ぼくたちは流行りの歌も時代に合わせた曲も作れない
ぼくは宇多田ヒカルが好きだ。
いきなり時代を感じさせる話で申し訳ないんだけど、『time will tell』や『Automatic』、『First Love』で一気に心を掴まれて、デビュー当時からくり返しくり返し聞いていた。
新しい曲が歌番組で流れるたびにチェックしたし、アルバムをMDに入れたりもした。子どもだったし、ライブに行ったりファンクラブに入ったりすることはなかったけど、宇多田ヒカルが大好きだった。
けれど、好きだった宇多田ヒカルから離れた時期がある。
『Be My Last』とか、『Passion』が出たあたりだ。
確かこの曲が出た前後に、宇多田ヒカルはアルバム『EXODUS』を出して、海外デビューした時期だったはずだ。遠くにいった感じがイヤだったのか、初期の頃と曲調が変わってしまったことが気に入らなかったのか、今も理由ははっきりしないけれど、ぼくは宇多田ヒカルの曲をあまり聞かなくなった。
2007年に出された『Flavor Of Life』や『Beautiful World』などのシングルも聞きはしたけど、ちょっとチェックするくらい。明らかに熱は冷めていたし、なんだか距離感を感じていた。
好きなアーティストが初期の頃と違った雰囲気の曲を出したり、好きだったのに少しずつ聞かなくなったりするのは珍しいことじゃない。ぼくの場合はたまたま宇多田ヒカルだっただけで、それがBUMP OF CHICKENだったり、aikoだったりする人もいる。趣味嗜好が変わるのは自然なことだし、そんなものかなと思っていた。
でもぼくはもう一度彼女に心を掴まれてしまった。
2011年に出された『Goodbye Happiness』を聞いたときに。もっと正しく言えば『Goodbye Happiness』のPVを見たときに。
「あぁ、やっぱり好きでよかった。自分が勝手に変わっただけで宇多田ヒカルは何も変わっていなかった」と思った。
知ってる。これは勝手な勘違いだし、自分の好き勝手な妄想だと重々わかっている。でも、そんな幸せな勘違いをしてしまうくらいに、ぼくの心は再び宇多田ヒカルに惹かれていった。
大人になって、子どもの頃のように音楽に浸っていられる時間も少なくなってしまった。それでも、『花束を君に』『真夏の通り雨』『Forevermore』など新曲はちゃんとチェックするし、『あなた』は近年の宇多田ヒカルの中では名曲だと思っている!
もちろん、最近リリースされた『Time』も大好きだ。初期のR&B感、チキチキサウンドが心地いい。
なんでわざわざこんな話をするかというと、どうやらD.Liveも同じようなことを思われているらしい。
つまり、D.Liveと接する機会が減ってしまって距離を感じたり、D.Liveが遠くへ行ってしまったように感じる人が増えているそうだ。しかも一人や二人の話じゃなくて、方々から耳にするからD.Liveにいるぼくからすると大変だ。(もしかしたらこの記事を読んでいる人の中にも、同じような気持ちを感じている人がいるかもしれない。もしそうならすぐに連絡してほしい。)
きっとコロナの影響もあるんだと思う。どうしたって会うことが難しいご時世だし、オンラインの取り組みが取材されたことで「なんかすごい感」が意図せず出てしまったかもしれない。
もしかしたら、ぼくが宇多田ヒカルから関心が離れた理由がわからないのと同じように、掴みどころのない理由かもしれない。
ただ、安心していただきたい。
D.Liveは何も変わっていない。
「そういうしかないだろう」とツッコまれるとぐうの音も出ないんだけど、それでもD.Liveは変わっていない。
相変わらず、今の子どもたちが自信(自尊感情)を持てないことは社会的な課題だし、自信を育むためには安心感と成功体験が得られる居場所づくりと、大人の理解を促していくことが必要だと考えている。
運営している子どもの居場所の活動はトライアンドエラーの連続だ。ガラッと活動内容を変えたこともあった。しかし、コンセプトは変えていない。
大人に向けて自尊感情や不登校について、D.Liveの考えを発信するときもそうだ。確かにnoteやyoutubeなど、何かと目新しいものに手を出しているけれど、子育てや教育には自尊感情って大事なんだと思ってもらいたいし、学ぶ過程でご自身の自尊感情にも目を向けてほしいと思っている。
結局、自分がご機嫌でいることが大事なんだけど、自分のご機嫌は結構かんたんに損なわれてしまう。だから当たり前のことだけど、自分の中にはいろんな自分たちがいて、その全ての自分たちを慈しんでほしいと願っている。
D.Liveはそんなに器用じゃないから、某大物プロデューサーみたいな時代の空気を読んだ曲はつくれないし、流行りの歌も歌えない。
多分、子育て・教育シーンだったらオンラインツールの活用法がトレンドなんだろうし、福祉だったらアウトリーチやコロナ禍で浮き彫りになった課題にどう対応するかが喫緊のトピックなんだと思う。
でも、それらについてD.Liveが一家言を持っているわけじゃない。
D.Liveが言えるのは、周りと比べて自分が嫌いになる子どもがいることや、大学に入って急に自分で考えて行動することを求められて悩む学生がいること。
それに、いい子の仮面をかぶって言いたいことが言えずにいる子どもがいること。学校に通っている同級生と同じような普通の人間になりたいけど、そうなれなくて苦しんでいる不登校の子どもがいること。
そんな、いつの時代でも起こっている子どもの悩みや困りごとは、個人の責任じゃなく社会システムの瑕疵によって起こっているから、「自分は自分であっていい。自分のいいところも悪いところも受け容れられる。そんな態度や気持ちを育める社会をつくりませんか」というメッセージだけだ。
なかなかリアルでD.Liveのメンバーに会いにくい状況なので、距離を感じやすい気持ちもわかる。以前のようにはいかなくても、なんとか話せる機会を作ろうと準備しているのでもう少し待ってほしい。
「一回問い合わせしたけど、もう相談には乗ってくれないかな」と遠慮しないでほしい。ありがたいことに、継続した寄付や募金キャンペーンのおかげで、人員も少しずつ増えているからご相談も受付やすくなっている。
保護者も、社会人も、学生も関係なく、かつてD.Liveと関わりがあった皆さん。どうぞ、気にせず、なんの遠慮もなく、大した話じゃなくてもいいので、ご連絡ください。D.Liveはすごく喜びます。