このフリースクールには、どうやら秘伝のタレがあるみたいだ。

「すみません」
フリースクールの見学に来た保護者さんに説明をしているとき、僕はよく謝っている。
「うるさいですよね……」
にぎやか過ぎて、お互いの声が聞こえないときがあるのだ。
「あの子たち、学校行けていないんですよね……?」
そう聞かれることも少なくない。
僕たちがおこなっているフリースクール「昼TRY部」では、みんな楽しそうにしている。
(知らないけれど、他のフリースクールも同じような感じだと思う)
騒いだり、はしゃいだりしている。
僕は、この空間がとても好きで、落ち着くなぁと感じていた。
あぁ、いいな、と。
どうして、ここはこんなに楽しいのか?
考えてみて、スグに答えが出た。
僕たちスタッフ自身が楽しもうとしているからだ。
子どもたちより大きな声で笑い、はしゃいでいるのが他でもないスタッフたちの僕たちだ。
僕はよく子どもたちに「うるさい」と怒られる。
ここでは、スタッフであっても、一人の参加者であり、先生ではない。
ゲームで負けたら本気で悔しく思うし、叫んでしまうこともある。
小5の子と、ガチでスマブラをするし、負けたら、悔しさをにじみ出す。
たとえ子どもだろうが、本気だ。
僕たちは、子どもたちとガチンコで立ち向かう。
なぜかって?
そんなの答えは簡単だ。
そのほうが楽しいからだ。
大人に手加減されると、子どもはきっと腹が立つだろう。
なめられたと感じる。
少なくとも僕が子どもの立場だったら絶対にイヤだ。
対等のほうが、心地よい。
体験に来た子が、「田中さんに勝ててめちゃくちゃうれしかった」と言っていたけれど、きっと手加減していたら、そんな感想はなかっただろう。
笑いすぎて、子どもたちを見送るときには、「お腹痛い……」ってなることも多い。
子どもたちよりも大人のほうが楽しんでいるんじゃないかとすら思う。
不登校の子どもたちにとってなによりもイヤなことは、腫れ物あつかいされること。
可哀想な子。
しんどい子。
繊細な子。
様々なレッテルが子どもたちを苦しめる。
良かれと思う大人の関わり方が子どもを傷つけることもある。
だからこそ、僕たちは子どもを特別扱いしない。
どこまでも対等に接する。
もちろんイヤなことはしない。
グイグイ来るのがしんどい大人しい子には、無理にコミュニケーションを強要しない。
来ている子たちみんなが心地よい空間を作りたいから。
最近では、新しい子が来ると、先輩である子どもたちが率先して、コミュニケーションをとってくれる。
声をかけ、名前を聞き、一緒にゲームに混ざる。
使命感でもリーダーシップでもなく、自然にそんなことをしてくれる。
1人ではなく、何人もの子が、気がついたら、新しく来た子たちのところへ来る。
あまりにも自然に。
みんなでこの空間を作ってるなぁと最近、つくづく思う。
空気感や居心地の良さを来ている子どもたちと一緒になって作っているなぁと思うのだ。
きっと僕たちスタッフだけではこの雰囲気は出来なかった。
来ている子どもたちの1人1人が集まり、少しずつ出来てきたものだ。
継ぎ足して継ぎ足して作った秘伝のタレのように、マネが出来ない味になってきている。
楽しすぎるのか、居心地が良すぎるのか、最近の問題は、子どもたちが帰らないこと。
帰る時間になっても、「あのさぁ〜」と言って、全然帰らない。
「はよ帰れよっ!」と言っても、なかなか帰らない。
「大丈夫! お母さんに、乗り遅れたって言うたから」
「いや、なにが大丈夫やねんっ!」
そんなやりとりを毎日のようにしている。
フリースクールを始めるまでは、どうやって子どもたちの居場所を作ったらいいのか分からなかった。
カリキュラムをどうしたらいい?
なにをすればいいんだろう……。
分からないことばかりだった。
でも、今なら答えは見えている。
どうしていくか。
どうすればいいか。
どんな感じなのが良いのか。
迷ったり、悩んだら、子どもたちに聞けばいいのだ。
だって、子どもたちもこのフリースクールを作っている1人なんだから。
これから、ますます子どもたちは増えていくだろう。
生徒募集していることもあり、体験で来られるかたも最近多い。
僕は、これからをますます楽しみにしている。
秘伝のタレは、新しく来る子どもたちによってどんな味に変化するんだろうか。
どんな場所になっていくのだろう。
僕にはまったく分からない。
でも、一つだけ分かっていることがある。
それは、きっと、どんな人たちが来ても、ここは僕たちスタッフにとって、子どもたちにとって、ずっととても心地よい空間であり続けるってこと。
それだけは、きっとこれからも変わらない。