新しい”CEO”を社会のあちこちに実装すれば、この社会は変えられる

インタビューやヒアリングはいつまで経っても慣れない。
答えに嘘はないし、間違ったことも言っていない。聞き手も熱心にメモを取っているし、主旨から外れたことを答えているわけではなさそうだ。けれど、いつも終わった後に不安になる。もっと別の答えが聞きたかったんじゃないか。本当は聞き手は満足してなかったんじゃないか。
自分があまり勉強していないトピックについて意見を求められた時もそうだ。
例えば友だちとお酒を酌み交わす場で、最近のお米事情について聞かれたとしたら、ぼくは素直に「全然知らないなぁ」と言える。本当に知らないもの。
ただ、知らないと素直に言いにくい場面がある。
ぼくにとっては、助っ人で呼ばれた会議や、オフィシャルじゃない場で相手の仕事に関する意見を求められたときがそうだ。好意的に思っている相手から尋ねられたときなんてなおさらだ。
「知らない、分からない」といえば、相手をがっかりさせてしまいそうで、それっぽいことを必死に頭を働かせて答える。相手の琴線に触れられる答えかどうか自信はないけれど、とにかくその場で浮かんだ考えを伝える。
どうしてこんな話をするかというと、実は先日とあるヒアリングを受けたからだ。
ヒアリングの依頼をした人は、中間支援(NPOや市民活動をサポートする仕事)をされていて、普段からお世話になっている人だ。D.Liveの事業や現状について教えて欲しいとのことだったので、素直に答えた。不安にはならなかった。結構いい調子で答えていた。
最後の質問で、調子が狂った。
「じゃあ、最後にD.Liveのビジョンを教えてくれるかな。」
ここでいうビジョンは、業界用語で団体がめざしたい社会像から3カ年のアクションまでを指すような幅の広い言葉だ。早い話が、これから何をしたいかを聞かれていた。
「不登校の子ども達がいつでも通えるようにフリースクールを増やしたい。」
ぼくはすぐにこう答えた。
D.Liveでは不登校や別室登校の子どもが通えるフリースクールと、それに伴う保護者の気持ちや関わり方の支援が事業の中心になっている。不登校の子どもの数は毎年変わらず多くいる。にも関わらず、学校以外の場所に通えている子どもはほんの一握りだ。
あまり知られていない社会課題だけれど、通える場所がないという理由で、引きこもりになりたくないのに引きこもらざるを得ない状況の子どもがたくさんいる。
この課題を解決するために、学校に戻れる手段を工夫することや、現存するフリースクールみたいな場所の質を上げることも、もちろん有効だ。だけど、それ以上にぼくたちはフリースクールの数を増やすことで、子どもの受けいれ人数をあげたり、交通アクセスを改善したり、子どもが居場所を選べる状況をつくったりするほうが効果的だと考えている。
こんなことをヒアリングでも答えた。その場では、いい感じで答えられた気がしていた。でも、時間が経つにつれて、不安や疑問が頭にどんどん浮かんで来た。
「本当にあの答えで良かったのか?他にも答えるべきことがあったんじゃないか?」
不安や疑問はやがて気づきに変わった。
「めざしたい社会像としてのビジョンを答えられていない!」
もっといえば、めざしたい社会像を答えることを忘れるくらいに、ぼくは課題解決のプロになりつつあったんだ。
このことに気づいたぼくは焦った。
課題解決のプロといえば聞こえはいいかもしれない。コンサルタントとしては名誉なことだろうけど、NPOとしてはあまり良いことではない。なぜなら、いくら課題を解決するプロになっても、課題を生み出す構造そのものにアプローチしなければ、結局のところは根っこの解決にならないからだ。
肩こりをほぐすセルフマッサージがどれだけ上手くなっても姿勢を改善しないと肩こりは続くことと同じだ。
課題を解決するだけでなく、その根っこにアプローチできるようにめざしたい社会像を示し、仲間を募り、声をあげるのがNPOの役割だ。目の前のこと、未来のことの両方を常に意識するようにぼくは教えられてきた。
そんなぼくも、ふり返ってみれば随分と目の前のことに意識が向いていた。
改めて、ぼくが運営するD.Liveがめざしたい社会像を考えてみる。
webに載せている理念的なビジョンでも、目の前の課題をこなした先にある直近で実現したい事柄でもなく、ちょうどその間。理念と課題解決の中間にあるようなビジョンだ。
すると、一つの単語が浮かんだ。
CEO。
そうだ、CEOを増やそう。
