ復帰させないと!」と、あせる気持ちはわかります。

勉強に遅れたら、ますます学校へ行けなくなると、心配になってしまいますよね。

しかし、不登校の時間というのはとても貴重な時間だと思うのです。

外から見ると、なにもしていないように思えます。

「サボっているんじゃないの?」と、言われることもあります。

でも、本人にとっては、すごくすごく大事な時間なのです。

日常の中で、自分自身と向き合う機会はほとんどありません。

この情報化社会。

ぼーっとする時間、ヒマな時間なんてものは存在しません。

学校へ行かない時間は、子どもにとって休息の時間。

じっくり自分と向き合う時間なのです。

子どもにとって学校へ行かない時間は、とても多くの学びがあります。

しんどいこともたくさんあるでしょう。しかし、自分の弱さや自分自身と向き合った経験は、きっとその後の人生にたくさん活かされます。

瀬戸内寂聴さんに聞いたことがあります。

「人生、しんどいんですがどうしたらいいでしょうか?」と。

すると彼女は、「たくさんしんどい思いをした人のほうが、人に優しくなれるのよ」とおっしゃっていました。

不登校の時間は、ムダではありません。

「不登校という挫折があったから、今の自分がいる」と言える。

そんな経験になるのです。

※田坂広志さんのサイトにぴったりのことが書かれていたので引用させていただきます。

「挫折」という配剤

現役時代、大関として活躍したある親方が、
膝の故障で長期の休場を余儀なくされた苦難の時期を振り返り、
述懐した言葉が、心に残っています。

 絶好調に慢心していた、あの頃の私は、

 挫折を、しなければならなかったのです。

 あの挫折によって、

 私は、多くのことを学びました。

この述懐を思い起こすとき、

二つの言葉が、心に浮かびます。

似た響きを持ちながら、

異なった意味を持つ

二つの言葉。

「成功」と「成長」

人生において挫折を経験し、

悪戦苦闘して道を歩み、

その時代を振り返るとき、

ふと、気がつくことがあります。

あの挫折は、

あの頃の自分の成長にとって、

必要な配剤であった。

あの挫折があったから、

大切なことを、学ぶことができた。

そして、その学びがあったから、

今日の自分が、ある。

「成功」を求めて歩むか

「成長」を求めて歩むか

その覚悟によって、

「挫折」という配剤は、

その陰を、光へと転じるのでしょう。

引用 : 『風の便り 第149便』

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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