「鈍感になる練習」で、日常生活でも子育てでも完璧主義な自分にサヨナラを

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私は『声に出して読みたい日本語』シリーズでお馴染みの齋藤孝先生(明治大学教授)の本が好きでよく読んでいるのですが、先日書店で齋藤先生の最新刊を見つけて思わずすぐにレジへ持って行きました。

それがこの『鈍感になる練習』という本なのですが、これがとっても「ありがたい」と思える本でした。

ご存知の通り、私はたいへん敏感な人間です。味覚触覚嗅覚などの五感はもちろんのこと、雰囲気などにもおそろしく敏感だと自分で思っています。それは自分自身で長所だと思っていますし、実際のところその敏感さ、繊細さを活かして生きている節は往々にしてあります。

しかし、時として、その敏感さが仇となる場面もやっぱりあるのは事実です。

特にこのコロナ禍では今までなんともなかったこと、たとえば外での会話などに非常に気を遣うようになり、これは大丈夫なのか?突然通りすがりの人に怒られないか?と余計な心配をしてしまうようになりました。人々がナーバスになっている雰囲気も伝わってきてひどく疲れる日もあります。

もちろんすべてがすべて鈍感になる必要はありませんし(もしそうなったら自分が自分でなくなるような感覚があります)、いい意味で「鈍感」にならなきゃいけない、と思っていた矢先に見つけたこの本は、まさに「渡りに船」のようなものでした。

齋藤先生はこの本の冒頭で、

感じすぎること、考えすぎることが悪いことではない。問題なのは、感じすぎること考えすぎることで頭や心が疲弊して、次の一歩が踏み出せなくなること

ということを書いています。これはまさしくその通りで、「余計な心配をするが故に頭や心が疲弊してしまう自分」というものが確かに存在しています。よくHSP(Highly Sensitive Person:人一倍敏感な特性を持つ人)が楽しいことでもひどく疲れてしまう、というのは、こういうことなのだと思います。

さて、この本の言う「鈍感になる練習」というのは、言い換えると「完璧主義である自分を少しずつ手放していく練習」ことなのだろう、と思います。

たとえば、私は「Zaim」や「マネーフォワード」といった、いわゆる家計簿管理アプリが長続きした試しがありません。使っていくうちに分類を完璧にしたくなるがあまり、「これは文房具代にすべきか消耗品代にすべきか」悩むことが多くなり、結局面倒になってやめてしまうのです。

これだけではありません。私はスケジュール管理を細かく色分けしてGoogleカレンダーや手帳に記入しているのですが、これまた「この予定はどの色でつければいいのか」がわからなくなることがあります。完璧主義だとこういうところで頭を使ってしまい、結果的に疲弊してしまう。

私のように習慣的な部分で完璧を追い求めてしまうこともあれば、もっと大きなところで完璧を追い求めてしまう人も大勢いらっしゃると思います。

「完璧を追い求めてしまう」のは、すなわち「細かいところが気になってしまう」とも言うことができます。勉強を例にとれば、ノートの段落をきれいに揃えたかったのに気がついたら0.5文字ずつずれてしまってそれが気になる、という人もいると思います。

でも、冷静に考えたら、その0.5文字ずつずれたところで解いていた問題が正解していればそれで無問題ですし、むしろ文字がずれていることを気にするがあまり問題がちっとも進まなかったり、問題を間違えてしまっていたら本末転倒もいいところです。

この「完璧を追い求めてしまう」のは、子育ての場面においてもよくある話ではないでしょうか。

私は弊団体に限らずよく子どもの相手をするのですが、たまに保護者の方から子どもの代わりに「うちの子が失礼なことを言いまして・・・」と謝られることがあります。

先に結論を書くと、私はこうして謝られるほうにむしろ恐縮してしまうのです。

「挨拶ができなきゃいけない」「ちゃんとした言動を心がけさせたい」というのは大事です。大の大人が挨拶や言動が伴ってないのならともかく、大人同様の礼儀を子どもたちに求めるつもりは毛頭ありませんし、むしろそんな礼儀は今なってなくても今後どこかで絶対に身につきます。

私は高校時代、担任の先生をあだ名で呼び、もちろん敬語も使わず時にはえらく失礼なことを何度も言ったことがありました。時が経てその担任の先生が「同僚の先生」へと立場が変わったのですが、流石にあだ名で呼ぶこともなく「○○先生」と呼び、口調も丁寧語へと自然に変えている自分がいました。

そういえばD.Liveで関わっていた中学生が成長し、大学生になって会ったときもあれだけ馴れ馴れしい口調だったのが敬語に変わっていた、なんてこともありました。小さなころから完璧な礼儀を叩き込まずとも、人は成長し立場が変わる中でそれ相応の礼儀を身につけるのです。

むしろ、その時点で完璧を追い求めてしまうほうが疲弊したり、子育てが重く苦しいものになってしまうように思います。ここまでは礼儀を例に考えてきましたが、これ以外にも「完璧を追い求める」があまり子育てが急に辛いものになったり思い悩んでしまうことがごまんとあるはずです。

『鈍感になる練習』では、6つの視点から「鈍感力を上げるトレーニング」(という名前の考え方)が取り上げられています。その中には「完璧・理想を捨てて、自分にがっかりしない」という章もあります。

この本は主に繊細さんやHSPの人に向けて書かれている本ではありますが、子育て、習慣、生活全般に完璧主義が現れてしんどくなってしまう人にも十分刺さる内容だと思います。ぜひ手にとってみてください。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。