ソーシャルディスタンスを「保つ」からこそ疲れる子どもたち(と大人たち)

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僕は今、D.Liveでスタッフをしながら学校現場でも働いています。職場は通常授業をすでに再開しており、春先生徒に会えなかった分を取り戻すかのように日々コミュニケーションをとっているのですが、それもこれも全て「感染対策を万全の上」という土壌があってこその話です。

どうしたって学校は「密」になりやすい場所です。換気のために窓を開け、細やかなところまで消毒をして・・・という作業がふえ、ただでさえ忙しい教員の側からも悲鳴が上がっています。参加している教員同士のLINEグループでも、消毒作業の過酷さに共感の嵐が吹き荒れているほどです。

もはやそれは生徒(や教員)の健康を守るためではなく、感染者を出して叩かれないようにするためにやってるんじゃ?とすら思っている学校関係者の方も多いと思います。

「必ずマスクを着用しなさい」「物を触ったら必ずアルコール消毒しなさい」「食事中は静かにしなさい」「ボディタッチも控えなさい」・・・。

都度気づくたびにそんな注意を繰り返しているわけですが、どうあがいても無意識にやってしまう行動もあるがゆえに、毎回注意をするたびに非常に心が痛みます。まして、この夏はすでにマスクが原因と思しき熱中症の患者数が前年度の10倍という報道もあり、正解が見えない日々が続きます。

ところで先日、こんなニュースを見つけました。

【独自】「疲れ」「だるい」ツイート急増、長期休校明けで心身に変調か…STOP自殺 #しんどい君へ

顕著だったのは、「疲れ」「だるい」という心身の不調を訴えるツイートの増加だった。全国的に分散登校などが始まった6月1~5日では、「疲れ」に関するツイートは8855件。長期の休暇明けでは19年春休み明けが3616件と多いが、半数以下だった。前年同期(19年6月)は1401件であり、大幅に増えたことがわかる。

 また、「だるい」についても、6月1~5日では4302件と2年間で最多で、「疲れ」と「だるい」を合わせた計1万3157件は、19年の春休み明け(計6123件)の2倍以上だった。

引用:【独自】「疲れ」「だるい」ツイート急増、長期休校明けで心身に変調か…STOP自殺 #しんどい君へ : 特集など : STOP自殺 #しんどい君へ : 教育 : 教育・受験・就活 : 読売新聞オンライン

今の「学校」は、これまで誰もが思い描いていた「学校」という場ではありません。一部の学校には机の周囲にアクリル板を立てたり、楽しくおしゃべりしながら食べるランチタイムも、会食での感染リスクが故に無言でもぐもぐしなければならない、という世界です。

そしてもうひとつ、「ソーシャルディスタンスを保つ」ことの弊害というものも、この心身の変調に大きく影響を及ぼしている気がします。これは精神科医の和田秀樹さんが指摘されています。

「大切な人と心の距離を近づけたいとき、互いに触れ合える距離で身振りや表情を見ながらコミュニケーションすることは大切です。ソーシャルディスタンスは、人と心を通わせる喜びを失わせます」

引用:「コロナで死なない」は人生の目的ではない 和田秀樹さんが語る「新しい生活様式」への違和感 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

あくまでも僕の推測にしか過ぎませんが、マスクをすることによって表情が隠れる分、相手が何を思っているかわからない、話していても満たされないという気疲れも、この「疲れ」「だるい」ツイートの急増につながっているような気がしています。

実際のところ、マスクを着用して会話をすると目線などで相手の表情を判断せざるを得なくなるので、言葉を投げかけた生徒がどんな反応をするのか、かなり気を遣いながら見ています。ちなみにこちらから生徒と話すときは、なるべくリアクションなどを大袈裟にしてわかりやすく伝えるように心がけています。

また、ソーシャルディスタンスを保つ必要のあるコミュニケーションは何も会話だけではありません。

これは大人がやると大問題になるので絶対にやりませんが、上記で引用した和田秀樹さんのコメントにも「互いに触れ合える距離で」とあるように、時折生徒同士が身体が触れ合うようなコミュニケーションを取ることがあります。これも感染対策に気をつけるならできれば避けたい行動のひとつです。

以上のようなコミュニケーションにメスを入れることは、たしかに新型コロナウイルスの感染防止のためには非常に重要な行動であることに違いありません。しかし、こうしたソーシャルディスタンスを保つからこそ、なにか大事なことを忘れているような気もするのも、また事実です。

「人間は本来、他者と交流して生きる存在です。新しい生活様式はその真逆。確かに、感染はしなくなるかもしれない。でも、交流することを手放し、それで『生きている』と言えるのでしょうか」

引用:「コロナで死なない」は人生の目的ではない 和田秀樹さんが語る「新しい生活様式」への違和感 (2/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

断っておきますが、僕は別に「新型コロナウイルスにかかっても平気だ」と言うつもりは毛頭ありません。ただし「新型コロナウイルス以外にも、気をつけるべきことがたくさんある」と言うことだけは忘れちゃいけないと思っています。

もうすでにマスクが遠因となって昨年度の10倍の熱中症の搬送者がいるという報道があったとも前述しました。その中で、コミュニケーションに代表されるように、人間として生きていくことに必要なものまで厳しく規則を作ることで、いま子どもたちはもちろん大人も学校現場で疲弊しているように思えます。

何が正しくて、何がまちがっているか、こと新型コロナウイルスの情報に関してはそれがまったく見えてきません。だからこそ気をつけすぎるほど気をつけるのも大事なのかもしれません。しかし、人間の本能としてのもの、生きていく上で大事なことまで我慢するのも、どうも違和感があります。

もうすぐあまりにも短すぎる夏休みがやってきますが、オリンピックも延期になったこの状況下では「疲れない学校生活」を考える夏になることは、まちがいなさそうです。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。