不登校経験者が「高校教員」と「NPO法人スタッフ」の両立に挑んだ1年間

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弊団体の教室「TRY部」で、年末のある日の授業前に「2018年の漢字」を生徒・スタッフともに発表する場がありました。僕は、A4用紙の左下に大きく、この1文字をしたためました。

」。

とにかく、今年は「挑」み続けた1年でした。「挑」戦の1年でした。

2018年、僕はひとつの目標だった「通信制高校の教員」という職業に就きました。

それ自体も僕の中ではとても大きな「挑戦」でしたが、それ以上にこの「NPO法人D.Liveスタッフ」という肩書きを保持したまま「通信制高校の教員」になる、つまり二足のわらじを履くということは、自分の中であまりにも壮大な「挑戦」でした。そのために、非常勤教員としての勤務を選んだほどです。

ところが、この挑戦は何度も頓挫しかけました。とくに仕事に慣れない5月~7月にかけては、「D.Liveスタッフ」という肩書きを一度外したほうがいいのではないか、とひとり考えるほど、学校での仕事に忙殺される日々が続きました。毎日学校で働いていないにもかかわらず、です。

実際、「毎週水曜日」という取り決めだったこのD.Liveブログでのコラム執筆も滞りましたし、毎週木曜にお届けしているメルマガでの連載コラムも続けられなくなり、断腸の思いで休載させてもらうほど、あらゆる余裕を失っていました。

振り返れば僕は子どものときから「環境に慣れる」ことが大の苦手でした。それも遠因で不登校になったとすら思っています。大学時代の一人暮らしにようやく自分で「慣れた」と感じるまで2年以上も費やしました。この5月~7月は仕事のちょっとしたミスも多く、叱られるたびにひどく凹んでいました。

やっぱり、D.Liveか学校、どちらか一本に絞るべきなのではないか。

心が折れかけたある日、僕はある本と出会うことになります。

ホリエモンこと堀江貴文氏は、著書『多動力』(幻冬舎)の中で「3つの肩書きを持てば、自分の価値が1万倍にもなる」ことを強く説いています。そして、コツコツとひとつのことをやり続ける時代はもう終わった、とも断言しています。

実際に堀江氏は、実業家であり、コンサルタントであり、プログラマーであり、作家であり、コメンテーターであり・・・と、とにかくたくさんの自分の肩書きや活動をこの本で列挙しています。それを読んで、僕は堀江氏の生き方やライフスタイルに素直な羨ましさを感じました。

もともと、僕はひとつの場所やモノに固執することがすごく苦手です。常にいろんなチャンネルをもっておきたい、いろんな場に関わっていたい、という思いを持っています。だから大学生のとき、ひとつの会社で週5日働く自分がイメージできずに就職活動をやることは一切ありませんでした。

前述したように、僕は非常勤で教員をしているのですが、この働き方は自分に向いているとよく思います。が、仮に週5~6日、いわゆる常勤として学校で働くとすると、そのぶん生徒と関わる時間も多くなります。それは魅力的ですし、この1年間で常勤待遇に食指が動いたことも幾度となくありました。

しかし、僕にはこのD.Liveを通して出会った生徒もたくさんいます。保護者の方、支援者の方もたくさんいます。ときには「ヤマモトさんのブログ、いつも楽しみにしています」「この間のブログ、泣いてしまいました」と、はじめましての挨拶を交わした直後にそんな話を持ち出される方もいます。

そもそも、教員になれるチャンスがあるとわかったとき、最初から「非常勤」という希望を出しました。それは、やはりD.Liveで出会った生徒、保護者、支援者、そして不登校に悩むすべてのみなさんのことを見捨てるわけにはいかない、これからも手が離れるまで関わりたい、と思ったのが最大の理由でした。

