「機嫌良く」過ごすことが、子どもたちの不安を取り除く第一歩

現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。引用:人生はミスマッチ – 内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2007/11/06_1021.html
僕が教員として通信制高校で働くことになったとき、ひとつ心に決めたことがありました。
「楽しそうにしていよう」。
このコラムでも何度か書いていますが、通信制高校は不登校を経験した生徒や、違う高校から転入してくる生徒も多い環境です。つまり、先生や学校という雰囲気に気圧されたり、不信感を抱いてやってくる生徒が珍しくありません。そんな生徒たちへ、自分にはなにができるだろうか?
もちろん、「指導」という形でハッキリと、きちんと、多感な時期を過ごす生徒になにか物申す必要のある場面があるかもしれない。だけど、基本は、努めて自分が「楽しそうにしている姿」を見せることで、相手(生徒)の不安を取り除いたり、楽しい雰囲気を自分から作っていこう。
そこでまずは生徒に「興味」を持つことからはじめ、明るく会話することを意識しました。上下関係は8割方捨てて、「教員と生徒」という立場を少しわきまえながらも、実際には生徒の目線に降りてちょっと気の良い兄ちゃんのような、いわゆる「ナナメの関係」を築くよう目指しました。
そして日々の授業はもちろん、合間の雑談や校内での小さな仕事、イベントごとなど、率先して僕自身がこの雰囲気を「楽しむ」ことで生徒が参加しやすく楽しめる空気を作るよう、なるべく心がけました。
時々ちょっとはしゃぎすぎたかなと反省したこともありましたが、僕を見ると「しゅん先生!」と満面の笑みで手を振ってくれたり、いろんな話をしてくれる生徒がたくさんできたのは、僕のやり方や考え方が少なくとも間違ってはなかったのかな、と振り返って感じます。
この僕の「楽しそうにしていよう」というモットーを、弊団体副代表の得津は「ごきげんでいる」という言葉で表現して、彼もまた子どもたちと接するモットーとして心得ています。そして文学者の内田樹氏もまた、記事冒頭に引用した文章のように、先生は機嫌良く仕事してほしい、と説いています。
僕はこの「機嫌良く仕事してほしい」というのは家庭にでも当てはまり、かつ「機嫌良く」の意味するところは「不安がないこと」ではないか、と思います。
北海道テレビの人気深夜番組「水曜どうでしょう」を手がけた嬉野雅道ディレクターのエッセイに、不登校の子どもにまつわる話があります。子どもがカウンセリングを嫌がり、それならまずはお母さんだけでも、としばらく母親だけカウンセリングを続けていると、ある日突然子どもが学校復帰したのです。
それはなぜか。嬉野ディレクターはこう分析しています。
お母さんは、ぼくのことを怒っていない、お母さんは、ぼくのことで悩んでいない、お母さんは、ぼくのせいで泣いていない、お母さんは元気にしている、お母さんには不安がない、ぼくの家には不安がない。そのことの目撃の繰り返しが、子どもに「自分には不安がない」と、いつか確信させたのかもしれません。その確信が、子どもの心から漠然とした不安を拭い去ったから、だから子どもは自分から学校へ戻ることができたのかもしれない。そう思うのです。
引用:嬉野雅道(2015)『ひらあやまり』KADOKAWA/中経出版 P25
つまり、カウンセリングによってお母さんの不安が取り除かれ、なんだか家で楽しそうに「機嫌良く」しているのを子どもが見ていたのでしょう。それで子どもの不安も取り除かれて、自分から学校へ戻ることができた。誰かが不安なく過ごしていると、周りの人間も不安なく過ごせるのかもしれません。
子どもは、大人の顔を本当によく見ています。たとえば父親と母親が喧嘩しているだけでも、「自分のことで喧嘩している」と、子どもが自分で自分を痛めつけることなど珍しくありません。ある人の不安が、その場にいる人たちの不安を煽ることは、僕ももう何度も何度も経験しています。
メジャーリーグでピッチャーとバッター、両方で活躍する大谷翔平選手の両親も「できるだけ夫婦喧嘩は子どもの前でやらない」ことを心がけていたそうです。子どもたちが気を遣うことを避けるために、絶対に翌日までは引きずらない。それが、大谷選手の人間性をも育んだことは間違いありません。
機嫌が良い、ということの大切さについてここまで書いてきましたが、24時間365日機嫌良く過ごすことは、まず不可能だと同時に思っています。
「楽しそうにしていよう」と思っていた僕でさえ、たとえば昨年6月の大阪北部地震直後の出勤は度重なる余震とデマ情報にナーバスになっていた時期でもあり、ものすごく不機嫌モードで出勤してしまいました。しかしそれを知ってか知らずか、生徒たちが逆に「機嫌良く」接してくれたのです。
「先生、地震大丈夫やったん?」と心配してくれる生徒もいれば、いつものように「ヒマでしょ?」と話し相手に指名してくる生徒もいて、僕はこの雰囲気にものすごく救われて徐々に機嫌を取り戻しました。自分が不機嫌なときは、機嫌の良い他人から機嫌を分けてもらうことも大事です。
まもなく2019年度がはじまります。平成最後のこのタイミングで新たに教員の職につく人もいれば、子どもが不登校になってしまう家庭も多いことでしょう。そのときはぜひ、「機嫌良くいる」ことを心がけてほしいと思います。そうすればきっと、目の前に道が開けることでしょう。