平日昼間、公園や外にいる不登校の子どもたちを「気にしない」ということ

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先週土曜日に更新された弊団体副代表・得津の記事にもありますが、毎週火曜日に開いているフリースクール「昼TRY部」の京都校で、先日外遊びを実施しました。

実は今日の昼TRY部京都校でも同じように「だるまさんがころんだ」で遊んできました。そのあとは鬼ごっこで、公園を広く使って走り回ったのですが、案の定スタッフがあっという間にヘロヘロに・・・。でも追いかける(追いかけられる)子どもたちの楽しそうな表情がとても印象的でした。

ところで、僕はこうしてフリースクールの生徒たちと外へ出るときに、ものすごく気を遣います。

平日の日中に子どもたちを見かけることはほとんどありません。なぜならその時間帯は学校の授業時間中だからです。でも、通学カバンを持っているわけではないのにそのへんの道を歩いていたり、公園で楽しく遊んでいる子どもたちを目の当たりにすれば、こう感じる大人がいても不思議ではありません。

この子、学校はどうしたんだろう?

でも、そう感じること、そのような目を向けることこそが、実は知らず知らずのうちに不登校の子どもたちを追い詰めています。

少し時間を過去に戻します。

今から15年以上前、僕は毎日フリースクールに通う不登校の中学生でした。だいたいいつも朝の8時半に家を出るのですが、そのころ僕は夜型生活に陥ることも多くあり、起きれずによく10時や11時と言った昼前の時間に家を出ることもありました。

すると、すごく「人の目」が気になるのです。

冷静に考えて、日中10時や11時に中学生らしき少年がひとりで電車に乗っているのは、少し怪しい光景に見えます。この子学校はどうしたのだろう、サボってるんじゃないのか、という目で見られるのがすごく怖かったのです。

僕は子どものころから敏感で繊細な特性を持つHSC(Highly Sensitive Child)でした。なので、隣に座る人の表情、目線などで、この人が何を言いたいのか、何を感じているのかがどうしても見えてしまうのです。この人怪しんでるな、変な目で見てるな、と感じることも、よくありました。

使っていた電車は都会方面ではなく、むしろ田舎のほうへ向けて走る電車でした。人が多くないのはそれはそれでいいことではあったのですが、逆に言うと人が少ないがゆえに中学生らしき少年が1人で乗っていると目立つ、とも言えるわけで、とくにフリースクールへの行きは毎日すごくびくびくしていました。

幸いにして、怪しい目で見られているなと感づいたことはあれど、「キミ学校はどうしたの?」と突然声をかけられることはなかったと記憶しています。しかしながら、いつどこで声をかけられるのかわからない、という怖さは、しばらく毎日のように続きました。

弊団体が運営している「昼TRY部」というフリースクールは、滋賀の教室も京都の教室も基本的に「10時~13時」という、ほかのフリースクール界隈を見渡しても少し珍しい時間設定で運営しています(滋賀の金曜だけ11時~14時で開室)。

「10時~13時」と言う設定は朝起きるという生活習慣を身に着けてほしいという狙いもあるのですが、この時間帯だと行き帰りとも通学ラッシュの時間を少し外しているので、とくに自宅近辺で子どもたちがほかの同級生に遭遇するリスクが減る、という利点があります。

しかし、こうした時間設定でもなお、ほかの人の目をとても気にする子は存在します。この昼TRY部でも「(行き帰りで)誰かに会うのが怖い」と足が遠のいてしまうケースがありました。

もちろん、子どもたちの側に「気にしない」という意識が欠けているという見方もできます。しかし、これだけ多様化だとか学校に行く必要はないということが叫ばれる中、改めて大人の側にも「気にしない」という意識を持つ必要があるように感じます。

そもそも、平日の昼間に子どもたちが公園で外遊びをしていても、それをサボりだと決めつけるのはあまりにも視野が狭すぎると思います。もしかしたらその日は代休で遊んでいるのかもしれません。表には出ていないけど、そういう事情を汲み取る力は大事なものです。

考えてみれば、ちょうど半年前に始まった緊急事態宣言のころ、少し買い物に家を出ると昼間でこの状況下なのに公園には野球をする子どもたちがたくさんいました。そのときとっさに「この子たちこんな状況で何やってんだ!」と言う目で見てはいけない、と直感したのをよく覚えています。

「何やってんだ!」の目で見てしまうと、ただでさえ異常な事態で気が滅入っている子どもたちがますます塞ぎ込んでしまう。家の中でじっとできないストレスを発散させてあげないとたいへんなことになる、そのためには公園で遊んでいても変な目で見ることだけは絶対ダメだ、と思ったのです。

そういう意味ではコロナ禍に限らず、人の目を気にする不登校の子どもたちにとって、平日の公園はものすごくリスクが高い遊び場です。だからこそ、少しでも安心して外ではしゃぐことができるよう、細心の注意を払うことがものすごく大事だと、子どもたちといっしょに遊びながら常に考えています。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。