不登校の気持ちは、新型コロナ騒動から見えてくる

毎日のように新型コロナウイルスについて報道がされている。
学校は休校になり、在宅で仕事をする人も増えた。
いつも混雑している店がガラガラになり、電車も空いている。
トイレットペーパーがなくなり、マスクも品切れ。
デマも飛び交っている。
このコロナ騒動、人々にとってなにが一番の問題かというと、“分からない”ということだ。
ウイルス自体よく分かっておらず、どのような対策が有効かもまだ不確定。
今のところ、「手をよく洗いましょう」「換気をしっかりしよう」「人が触っているところは、あまり触らないでおきましょう」「人混みは避けましょう」くらいしかない。
少しずつ分かってきているものの、不確定な情報も多い。
「夏になれば沈静化する」などとも言われていたが、どうやらそうでもないらしい。
ヨーロッパ全土に広がり、入国禁止にする国も出てきた。
毎日のように最新のコロナニュースが報道され、どこの県で何人が感染かたかも逐一報告される。
不安は増し、「自分もかかるのではないのか」という恐怖でしんどくなってくる。
先行きは見えず、これからどうなってしまうのだろうと暗雲たる気持ちになる。
今、人々が感じている不安感は、不登校の子が抱えている気持ちと同じようなものだと僕は思う。
学校へ行けず、このままどうしよう……。
ずっと自分は引きこもってしまうのではないのか?
不安な気持ちが胸に渦巻き、気力を奪い去ってしまう。
「学校行っていなくて、気楽ね」みたいに思われることもあるけれど、そうじゃない。
不登校は、苦しい。
ただ、ただ苦しい。
でも、この苦しさは、なかなか理解されない。
保護者にすら分かってもらえないときがある。
多くの保護者さんが、不登校の子が家で楽しそうにゲームしているのを見るとイライラすると言う。
しんどいだろうという気持ちは察することが出来ても、やっぱり心のどこかで、「ガンバれよ」とか「気合いいれろよ」とか思ってしまう。
ツライ気持ち、苦しい気持ちは、どこまでいっても当事者にしか分かることは出来ないのだ。
「ストレスがたまるので、出来るだけ公園などで遊ぶようにしましょう」と、専門家の人が言っていた。
そう。家にずっといると、ストレスがたまるのだ。
不登校の子たちは、家でずっと楽しそうにしている。ヒマを満喫していると思われている。
けれど、不登校の子には、見えない檻がある。見えない鎖がある。
出たくても、なかなか出られない。
家のほうが楽しいというよりは、家が安全だから外へ出ないだけ。
選択肢がないから、家にいるのだ。
学校でイヤなことがあった。友達関係で失敗した。コミュニケーションに自信がない。
悲しい経験。失敗した過去。様々な後悔。
負の出来事、負の感情が渦巻く社会の中に入っていくのは、彼らにとって恐怖以外のなにものでもない。
まるでウイルスが蔓延している社会のように。
不登校の子たちは、現実逃避をしているように見えるだろう。逃げている。やる気が足りない。そんなふうに見られる。
たしかにそのような部分もあるかも知れない。
けれど、彼らは不安なんだ。
怖いのだ。
「感染してしまうのでは?」という不安から、人混みを避ける人々のように不安を感じている。
無理やり学校へ行かせる人がいる。
家が居心地が良いからダメなんだと言う先生がいる。
でも、それは違う。
「コロナを怖れているから感染するんだ。気合いを入れたら、そんなものにはかからない」と言っている人をみると、「いったいなにを言っているんだ?」と思うだろう。
ただ、残念ながら不登校に関しては、まだまだこういう人が少なくない。
学校へ行けない子たちは、それぞれが静かに戦っている。
誰にも理解されず、分かってもらえず、孤独に戦っているのだ。
見えない不安という敵と格闘をしている。
不安に支配され、自暴自棄になることもある。目を背けたいと思い、ゲームにのめり込むこともある。
大人として、学校へ行けない子をほおっておくことは出来ないし、心配にもなるだろう。
けれど、これだけは分かって欲しい。
彼らの敵は、不安だ。
不安に思う気持ちが、なによりの敵だ。
大人が出来ることは、子どもの不安に寄り添い、気持ちを理解してあげること。
そして、出来るだけ不安が小さくなるように、配慮をして、少しずつ不安と戦うチカラをつけていくこと。
逃げていては、いつまでたっても戦えない。かといって、いきなり強敵と戦うと心が折れてしまう。
少しずつ、少しずつ。
そうすれば、きっと希望の光が見えてくる。