CEO(Chief Executive Officer)は最高経営責任者とか、代表取締役とか訳される。早い話が会社の偉い人のことで、ぼくが学生の頃はイケてるベンチャー企業や学生起業家なんかが好んで使っていた肩書きだ。
ぼくが増やしたいのは、この一般に知られているCEOじゃない。起業しろとも、最高経営責任者になれとも言わない。
ぼくがいうCEOは Chief Esteem Officer 。肯定感に関する最高責任者のことだ。自尊感情や自己肯定感は英語でセルフエスティーム(self esteem)という。自分が属するコミュニティにおける、自他の肯定感を健やかに保ち続ける役職がCEO(Chief Esteem Officer )だ。
CEOだ、なんてキッパリ言い切っているけれど、ぼくが作った造語だ。どうかドン引きしないで欲しい。
このまま続きを読んで欲しい。
くり返しになるけれど、フリースクールのような居場所を作り続けても社会の根っこは変わらない。局所的にはハッピーになるけれど、ぼくやD.Liveと同じような考えをする人が社会のあちこちに増えてもらわないと、『うさぎとカメ』のカメよりもきっと時間がかかってしまう。
ぼくやD.Liveと同じような考え—自尊感情についての知識や、自他の肯定感を尊重した関わり方を知っている人が、社会のあちこちに増えれば、D.Liveが居場所を増やさなくても、D.Liveの居場所と同じくらい(あるいはそれ以上の)効果や、支援のセーフティネットが生まれる。
これまでは、そんな大人が増えればいいなくらいにしか考えていなかったけれど、CEOという役職にしてしまった方が早く、効果も高い気がしている。
●学校にCEOがいたら
年1回、自尊感情を高める授業実践についてのアドバイスや研修の調整をしてくれる。職員会議の持ち方や初任者指導のやり方についても、CEOという立場から助言ができるので、意味のない会議や怒られるだけの指導が減る
●会社にCEOがいたら
とにかくノルマ達成を最上にしたパワハラ的な指導がなくなる。高すぎる目標設定や、社員の特性に合っていないノウハウの強要は、目標達成を阻害するばかりか社員全体のモチベーションも下げてしまう。そこでCEOは、自己効力感という視点から目標の立てかたやノウハウの習得についてのアドバイスをくれる。もちろん、意味のない会議も減らしてくれる。
●PTAにCEOがいたら
各家庭によって意欲や使える時間に大きな差があるのがPTAだ。CEOはまず温度差を把握し、それぞれに合わせた役割分担を提案してくれる。もちろんお菓子やジュースだってある。子育ての悩みだって、同じ親の目線に立って傾聴と質問を意識して聞いてくれる。
これらは全てぼくだけのイメージで、まだ社会のどこにも実現していない。
こんなの無理だろうとか、CEOって大変だなとか思ったかもしれない。
でも、このように自他の肯定感に配慮できる知識やスキルを持った役職があれば、自分が属するコミュニティのパフォーマンスも、働きがいも、居心地の良さも格段にあがる。CEOという役職にしてしまうことの良さはそれだけじゃない。役職なので引き継ぎが必ず起こる。そのたびに自尊感情に関する知識やスキルを持つ人も増えていく便利なシステムだ。
そして、CEOによって自分が尊重されている感覚や大事にされている感覚を知れば、相手への関わりかたも変わる。子ども達への関わりかたも変わる。新しいCEOが社会のあちこちに実装されることで、今の社会は変えられる。ぼくはそう信じている。
ここまでくるとSF小説みたいだけれど、SF小説と違って、この新しいCEOは実現可能だ。
D.LiveではPTAや学校に向けて講演や研修をおこなっている。夏からは企業向けの講演や研修依頼も受け付けるようにした。企業向けには、自己効力感(やればできるという気持ち)の理論をビジネスでどのように生かせるかを中心に話をする。SDGsを考えている企業に向けては、不登校の現状や思春期の発達課題などもお伝えする。
自他の肯定感に配慮できる知識やスキルを持った大人が増えるといいな、と少しでも感じてくれたなら、D.Liveのサポーターになって欲しい。サポーターがいるからぼくたちは活動を続けられる。
自分の好きなお店、マンガ、作品などをどれだけ好きに思っていても、気持ちを表現しないと消えてしまうことをぼくたちはコロナ禍で学んだ。D.Liveも、すぐ消えてしまわないように踏ん張っているけれど、どうなるか分からない不安もある。自他の肯定感に配慮できる知識やスキルを持った人を増やして社会を変えると声高に言ってみても、恥ずかしい話、それが実情だ。
だからD.Liveの活動や理念を見て、いいなと思ったらぜひサポーターになって欲しい。