「こんな自分でも、こうして楽しく働いているんだぞ」という背中を、子どもたちに見せ続けたい

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こんなヤツがひとりくらいいたっていいだろう」。

僕はこんなことを思いながら、日々学校で、弊団体の教室で子どもたちと接しています。

これは何度か書いたことですが、僕は子どもたちと接する上で、7割がた「上下関係」というものを捨てています。別に敬語を使うことを強制していませんし(かといって敬語で接してくる生徒に「敬語を使わなくていい」とも言ってませんが)、生徒たちからあだ名で呼ばれることもあります。それもOKです。

こういう距離の近い接し方をすると、とくに上下関係をきちっとわきまえている学校の先生なんかはものすごく冷ややかな目を浴びせてくるだろうとも思ったりしますが、いまの環境にいる以上はこのスタンスを崩すつもりは毛頭ありません。それには2つの理由があります。

1つは、たとえ進路や人間関係などでしんどい思いをしていても、自分と関わっている間くらいはそれを忘れて楽しくいてほしいと思うから。そしてもう1つは、「こんな自分でも、こうやって自分なりに楽しく働いているんだぞ」という姿を生徒に見せたいから、です。

僕はこれからを生きる子どもたちに、もっといろんな大人の背中を見せなければならないと思っています。それは、物事を完璧にそつなく大人はもちろん、僕のようにちょっと抜けててドジを踏むような大人の背中も見せる必要があると思います。

先日内閣府が発行した令和元年版「子ども・若者白書」において、日本の若者の自己肯定感がかなり低い水準であることが明らかにされました。

白書では、2018年11~12月に満13~29歳までの男女を対象に実施した「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」の結果を特集している。これによると、自分自身のイメージについて、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した日本の若者の割合は、「自分自身に満足している」が45.1%、「自分には長所があると感じている」が62.3%だった。

同時に実施した韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンの若者の回答と比較すると、もっとも低い実態にあったほか、2013年度の調査からもさらに低下していた。

また、「自分は役に立たないと強く感じる」という日本の若者は、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」を合わせて51.8%。諸外国との比較では、ドイツ、フランス、スウェーデンより高かったが、アメリカ、イギリスよりは若干低く、韓国と同程度だった。内閣府では「日本の若者の自己肯定感の低さには自分が役に立たないと感じる自己有用感の低さが関わっている」と分析している。

引用:若者の自己肯定感、国際比較で最低水準…子ども・若者白書 | リセマム

正直、僕も「きちんと働けるんだろうか」と、今だから言いますが20歳を半ば過ぎても思っていました。

同調圧力が嫌で就職活動をやりませんでしたが、だからといって「働く」ということから逃げられるわけではない。お金を稼がず生きていけるわけではない。そして何より、僕は「週5~6日、同じところで働くのがしんどい」上に「お金をもらうことが大の苦手」な人間でした。

このことは、成人してからずっと自分を苦しめつづけてきました。

おそらく、ちょっとボタンの掛け違いがあったなら、30歳を目前にした今でも働くということに前向きになれず、自分は何をやっても役立たずな人間だ、と思っていたかもしれないとよく感じます。

それが、教員免許を取って学校現場で働くようになってから、苦手だった「お金をもらうこと」を徐々に克服して、いまでは職場環境にも助けられてとても楽しく充実した日々を過ごしています。少し前の僕は「働く」ということを難しく考えすぎていたのだな、と今振り返って思います。

僕は職場では、しかるべき範囲で「自分」というものを見せています。うっかり階段でつまずいたりもしますし(これは不注意ですが)、苦手なものはハッキリと苦手だと言います。とくに階段でつまずくとよく生徒の目に入って笑われることもあるのですが、「見なかったことに!」などとよく取り繕っています。

それは、「こんな自分でも、ここで楽しくこうして働いているんだぞ」というアピールにほかなりません。

前述しましたが、僕は生徒たちからあだ名で呼ばれることもあります。だいたいの生徒が「ちょっと聞いてぇなー」などとくだけた表現で僕に接してきます。それを咎めたことはありませんし、咎めるつもりもありません。

中には「雰囲気がおもしろい」などと言う生徒もいますが、僕は(自分で言うのもおこがましいですが)こういう存在は絶対に学校現場では必要な人材だと思います。

いろんなタイプの先生と出会えれば、それだけ、自分を承認し信頼してくれる先生に出会える確率も高まります。だから学校には、できるだけいろんなタイプの先生がいたほうがいいし、いろんな先生と出会える機会があったほうがいい。わたしはそう思います(もちろん、ひどい暴力教師など、生徒を心身ともにひどく傷つけるような教師は論外ですが)。

引用:苫野一徳(2013)『勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方』日本評論社

 もちろん、僕が子どものころあれだけ怖れていたコワモテの先生というのも、必要な存在なのかもしれません。しかし、みんながみんなコワモテの先生ならば、その学校は楽しいのでしょうか。少なくとも僕は先生全員の顔色をうかがう必要がありそうで非常に疲れてしまう学校だと思います。

コワモテの先生がいい、話しかけやすい先生がいい、生徒が求める「先生」のニーズはびっくりするほど多種多様です。上記で引用した熊本大学の苫野一徳先生のこの記述は非常に鋭く、また自分のスタンスを肯定してくださってるような気がして、とても勇気づけられる一節です。

前述しましたが、日本の若者の自己肯定感は諸外国と比べてかなり低い水準です。とりわけ、「自分は何の役にも立たない」と感じている子どもたちが半数もいます。

僕は、あまりにその子どもに関わる周りの大人が「完璧」を促していたり、なんでもソツなくこなす姿「しか」見せていないのかもしれない、と、このデータを読んで感じました。もちろんこれは僕の仮説ですが、実際に今の社会は「完璧」じゃないと許されないような、そんな雰囲気すら感じます。

ここまで書いたとおり、僕は生徒に「完璧じゃない姿」をよく見せています。失敗すれば謝りますし、先述したようにドジを踏んで笑われることもしょっちゅうです。でも、逆に、社会はうまく工夫すれば僕のような人間でも働けるのです。完璧じゃなくても働けるのです。

そんな思いで、僕はこれからも子どもたちに背中を見せ続けます。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。