僕たちは、不幸な時代に生きているのかもしれない

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「封建社会のほうが幸せだったのでは?」

今、受講している社会人大学の講義で教授が言った。

僕は、聞いていて「たしかにそうかもしれないな」と思った。
江戸時代は、身分は固定されていた。士農工商。受ける教育も違った。
戦争もないから、武勲をあげることもなく、下剋上もない。

武士は、経済や社会を学ぶ。
農家は、農業をする。
商人は、数字を学ぶ。

みんな自分の世界があり、それぞれが自分の生き方に疑うことなく生きていた。

羨ましいと感じていたこともあったかもしれない。でも、選択肢はなかった。たしかに選択肢がないことは不幸だ。身分差別により、苦しんだ人もいるだろう。

ただ、自由になったことで、みんなが幸せになったかというと、そうとも言い切れない。

今、僕たちはとても不幸な時代に生きているのではないかと、僕は思っている。

情報があふれ、僕たちはなんにでもなれる。選択肢は無限にある。

小学生でも億を稼ぐことも不可能ではない。中卒でも、フリーランスとして生きていくこともできる。バイトをしなくても、クラウドファンディングで世界一周のお金を集めることも可能。

これまでは、お金を稼ぐといったら、就職するか起業するかしかなかった。

今は、働きながら起業することもできるし、副業も出来る。なんだってできる。

昔は、農家なら農業のことだけを考えればよかった。余裕がなかったということもあるけれど、武士や商人のことなんて関係無い。自分たちが生きるため必死で働いていた。

今の時代は、他の人たちの生活や行動がSNSですべてみることができる。情報はスマホをとおして、いくらでも手に入る。

すると、どうしても比較をしてしまう。

「自分は、どうだろう?」と。

幸福感は、相対的なもので決まる。

みんなが年収200万円だったら、自分が300万円だとしても幸福を感じる。でも、周りが年収500万円だったら、300万円だと不幸と思う。

キラキラした情報ばかりを見ていると、ほんとうは幸せなはずなのに、僕たちは不幸を感じる。

食うのに困らない。綺麗な水もある。教育も受けられる。恋愛や結婚も自由。好きな仕事に就ける。これだけ僕たちは自由なのにも関わらず、とても窮屈に感じて、生きるのがとてもしんどい。

結果、どんどん自己肯定感は下がっていく。

今更、封建社会に戻ることはできない。僕たちは自由を知ってしまった。選択肢がたくさんあることが当たり前だ。

Youtubeには無限の動画が溢れているのに、「見たい動画がないなぁ」なんて言ってしまう。

悲しいかな、これからもこんなしんどい社会で僕たちは生きていかなくてはならない。情報が溢れて、比較が蔓延する、この社会で。

不登校が増え続けているのも、こういう社会の閉塞感が一つの原因だと思う。

国民総中流。Japan as No1 は、もう過去のこと。

気がつけば、僕たちがさんざんバカにしていた中国のほうが電化製品で優秀な製品をつくるようになっている。
今、大きな格差が生まれていると僕は思う。

それは、「意欲の格差」だ。

なんにでもなれる時代。
自分でやることを決め、自分なりの方法で取り組んでいく必要がある。

学校へ行かなくても、スマホやインターネットさえあれば勉強はできる。

やる気さえあれば、なんだってなれる。

自分なりの目標がある人は、どんどん成長していくことができる。でも、やりたいことがない。ガンバることができない子は、どんどん置いていかれる。

いつからか、「自己責任論」が叫ばれ、「ガンバれないヤツが悪い」なんて言われるようになってきた。

不登校や鬱への理解はだいぶ浸透してきたものの、まだまだ「甘えている」「ガンバれない本人に問題がある」なんていうふうに思われている。

こんなしんどい社会。
10年間、活動をしてきてあらためて自己肯定感が重要だと思う。

自己肯定感は、土台だ。

「自分が自分であって大丈夫」と思えること。

今、自己肯定感という言葉がプチブームになっている。でも、このブームは危険だなと僕は思っている。

結局、「自己肯定感が低いヤツはダメなことだ」という風潮になっている。

高いことが良いことで、低いことが悪いことだとみんなが思う。

自己肯定感は、低いとか高いとかそんな数字で表すことができるものじゃない。どんな自分であっても、自分でいいよね。って受け容れられることが自己肯定感だ。

自己肯定感が持てないと、自分を受け容れることができない。自分を受け容れられないと他人を受け容れられない。

自己肯定感が持てないから、誰かを傷つける。いじめが起きる。

江戸時代、多くの人たちは「自分は自分であって大丈夫」と思っていただろう。だって、比較することがないし、選択肢がなかったから。

あの時代が幸せで今は不幸だと一概には言えないだろう。でも、情報化社会と自由によって、僕たちは逆に不自由さを覚えているのは事実だ。

じゃあ、僕たちはどうすればいいのだろう?

自己肯定感が持てない人たちはなにをするべき?
自己肯定感が低い子どもたちに対して、大人はなにができるのだろう?

「比較しないこと」が理想だろう。

ミニマリストのように、モノに縛られることがなく、多くのモノを手放すことで心の平穏を取り戻すことができる。

ただ、ほとんどの人は、難しいだろう。

じゃあ、どうするか?

僕は、味方をつくることだと思っている。味方とは、「ありのままの自分を受け容れてくれる人」だ。その人がいるかいないかで人生は大きく変わってくる。

そして、誰よりもまず、自分自身が誰かにとっての“味方”でいること。

子どもの味方でいる。誰かの味方でいる。

評価せず、判断せず、比較せず。ただありのままを受け容れられる人になれるか?

それが出来るか出来ないかで、この生きにくい社会で幸せに生きていけるかどうかが決まるのではないか? なんて僕は思う。

自己肯定感が低くてもいい。
自信がなくてもいい。
勉強が出来なくてもいい。

どうしようもない自分であっていい。

そんな自分をありのまま受け容れてくれる人がそばにいれば、それでいい。

(この話しに関することを『子どもの自信フォーラム』ではなしました。動画はこちら)

 

 

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田中 洋輔

田中 洋輔

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒 中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。 しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。 野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。 浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。 友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。 フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。 京都新聞にして子育てコラムを連載中。 詳しいプロフィールはコチラから