コロナ禍の通勤電車で思い出した「ひといちばい敏感だった小学生のときの自分」のこと

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妙な疲れを感じた1日でした。

4月、まだ桜が咲いているころを最後に、必要な買い物以外の外出が完全になくなって2ヶ月。先週ひさしぶりに電車に乗って職場へ出勤しました。当然2ヶ月ぶりの電車ということになるのですが、帰路に久しぶりに電車内で本を読んでいても、これまで感じたことのない疲れがありました。

それは、ひどくクタクタで今すぐにベッドに倒れ込みたい、というわけではない。かといってまったく疲れていないわけでもない。なんかぼーっとした、妙な気だるさとともに僕は本を閉じて、最寄り駅で電車を降りました。

実は職場へ出勤するにあたって僕の中には楽しみと同時に「大きな不安」がありました。

ひといちばい敏感な特性を持つHSP(Highly Sensitive Person)である僕は、電車であれどこであれなんでも「気にしてしまう」人間です。たとえば僕は風船が大の苦手なのですが、ある日電車に風船を片手に子どもが乗ってきたのを見かけた瞬間、大慌てで席を立って車両を変えたこともありました。

ご存知のようにいま、新型コロナウイルス感染対策として、電車内やお店などでは極力マスクを着用するよう呼びかけられています。もうすっかり暑い時期になりましたが、悪く言えばマスクを着用しないと何かこう良くないことをしているようにすら見えてしまう、そんな世界になってしまいました。

だからこそ、僕は、「マスクをしていない人」のことを必要以上に気にしてしまうのではないか、それ故に疲労困憊になって帰宅するのではないか、と久しぶりの出勤の数日前からずっと考えていました。

先に書くと、この不安は半分杞憂に終わりました。「半分」というのは、気にしすぎたせいなのか、はたまた2ヶ月ぶりにきちんと他人と会話したことによる気疲れなのか、前述したように「これまで感じたことのない疲れ」が残ったからです。

長時間のマスクの着用はかなり負担です。仕事中に何度もマスクのヒモに引っ張られた右耳に激痛が走りました。そして退勤すると外の暑さでマスクの内部が蒸れてすぐにでも外したくなる衝動に駆られます。すでにマスクを着用しての熱中症の危険も指摘されていますが、これは思った以上に苦痛です。

いますぐマスクなんか外したいくらいなのに、それでもなお、どうして僕はマスクをしていない人のことを気にしてしまうと思ったのか。

少し前に、店でマスクをしていない客に違う客が「マスクをしろ」と怒鳴りつけている光景を目撃した、というツイートを立て続けに目にしました。前述しましたが今はいろんな場所で「マスク着用」を呼びかけられています。店によっては「マスクがないと入店禁止」というところもあるようです。

そんな外の世界に、今僕は誰にもしんどさを言い出せなかった小学校のころを重ねています。

小学校のころの僕は、決まり事や言われたことを痛いほど守ろうとする子どもでした。ほかの子がその言われたことを守ろうとしない姿に憤慨したことはもちろんのこと、「先生同士で言っていることが違う」と言う状況に対してもすごく敏感に反応していました。

後年になってたまたま電車で小学校のときの先生にお会いした際も「ヤマモトくんは本当に正義感が強かったよなあ」としみじみ言われたのですが、それは「決まり事を守らない」ことに対して先生が怒る状況が本当に嫌だったので、だったら先に自分から怒ればいい、という思考があってこその行動でした。

僕のひといちばい敏感な特性は子どものころから変わっていません。こうした正義感の強さは「ひといちばい敏感な子ども」HSC(Highly Sensitive Child)の特徴のひとつとしても挙げられています(明橋大二『HSCの子育てハッピーアドバイス』1万年堂出版より)。

大人になった今では、アレルギーなどの都合でマスクをつけるとかえって危険な人がいるという知識もあるので、さすがに「マスクをしろ」と言う気は微塵もありません。しかし、前述したマスクをしない(できない)人へ「マスクをしろ」と怒る人がいるという恐怖は、いまだ心の奥底に常にあります。

だから、僕はマスクをしていない人のことをどうしても気にしてしまうのです。

余談ですがこの翌日はなかなか朝起き上がることができませんでした(ちなみに絶対そうなるだろうと見越して翌日はわざとオフにしていました)。「これまで感じたことのない疲れ」は、自分がそのとき想像していたもの以上にしぶとい敵でした。

それと同時に、こうした「周りを気にしすぎるが故に疲れてしまう」子どもたちも多いのではないか、とも感じました。

さすがに電車通学をしている子どもたちは少数だと思いますが、ただでさえ「密」になりやすい教室で毎日長時間過ごすことへの恐怖を感じている子どもは少なくないと思います。そんな中で、きちんとマスクを着用できていない子が気になるという状況があってもまったく不思議ではありません。

先日、副代表の得津が書いていましたが、「再開した学校はこれまでの学校とは違っている」のです。つまり、いままで考えられなかったところから感じるストレスというものが、このコロナ禍における学校現場で次々生まれています。HSCであってもそうでなくても、気にする子にとっては地獄です。

先々月、YouTube「ホリエモンチャンネル」に出演されていた感染症の専門家の先生が、「コロナを収束させるひとつの手段は、世間がコロナを受け入れること」とおっしゃっていました。この意見は本当にそのとおりだと思います。そして、今のこの状況は、とても世間が受け入れたとは思えないのも事実です。

なので、この「気にしすぎて疲れる」のは、世間がコロナを受け入れるそのときまでずっと続くのだと思います。

だからこそ、ソーシャルディスタンスや「三密」を必要以上に気にしすぎ、すぐに疲れて朝なかなか起き出せない子どもたちの心情を慮ると、僕もつらい気持ちになってきます。いま子どもたちに求められているのは、「毎日きちんと学校に通うこと」ではなく、

新型コロナウイルスとどう向き合いながら、学校へ通うか

ということでしょう。そのためには、「1週間に1度学校を休む」と言う選択肢があってもまったく問題ない、と、僕は考えています。それで「気にしすぎる」ストレスが少しでもラクになるのであれば、ものすごい価値のある休暇になりうると思います。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。