子育てはサッカーであなたがマラドーナになる必要はない

「子育ては、女性だけがするもの。母親が一人でするものって、まだまだ思われているんですよね。もっといろんな人に手伝ってもらいながら子育てが出来るような社会になればいいのに。けどね、そう言うと、ラクをしようとしている、手抜きしたいから言っている。みたいに思われるんですよ!それが、ほんっっっとにイヤ!!」

モスバーガーで、僕は働きながら子育てをしている女性(仮に名前をムラカミさんにしよう)の話を「いや、ほんとそれなんですよ!」と言いながら聞いていた。

まだまだ、日本の社会は子育てがしにくい。

昔は良かった。
地域で子どもを育てることができた。
ある意味、ほっておいても、誰かが面倒を見てくれた。
近所の人や親(おじいちゃん、おばあちゃん)、子ども兄弟。

今は、地域の希薄化で、近所に誰が住んでるかすらわからない。

先日の記事で、まる子ちゃんには友蔵がそばにいるということを書いた。
すべてを包み込み、受け止めてくれる存在が子育てでは必要。

まる子ちゃんには友蔵が。
まる子ちゃんのお母さんには、おばあちゃんが。

それぞれ、頼れる人がいる。

残念ながら、今はみんなが孤立してしまっている。

僕は、子育てはサッカーだと思う。

“子どもが自立する”
“子どもが一人前になる”、というゴールへ向かって、ボールを蹴っていく。

プレーをしていると、いろんな敵(壁)が立ちはだかる。

サッカーだと、そんなときは、味方へパスを出す。

でも、今の社会は、子育てをしている人が気軽にパスを出せる相手がいない。
自分で必死にドリブルをする必要がある。

ボールを取りにくる敵をかわさないといけない。
まさに、孤軍奮闘。

こんな社会を僕は変えたいと強く思っている。

僕たちがやりたいのは、子育てをしている人が、気軽にパスを出せる環境をつくること。

敵に囲まれ、必死でボールをとられないようにもがく人に向かって、「こっちにパースッ!」と言ってくれる人を地域につくっていきたい。

グラウンドには、たくさんの人たちがいてる(きっと!)。
パスを受けたいと思っている人もいる(ぜったい!)。

けれど、今は受け手が見えない。
地域が希薄化していて、誰が住んでるのかすらわからない。

昔は、地域で変な犯罪などはあまりおこらなった。
誰が住んでいるかわかっているので、関係ない人や不審者がいれば、すぐに特定することが出来た。

でも、今は違う。
誰が異端者で、誰が地域の人なのかすらわからない。

子育てを手伝いたいと思っていても、子育てをしているお母さんとつながることは、なかなか難しい。

かといって、子どもに直接声をかけるわけにもいかない。

以前、地域でイベントをおこなったとき、子どもと接するボランティアをしてくれた60代の男性からこんな話を聞いた。

「道端で、迷子になっているような子どもを見ても、気軽に声かけることできひんのよ。ビーってなるブザーをみんな持ってて、ちょっとでも変なやつがきたら、そのブザーを鳴らされるねん。こっちとしては、助けたいと思ってるのになぁ。。。」

残念ながら、今は気軽に「こっちへパスして!」と言うのも難しい社会になってしまっている。
パスを受けたいと思っているのにも関わらず、オフサイドトラップを恐れるがごとく、声高に「パス!」と言うことが出来ない。

一方で、子育てをしている人は、必死でパスを受けてくれる人を求めている。

ムラカミさんは、「別に子育てを褒めて欲しいとは思わないんです。でも、力強く、大丈夫!!って言ってくれる人がいれば。。。それだけでも全然違うんです」と言う。

以前、地域には、子育てのベテランがいて、気軽に相談できる人がいた。
子育てのやり方というよりも、お母さんのメンタルサポートのような役割。

どっしりとしていて、「大丈夫!!なんとかなるって!」と言って受け止めてくれる人。

パスの出先が明確にあった。
困ったときは、すぐにパスができた。

でも、今は残念ながら、子育てをしている人はみんなマラドーナになることを求められている。

ムラカミさんは、言う。
「テレビで、すごい女性とかばかり取り上げられるでしょ?バリバリ働きながら3人の子育てしました。とか。あれも、やめてほしいんですよね。あんなことができるのは、本当にごく限られた人だけですよ!!」

今は、たくさんの情報が流てくるので、どうしても比べてしまう。
真面目に、一生懸命に子育てをしている人ほど疲れる。
スーパーウーマンを見て、「私なんてダメだ」と思って落ち込む。

けれど、マラドーナになる必要なんて全くない。
パスを出さずに、ドリブルで5人抜きなんて芸当を目指すことに、なんの意味もない。

スペインがパスサッカーで世界を制したように、いろんな人たちに頼りながら子育てをしていけばいい。

残念ながら、それがやりにくい社会だからこそ、ムラカミさんが嘆いているのだ。
子育てには、不安がつきまとう。
特に、一人目の子を育てるときは大変。

子育てという未経験の分野に取り組まないといけない。
サッカーをしたこともないのに、ワールドカップの日本代表に選ばれるようなもの。
ルールもやり方もわからないのに、敵と戦わなくてはならない。

僕たちがやりたいことの一つは、自分たちがパスの受け手になること。

子育てで困った人の「ヘルプ」を受け止められる存在でいたい。

不登校や思春期でどのように関わったらいいかわからなくて、子育てがしんどく感じてしまっている人たちの力になりたいと思ってTRY部を運営しているのも、その理由から。

やりたいことのもう一つは、地域にパスの受け手を増やすこと。

僕たちが頑張ったところで、すべてのパスを受けるのは不可能。
子育てしやすい社会にするためには、気軽にパスを出せる人が周りにいなくてはならない。

友蔵増殖プロジェクトなんて感じで、地域で子育てができる社会をつくっていきたい。

子育ては、女性だけがおこなうものではない。
夫婦だけでおこなうものでもない。

パスを出せる人が限られていると、敵にマークされて終わり。
たくさんパスを出せるところがあるのが大切。

僕たちが描く理想は、一人だけではもちろん叶わなくて、たくさんの力が必要。
まだ、具体的にどうすればそれが実現できるのかもわからない。

けれど、志を同じくする人たちと一緒に、この夢を叶えていきたい。

僕たちは、
「子育てをしているあなた」のパスをいつでも待っている。

「子育てしている人のパスを受けたい」あなたを待っている。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

コメント

コメント一覧 (2件)

コメントする

目次