【コロナ禍で帰省を見送る家庭へ】年末年始、気をつけたい「緩衝材がない」家庭の雰囲気

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気がつけば2020年もあと半月で終わりです。今年は本当に「新型コロナウイルス」の9文字に全人類が戸惑った1年、すでに年末年始のGoToトラベル停止や外出自粛など、何かと「我慢して」と叫ぶ異常な雰囲気が漂う年の瀬が訪れてしまいました。

それゆえに、今年の年末年始は旅行や帰省を見送るご家庭も多いと思います。ましてこのコロナ禍です。もちろんそれでも旅行・帰省を決行する方もいると思いますが、下手に行動すれば感染拡大だと叩かれるかもしれないこの世の中、家庭内でもどこでどうストレスが溜まるのか見当もつかない部分があります。

当然「顔を合わせたくない親戚に会わずに済む」などといった、帰省しないことによって受けないストレスというのも数多くあるかもしれません。しかし帰省しない、外に出ないということは逆に言えば基本的にはずっと家にいる年末年始を過ごすことになります。

だからこそ、「基本的な部分から」子どもたちの様子に気を配る冬休みにしなければいけないのではないか、と、私は思っています。

「昔ながらの大家族なら子どもに逃げ場があった」とZ会の長野さんは言う。しかも大家族なら親以外の大人の目があるから、親がやりすぎそうな場合には誰かがそれをたしなめたり子どもをかばったりすることもできた。その姿から、親自身も子どもとの適切な接し方を学ぶことができた。 しかし核家族では、親と子どもの間に緩衝材がない。親子が真正面から向き合ってしまう。子どもにはまったく逃げ場がない。親が厳しくしようと思うと、とことん厳しくできてしまう。

引用:おおたとしまさ『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち』ディスカヴァー携書

今朝、移動中読んでいた本にこんな一節があり、私は思わずハッとしてしまいました。

この『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる⼦どもたち』はタイトルのように、過度な受験戦争をはじめとして親が子どもの進路や学習態度に強く介入する(した)ことによって家での居場所がなくなり、生きづらさを抱えたり非行や支援が必要になった人たちを取り上げた一冊です。

しかし、いま引用した一節は、いまのこのコロナ禍において勉強云々関係なく、「人として生きる上で」非常に大切なことだと思います。

上記引用の「親がやりすぎそうな場合には誰かがそれをたしなめたり子どもをかばったりすることもできた」というのは、いわゆる「ナナメの関係」と置き換えることができます。いい例が「ちびまる子ちゃん」に登場する祖父の友蔵です。

「ちびまる子ちゃん」を観ているとよくお母さんが声を荒げてまる子を叱り飛ばすシーンを目にします。あれは、その前後でいつもニコニコしながら優しく関わる友蔵という存在があってこそ成立する関係です。もしあの家に友蔵がいないと、上記引用から言葉を借りれば「緩衝材がない」ことになります。

「コラ!まる子!」と叱られてその場で感じたストレスや不条理を、友蔵がいなければまる子は誰にぶつければいいのか。学校にはたまちゃんという親友がいますが、家での世界にたまちゃんはいません。「友蔵がいないさくら家」は、ひょっとしたらまる子にとって辛い環境になるかもしれません。

・・・なんでいきなりこんな話をしたのかと言うと、この年末年始に仮に帰省を見合わせるのであれば、その「緩衝材がない」家庭環境がずっと続いてしまうことに、私は少し恐怖を感じているからです。

私自身は母方の祖父母と同居、父方の祖父母は車で1時間の距離にいたので、特段「帰省」というのが大きなイベントではありませんでした。しかし年末年始は日帰りではなく何泊かしていた上に、年の離れた従兄弟たちが全員揃うめったに無い機会ということもあり、とくに楽しみな時期でした。

孫たちは孫たちでめいめい遊び、祖父母は孫のご機嫌取りに躍起になり、おじさんおばさんも時々かまってくれる。こうした時間はある種「親が一瞬、子育てを手放せる時間」であると言えます。親である自分自身も姪や甥との時間を楽しみにしている、という方も多いのではないでしょうか。

しかし帰省しないという苦渋の選択を取ると、こうした時間がない、いままで使ってきた言葉で表現すれば「緩衝材がない」正月を過ごすことになります。

お正月、いとこやおじいちゃん・おばあちゃんに会えない寂しさを、子どもたちがストレスとして受け取ってしまうかもしれません。そのときに親がどう関わるか、どのような代替策を出すことができるか、は、もしも帰省しない年末年始を過ごすのならすごく重要だと思います。

Zoomをつなぐというのも一手でしょうし、感染防止対策をきちんと講じた上で少しお出かけするというのも有効だと思います。新型コロナウイルスの感染防止に力を入れすぎて、逆にストレスを感じたり息が詰まるようでは元も子もありません。この年末年始、こうした家庭が増えることを私は危惧しています。

「我慢の年末年始」という言葉に私はひどくストレスを感じます。仮にいまの状況がこれから毎冬繰り返されるのなら、もう一生「我慢の年末年始」じゃないか、と思うことすらあります。それはきっと子どもたちも同様に繊細に受け取っていると思います。いや、私以上に大きく受け取っているかもしれません。

だからこそ、楽しみが奪われる中でいかに機嫌よく過ごせるか。「人として生きる上で大切なこと」をないがしろにせずに過ごせるか。冒頭に書いた「基本的な部分から」子どもたちの様子に気を配る冬休みにしなければいけないのではないか、というのは、そういうことです。

もちろん大人の側からしてもものすごいストレスがかかる状況だと思います。「人として生きる上で大切なこと」をないがしろにしてしまっている状況かもしれません。でも繰り返しになりますが、新型コロナウイルスの感染防止に力を入れすぎて、逆にストレスを感じたり息が詰まるようでは元も子もありません。

我慢の年末年始といえど、人にあった我慢が大事です。我慢のし過ぎは自分にも、家族にも大きな悪影響を及ぼしかねません。いろいろと難しく制約がある中ですが、健康に気をつけながら可能な範囲で工夫をして、楽しく年末年始を過ごしたいものです。

それがきっと家庭の「緩衝材」になりうると、私は思います。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。