そのことを、心が折れかけたあのとき、忘れかけていたのです。

3つの肩書きを持てば、自分の価値が1万倍にもなる」という一節を読んで、僕は改めて、「高校教員」「NPOスタッフ」、そして「不登校支援者」という3つの肩書きをとことん両立させよう、と決意しました。とても暑かった夏が過ぎてからは、この「1万倍の価値」を目指して、とにかく動く日々でした。

水曜日に更新していたD.Liveブログのコラムは、負担の軽い火曜日に引っ越した上でなるべく落とさずに更新しました。よほど忙しい日を除いて夜の教室「TRY部」や、出勤前にD.Liveのフリースクール事業「昼TRY部」に顔を出す機会を作り、異年齢の生徒たちと接する機会を増やしました。

さらに、D.Liveではなく、僕個人でいろんな不登校の居場所づくり事業に顔を出すために、滋賀はもちろん奈良にも出向きました。もちろん、学校での授業や仕事も手を抜かず、生徒たちとの関わりにも自分の中でテーマを決めて学期末の試験まで駆け抜けました。

おかげで、秋以降はものすごく充実してあっという間に時が過ぎていったような気がします。

僕のような教員がいることに対して、眉をひそめる方がいるかもしれません。「関わり方が中途半端にならないか」と心配される方もいるかもしれません。

でも、僕にはこのやり方があっているのです。どの場所でも頼りにしてくれる人を見捨てられないのです。

そして、この僕のやり方、生き方を認めてくださり、いつでも応援してくれる勤務先の学校の先生方やD.Liveのスタッフ、僕と関わるすべてのみなさまには、本当に感謝しかありません。このあまりに恵まれすぎている環境も心の底からありがたかった1年間でした。

ここまで良かったことを振り返ってきましたが、反省点というのもたくさんあります。

たとえば、今年は不登校の講演というものがほとんどできませんでした。5月に奈良教育大学で登壇したのがほぼ唯一です。弊団体代表の田中、副代表の得津が次々と全国各地で講演している報告を聞いていると、自分がまだまだ無力な存在であることを痛感しています。

あまりにほかのことが手一杯で、講演を自分から売り込む余裕がなかった、「話せますよ!」というアピールもできなかった、というのは事実です。しかし、時間というものはいくらでも作れるものです。セルフブランディングを疎かにすると、あっという間に忘れ去られるなということも実感しました。

「不登校経験があって」「いま不登校支援をしている」「学校の先生」は、世の中にいらっしゃれどごく限られた存在であることは確かだと思います。もっともっと自分の「1万倍の価値」を大きく利用して、2019年は全国の不登校イベントにも呼んでもらえる存在になりたい、と強く思っています。

実は、来年も引き続き「高校教員」と「NPO法人D.Liveスタッフ」の2足のわらじを履かせてもらえるかは、まだわかりません。というか、僕の中ではもう人生に「現状維持」なんてものはなくて、毎年毎年どこかしらを変化させないと生き残れない社会になってきたと感じています。

今年後半追ってきた「1万倍の価値」が、来年の今ごろ、つまり新しい元号になる年末にどうなっているのか。それは僕にも分かりません。もしかしたら追いすぎて無価値になっているかもしれません。それでもいいのです。そのときはまた違った形で「1万倍の価値」を追うと決めています。

来年もまた、現状維持を捨てて少しずつ「変化」することで、もっともっと自分の価値を高め、「高校教員」「NPOスタッフ」「不登校支援者」の3つの肩書きをどこまでも伸ばしていく所存です。

2018年も、私・山本の記事にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。なかなか更新がはかどらない中で、Facebookなどでたくさん頂いた反響や感想がものすごく励みになりました。2019年も、このD.Liveで不登校はじめ様々な事業に関わっていきますので、どうぞよろしくお願い致します。

それでは、良いお年を!

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山本 駿

山本 駿

NPO法人D.Live スタッフ / 高校非常勤教員(社会科) 京都出身。中学3年間不登校。岐阜県内の大学を卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画。主にTRY部や不登校講演事業を担当しながら、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。