子育てに正解がないからこそ、我が子のいない自分も子育てしているのかもしれない

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最近、僕も「子育て」しているのかもしれない、と思うようになりました。

いや、厳密に言えば、「これも『子育て』なのだな」と思うようになりました。

僕ぐらいの年代になってくると、すでに小学生の子を持つ親になっている同級生もいますし、なんなら学生時代の後輩が育児に大忙し、ということも珍しくありません。TwitterやFacebookなどのSNSを見ていると日々かわいい子どもの写真が流れてきます。

ところが僕自身はまだ結婚していませんし、もちろん子どももいません。親戚に子どもはいますが年に数度会う程度です。これだけ書けばいったいどこが子育てなんだ、と言われるかもしれませんが、僕の中では「子育て」をしている感覚が心のどこかに芽生えているのです。

子育て、というと、日々Twitterを眺めているとなかなか子育てに参加してくれない夫の愚痴、そして思うようにご飯を食べてくれない、ワガママが強い・・・など、子どもの困りごとがわんさか見られます。こういう話を聞くたび、本当に子育てというものは大変なんだなと実感します。

たしかに、前述の通り僕には子どもがいないので、日々子どものわがままに接しているわけではありません。配偶者が子育てに参加してくれない、という経験をしたわけではありません。にもかかわらず、どうして「僕も子育てしているのかもしれない」と思うようになったのか。

それは、少し前にこんなツイートを目にしたからです。

これまでの職場で、急にお子さんの体調が・・・と、同僚が早退されることがよくありました。そんなときは、「僕のほうでやっておきますよ」と率先して同僚の仕事を受け取り、安心してお子さんのもとに向かうことができるように心がけていました。このスタンスはいまも変わっていません。

それが、実はひとつの「子育てに参加している」ということなんだ、というのが上記のツイートです。僕はこれを読んで、「あ、自分も『子育てに参加』しているじゃないか」、と思わずハッとしました。

そして、こうした間接的とも言える子育てであれば、いま独身の人でも、まったく無意識のうちに子育てに参加しているんじゃないか、とも思いました。

実際にお子さんの急病で早退された同僚の代打を買って出たときは、一段落してから報告をその同僚へ送ると「おかげで子どもにつきっきりでいることができました。本当に助かりました」という丁寧な返信をいただきました。それに思わずホッとしたことをよく覚えています。

僕自身は高校で教員をしながら、弊団体D.Liveの各事業で小中学生とも関わっています。そして、ほかの団体さんが主催するイベントに顔を出せば、たまに小学生や未就学児童の遊び相手になることもあります。つまり、どちらかといえばかなり直接的に、しかも幅広い年代の子どもたちと接しています。

この、親戚でもない子どもたちの遊び相手になることも、広い意味で子育てにあたると思います。

しかし、子育てはそれだけではありません。もちろん子どもの食事や睡眠など、いわゆる生活全般の面倒を見るお父さんお母さんのような役割だけでもありません。関わろうと思えば、どんな形でも誰でも子育てに携わることができます。

とくに社会が大きく変化して両親共働きの家庭が増えるなど、男女関係なく働いたり外の世界で活躍する機会が大きく増加している現代だからこそ、この「間接的な子育て」というものは、なお一層重要視されるものになるのではないか、と感じます。

子育てに正解がない、というのはよく言われる話です。

暴力だとか、子どもたちを追い詰めたり傷つけてしまうことを目的とした接し方は当然論外ですが、子どもの育て方、育児のコツ、みたいな本を読んでも、その意見が千差万別なのは明白です。この本で肯定されていたことでも違う本では否定されている。そういった一節を読むたび、正解のなさを実感します。

僕自身も、子どもと関わっているときには間違っても「これが絶対に正解」だとは思っていません。たとえば教員として仕事をしているときはよく生徒との会話に入ったりもしますが、これも人によれば「もっと生徒と距離を取ったほうがいい」などと思うんだろうなあ、ということは頭の片隅に常に置いています。

ただ、その「生徒と距離を取ったほうがいい」という声が正解というわけではありません。もっというと、これまで取り上げてきた「間接的な子育て」が正しいのか、そもそも存在するのか、という意見があるのも確かでしょう。

だからこそ、いま子育て中のお父さん、お母さんには、もっともっと周りの環境に甘えて頼ってほしいと思うのです。「正解がない」からこそです。いくら正解がないからと言って、少なくとも子育てはお父さんとお母さん、たった2人でどうにかなるものではないのは、確かです。

そして、身の回りに子どもがいない人であっても、僕や先に取り上げたツイートのように、子どもを持つ同僚の仕事を緊急で引き受けるなど、いくらでも子育てに参加できる機会があるのです。そういう意味では、この世の中に生きている以上、どこかで「子育て」をみんなしているのかもしれません。

たとえ直接子どもと関わっていなくても、ひとつの行動で誰かの子ども、そして親が救われるかもしれない。もちろん僕もそのことを意識して、たとえ我が子がいなくとも今日も子育てに参加しています。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。