不登校は孤独だ。だからこそ、ひとりじゃないという感覚がなによりも大事。

2012年。
僕は、誰も知り合いがいない中で滋賀県でNPO法人を始めた。

数年がたっても、周りに同じようにNPO法人を運営している同年代はほとんどいなかった。

1人で悶々と苦悩する日々。

砂漠の真ん中に一人、ぽつんと立っているような感覚。

研修の案内が来たのは、まさにそんなときだった。

 

ここにいたんだ……

NPO法人の支援をしている団体が1泊2日で研修をおこなうという。

孤独で気が狂いそうになっていた自分は、わらにもすがる気持ちで参加することにした。

これまで、スタッフとしか会話することがなかった。

果たして、これが合っているのか? 間違っているのか?どこへ進んでいいのかも分からない。

まさに、暗中模索。

研修で、同世代のNPO経営者にあって、久しぶりに人と会った気がした。

「ここにいたんだ……」

自分が苦しんでいることを話すと、「分かる、分かる」と共感してもらえる。みんなが話すことも、手に取るように理解出来る。

打てば響く感じ。

これまでは、自分が言っていることを理解してくれる人がいなかった。他の人たちが言っていることも理解出来なかった。

同じ言語を話しているのに、通じない。

まるで自分が宇宙語を話しているのではないかという錯覚に陥る。

でも、ここには自分と同じ言語を話す人がいる。

同志を見つけた感覚だった。

 

”繋がっている”という感覚

活動も違う。
年齢も違う。
住んでいる地域も違う。

数年がたった今、みんなとの交流は少ない。しかし、今でも心で繋がっている感覚がある。

彼らがガンバっている姿を見ると、自分も「ガンバろう」と思える。

「自分は、ひとりじゃないんだ」って思える。

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僕たちはいつだって孤独の中で生きている。

 

オンラインコミュニティ(TRY部)も同じだ。

不登校だと、分かってくれる人が回りにいないことが多い。

自分の気持ちを本当の意味で理解してくれる人は、同じ不登校の子でしかない。
でも、不登校同志で交流することは少ない。

TRY部には、全国の学校へ行けない子たちが集まってる。

ここにいれば、「自分は、ひとりじゃない」と思える。
「自分のことを分かってくれる人がいる」と思える。

一緒にゲームをする、悩みを相談するという、”行為”が大事なのではなく、”存在”がなによりも大事だと僕は思う。

「そこに確かに存在している」という感覚が、僕たちを孤独から救ってくれる。

決して、ひとりじゃないと思える。

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人との繋がりは、暗闇を照らしてくれる明かりになる。

 

僕たちはいつだって孤独を感じている。

オンラインで誰かと繋がっていても、孤独を感じることはある。

けれど、自分のことを分かってくれる人がいる場所では、決してひとりではない。

 

WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE
(我々は、孤独だ。だが、ひとりではない)

宇宙兄弟
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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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