NPOの活動は、オリンピック選手と同じだ。

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だっ」

冨田選手が着地を決めた瞬間、僕は声にならない声を出していた。

2004年アテネ五輪。
体操の男子団体が、28年ぶりに金メダルを獲得した。

96年アトランタ五輪は、10位。
外国のコーチは「日本は沈んだ。もう昇らない」と言ったという。

しかし、日はまた昇った。

そして今年、2016年リオ五輪。
体操の男子団体が、3大会ぶりに金メダルを獲得した。

 

「オリンピックは、税金のムダ使いではないのか?」と言う人がいる。
選手育成には、多額の税金が使われているからだ。

しかし、僕はそうは思わない。
オリンピック選手は、僕たちに力をくれる。

人はどうしてオリンピックに熱中するのだろか。
理由は、いろいろある。

「人間の限界を知りたい」
「その競技が好き」
「応援している選手がいる」

でも、1番の理由は、“勇気が欲しいから”だと僕は思う。

彼らは、4年に1度、このときのために準備をする。トレーニングをする。
競技によっては、満足に収入を得るのが難しいこともある。

しかし、選手たちは、頂(いただき)を目指して努力する。

その姿に、僕たちは感動する。心が動く。
「自分もガンバろう」と思うことが出来るのだ。

ヒーローアニメを見て、まるで自分がヒーローになったように思う子どもよろしく、僕たちはオリンピック選手を見て、「自分もガンバればなにか出来るんだ!」と思う。

怪我を押しての出場。
家族の不幸。
会社(チーム)の解散。

4年、いやそれまでの彼らが歩んできた道のりには、たくさんの苦悩があっただろう。
オリンピックにわかりやすいサクセスストーリーは、ほとんどない。
たくさんのドラマがあり、大番狂わせもある。

能力や結果だけではなく、すべてをひっくるめて、僕たちは選手を見ている。

だから、感動する。

「すごいな」「よくやったな」と。

僕たちは、無意識のうちにオリンピック選手と自分を重ねている。

「ガンバれ!ガンバれ!」と放つ言葉は、そのまま自分自身へのエールでもある。
「まだ、出来るぞ」「もっとやれる」「限界はそこじゃない」
オリンピックで活躍する選手を見て、励まされ、勇気をもらう。

4連覇を逃した吉田沙保里選手は、「力出し切れず申し訳ない」と敗戦のあとに語った。

選手たちはみんな、国を背負い、国民の期待を胸に秘めて闘っている。

 

僕たちNPOも同じだ。

社会には、声をあげられない人たちがたくさんいる。
「しんどい」「つらい」「こんなことで困っている」

どこへ投げていいかわからない声なき声。
NPOは、その1つ1つをしっかり拾う。受け皿になる。

見知らぬ土地へ来て、誰も知り合いがいなくて孤独にうちひしがれる人。
子どもが言うことを聞かず、自分を責めて苦しくなる人。
学校へ行かない子どもを心配し、子どもの将来が不安でたまらない人。
1日中家の中で子どもと二人きりで、心が病みそうな人。

たくさんの人たちの抱えている不安や悩み、困りごとを僕たちは聞く。

困っている人たちは、声をあげられない。
たとえ大きな声を出したところで、都会の喧噪にかき消される。

ただ、ただ、我慢する。

「自分がダメだから」「もっと自分がガンバれば」
みんな自分を責める。

そして、もっとガンバろうとして、しんどくなる。

僕たちは、彼らが出せない声を社会に届ける。
「大丈夫。そんなにガンバなくていい」と声をかける。

僕たちは、自分がやりたい活動をするための団体ではない。
僕たち団体を必要な人がいるから活動している。

声に出せなくて苦しんでいる人。

必死で叫んでいるのに、誰にも気づいてもらえない人。

そんな人たちのために、活動をしている。

未だに社会には、「子育ては1人でするもの」という風潮がある。
出来ない人は、「やる気がない」「根気がない」と責められる。

でも、違う。そうじゃない。

ほとんどの親は、我が子が可愛くて、良い子に育てたいと思っている。
でも、出来ない。
社会の問題、環境の問題、仕事の問題。

「母親がもっとガンバれ!」っていうのは、ペンギンに空を飛べと言うくらい無茶なことだ。

 

仕事をしているとき、たくさんの人たちの顔が浮かぶ。

「あの人へ届けたい」「笑顔になって欲しい」

僕たち以外に、誰があの人たちを救うことが出来るんだ。
ヒーローみたいにカッコイイものじゃない。
オリンピック選手のように感動を与えることは出来ないかも知れない。

でも、僕たちは、声をあげられない人たちのために、全てを背負ってこの社会に挑んでいく。

その挑むための武器の1つが、僕たちにとっては『子どもの自信白書』だ。

内容は、もっと変えたほうがいいかも知れない。
文章は、もっと変えたほうがいいかも知れない。
特集は、もっと変えたほうがいいかも知れない。
配布先は、もっと変えたほうがいいかも知れない。

まだまだ僕たちの刃は、切れ味が悪いかも知れない。

けれど、僕たちは『子どもの自信白書』を持って闘う。声をあげる。
「こんなに困っている人がいるんだぞ」と社会へと叫ぶ。
「必要な人たちがいるのだ」と伝えていく。

僕たちは、たくさんの人たちの希望や夢を背負っている。

オリンピック選手のようにさわやかな笑顔は見せられない。
ほとんどの国民が見ている表舞台には決して立つことはない。

それでも構わない。

目に見えない日の丸を背負い、人々の期待と希望を胸に秘め、僕たちはこれからも歩んでいく。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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