HSPの人も、不登校の子どもたちも、存在しなければ社会が成り立たないと思う理由

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先日、HSP(Highly Sensitive Person:過度に敏感な性質をもつ人たち)の当事者研究会に参加してきたのですが、そこでこんな声があがりました。

HSPの人が多い環境と少ない環境、どちらが良いのか?

もともと研究会のテーマが「働くこと」ということで職場環境の話になったのですが、非HSPの人ばかりの環境でほかの人が持ち合わせていない敏感さを活かすべきか、はたまたHSPが多数派という環境のほうが落ち着くのか。正直な話、こんな観点でHSPを考えたことはなくて新鮮な問題提起でした。

残念ながら時間の都合でこの話題を深堀りすることができなかったのですが、僕は多いか少ないかという観点以前に、「組織(環境)において、HSPの人たちは絶対に必要な人材である」と考えています。

これは、少し大げさに言えば「種の保存」という点にも関わるところです。

以前読んだ本に書いてあったのですが、この世の中には「外向型」の人間が8割、「内向型」の人間が2割いるそうです。圧倒的に少数派の「内向型」は、ちょっとしたタイミングで8割もいる「外向型」に食われてしまってもなんらおかしくはありません。

しかし現実世界として、わずかながら「内向型」の人間が存在するわけです。それはなぜか。

仮に世の中の人間が全員外向的であれば、その外向的な人間が苦手な、不得意な状況に出くわしたときに誰も解決できなくなる、というリスクが生じるわけです。これはいかなる動物にも言える話で、集団で同じ行動を取るとひょんなことで全滅してしまう危険があります。

飛行機では機長と副操縦士は必ず違う食事を取る、というルールがあるというのは有名な話です。もしもこの2人が同じものを食べて体調を崩したら、最悪の場合その飛行機が墜落して乗っている人間が全滅してしまうことになりかねません。それほど「同じ行動を取る」というのはある意味危険なことなのです。

僕が「組織(環境)において、HSPの人たちは絶対に必要な人材である」と考えているのは、そこです。

HSPの人たちは、かなり物事を深く考えることがあります。僕自身もそうなのですが、買い物ひとつ取ってもあらゆる情報を取り入れて深く深く思案します。それは傍から見れば「優柔不断」の4文字で片付けられることなのですが、時としてこの物事を深く考えることが命運を握ることもあるわけです。

非HSPの人たちが鈍感で深く考えていないと言っているわけではないのですが、あらゆるセンサーに敏感で物事をどこまでも大きく深く考えるHSPの人たちの特性は、組織の中で大いに役立つ能力ではないでしょうか。

そして、冒頭で話題になった「HSPの人が多い環境と少ない環境、どちらが良いのか?」については、これは正直職場によりけりなのではないかと思います。

かなり慎重な判断を迫られるところであれば深く考えるHSPが多いほうが良いと思いますが、だからといって全員HSPという集団も、程度こそあれどここまでさんざん説明してきた「種の保存」という観点において大きな危険性を持ちます。

ただ、僕個人で言えば、圧倒的にHSPの人が少ない環境のほうが居心地は良いです。なぜなら、僕のような人間が何人もいるような環境は「ちょっとなぁ・・・」と思いますし、集団に属する場合僕はよく唯一無二の存在、というポジションを狙いに行く傾向があるからです。

さて、この「種の保存」という点で考えれば、僕は「不登校の子どもたち」という存在も絶対に必要不可欠な人材である、と考えています。

当たり前ですが、不登校の子どもたちは圧倒的に少数派です。しかし、みんなと同じように学校に通うという選択肢を取らない子どもたちは、ある意味で学校という外敵から自分を守っているということが言えます。これはまさしく「人間の本能」による行動だと言えます。

何度も言いますが、本来「同じ行動を取る」というのはある意味危険なことです。それは「学校に通う」ということでも同じことが言えると思います。学校でなくても、「なんとなく行かない」という判断が思わぬ不運を避けたり、幸運をもたらしたりすることも人生においてよくある話です。

「なぜ学校に行けないの?」という問いに対して「わからない」と返答する不登校の子どもたちはまったく珍しくありません。実際に「わからない」のだからそれはしょうがないことなのです。「学校に行くのは危ない」という言葉にできない危険を、子どもたちが察知しているサインなのです。

僕には「人と同じことをするのが苦手」という長所があります。先日も書きましたが、小学校での楽しい思い出は、合奏で大太鼓を叩いたことや指揮者として前に立ったことなど、そのほぼすべてが「人と違うことをした」という体験です。大人になってからもなるべく同調圧力から逃げてきました。

それは、「みんなと同じことをすると危ない」という僕自身に隠されていた本能だったのかもしれません。

HSPも、不登校も、この人間という種を保存するためには必要な人種なのです。たとえ少数派であっても、人よりも敏感さが優れていたり、みんなが集まる学校という場所をあえて回避することによって、自らを守ってひいては人間そのものが生き残れるように本能的な動きを見せている。

こうした考え方も、HSPや不登校の行動を理解する一助になり得ると僕は思います。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより過度に敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の極度な繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。