友達とうまく交流できないからって将来を心配しないで欲しい

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あれは確か小学生の頃。
母親とともにスーパーへ行ったとき。
なにを買おうかと物色していると、遠くのほうに、同級生らしき子を発見した。
僕は、とっさに隠れようとした。
すると、母親がそんな僕の様子を見て、「ちゃんと挨拶しなさい」と言った。

別に隠れる必要ないかもしれない。
会って挨拶をすれば良いのだろう。
でも、僕にはそれができなかった。
そして、その姿を見て、母親は僕をとがめた。

世の中では、友達と仲良くすることを、みんなと一緒に楽しくすることを強要してくる。

先生が笑顔で、「友達を作りましょう」などと言ってくる。

でも、ちょっと僕にはそれができなかった。
友達と仲良くするのはとても難しいことに覚えた。

スーパーで会ったとき、いったい何を話せばいいのだろうか。

ただ挨拶をすればいいと言うけれど、何を言えばいいのか、どう挨拶をすれば良いのか、いつ立ち去れば良いのか、考えただけでストレスだった。

ならば、初めから会わなければいい、いないことにすればいいので、僕は必死に隠れていた。

でもそれは、世間的に考えると、社交性がないと言うものらしい。

大人は、そういう子を見ると、「将来が心配だ」と言って、なんとか社交性を身につけさせようとする。

例えば、クラスに1人で本読んでる子に対して、「この子と友達になりましょう」と、先生が友達を紹介してくることがある。
本人からすれば、ありがた迷惑でしかない。

1人で本読んでるからといって、寂しいとは限らない。
自分もそうだったけれども、本の世界に没頭しているのであって、寂しいから本を読んでいるわけではない。

にもかかわらず、先生や大人たちが同情の目でこちらを見てくる。
そして、これがして欲しかったんだろうと言わんばかりに、友達という名の存在を勝手に差し向けてくる。

もちろん、寂しくて、かまって欲しくて、仕方なく本を読んでいる子もいるだろう。
友達を紹介してくれて「ありがとう」と思う子もいるかもしれない。

でも、ちゃんと知っておいて欲しいのだ。

世の中には、内向型と外向型がいる。

この世界で推奨されているのは、間違いなく外向型だ。

笑顔で挨拶をする。
ハキハキと話す。
初対面でも自己紹介ができる。
人と上手にコミュニケーションがとれる。

最低限の作法みたいに浸透しているけれど、内向型としては、すべてが苦痛で難しいことだ。

外向型の人ならば、スーパーで会った同級生に挨拶するなんて、動作もないことだろう。

でも、内向型の人間にとっては、できないのだ。

とにかく、しんどい。
僕は、自分が内向型のせいで、ずいぶんと苦しめられた。

なによりも、「明るくいるべき」「社交性を持つべき」という見えない社会のルールによって、しんどくなっていった。

スーパーで母親に怒られたあと、僕は落ち込んだ。

「あぁ、自分はダメなやつだなぁ」と思った。

みんなは友達とうまくやっていて、交流しているのに、自分はできない。

そんなことすらできない自分は、とても劣っている人間に思えた。

大きくなってからも、内向的な性格は変わらなかった。

とにかく苦痛だったのが飲み会。

なにを話していいのか。
なにをしたらいいのか。
誰に声をかけていいのか。

まったく分からず、ただ、ただ、徒労感を覚えて帰る日々だった。

大学生のノリも苦手だったし、グイグイくる人がとにかくダメだった。

自分のパーソナルスペースは絶対に確保したくて、そこから一歩も踏み込ませないようにしていた。

人と関わることでしんどくなる。
初対面の人と会うと緊張する。

本を読み、なんとか社交的になろうとするけど無理だった。

飲み会や初対面はみんな緊張しているから、大丈夫だ、みたいなことも書いていたけど、全然大丈夫じゃなかった。

数日、体が重くなるくらい、しんどくなるのだ。

仕方なく参加する飲み会では、ほとんどの時間をトイレで過ごしたり、外へ出て時間をつぶすようにした。

そうやって、なんとかやり過ごすようになった。

でも、そんな自分に対して、常に劣等感を持っていた。

自分はダメなやつで、社交性もないヤツだなぁと思っていた。
その気持ちが変わったのが、スーザン・ケインさんの動画を見てから、だ。

内向型というのを知って、「これ、俺やんっ!」と思った。

もう、まさに自分のことだった。

自分が悪いわけじゃなくて、そういう性格であり、特性だと知って、気持ちはとてもラクになった。

飲み会は、もうほとんど断るようにしたし、初対面で会うのはできるだけ拒否するようにした。

しんどくなるのを無理矢理克服するのではなく、しんどくなるのだから、自分なりにコントロールできるようにした。

今でも、電車で知っている人に会うとしんどい気持ちになるので、全力で隠れようにしている。

これまでは、罪悪感でいっぱいだった。

いい大人なのになにしているんだろう……と、思っていた。

でも、今はこの方法が自分を守る手段だと思えるようになった。
不登校の子は、内向型の特性を持っている子が多いなと感じる。

人見知り。
わいわい騒いでいるところにいけない。
うまく友達となじめない。

でも、やっぱり外向型の人が多くて、学校でも外向型が推奨されているので、内向型の子は学校ではしんどい思いをする。

「今のアナタはダメ!」と、失格の烙印を押されてしまう。

そうすると、自分はダメだと思って自尊感情が下がるし、学校がどんどんイヤになってしまう。

大人になってみて思うけれど、社交性がないとか、学校でうまく友達を作ることなんて、ほんとしょーもないことだと思う。

僕は、コミュニケーションが苦手で、電話も無理だ。

でも、今はメールで仕事ができる。
必要なことならば、誰とでも話すことができる。

今の性格で困ることはほとんどない。

楽しそうに飲み会へ行っている人を見ると羨ましいとは思うけれど、その程度だ。

内向型には、内向型の生き方があって、戦い方がある。

外向型がすべてみたいに決めつけないで欲しいし、内向型は「ダメだ」と決めつけないで欲しい。

内向型で、なにが悪い。

人によって食べ物の好き嫌いが違うように、なにが得意で苦手なのかは、人によって違う。

内向型は、人と関わるのが苦手なのに過ぎない。

内向型でも、問題はない。

自分らしく生きていこう。

内向型には、内向型にしかない良さがあるのだから。

 
参考 :
スーザン・ケイン「内向型人間の時代」感想 内向型よ、荒野に出よ、革新を行おう

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田中 洋輔

田中 洋輔

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒 中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。 しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。 野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。 浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。 友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。 フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。 京都新聞にして子育てコラムを連載中。 詳しいプロフィールはコチラから