あの日、僕は泣きながら、壁に何度も頭を打ち付けた。

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初めまして。

NPO法人D.Liveでインターンをさせていただいております山口駿士(やまぐちしゅんじ)です。
僕は高3の2学期に不登校になりました。
今回はそのときのことを話せたらなと思います。

「わかってる?これ以上学校休んだら卒業できひんで」
高3の11月。
進路指導室で 周りは大学先について話している中、僕は先生と卒業できるかについて話していた。

高校2年までは楽しい学校生活を送っていた。
毎日学校に通い、そこには友達がいた。
部活もとても充実していた。
勉強の面でも、行きたい大学のB判定ぐらいはすでに手にしていた。
順風満帆だった。

でも高3では一切クラスになじめなかった。
クラスに知っている人がほとんどいなかった。
2年の時に同じクラスだったという人が多く、大きな1つのグループになっていた。

最初のころは2年の時に仲が良かった友達といた。
昼休みには一緒にご飯を食べていた。
ただそいつも大きなグループのほうに行くようになった。
大人数が苦手な僕はその輪に入れなかった。
人が多いと、緊張してしまってしゃべれなくなるのだ。

みんなはあだ名や、下の名前で呼びあっていた。
でも僕は「ヤマグチ君」と呼ばれていた。
そうやって僕はクラスで孤立した。 一人でご飯を食べるようになった。
休憩時間にはだれとも話すことがなかった。 ずっと机に突っ伏していた。
周りが楽しそうに話しているのを羨ましく見ていた。
自分も友達のする先生のモノマネで爆笑したかった。
「次の授業だるいな」とかなんでもない話をしたかった。

文化祭・体育祭は地獄だった。
みんな楽しそうに写真を撮ったり、談笑していた。
もしかしたら自分もと思い、しれーっと近づいても誰も声をかけてくれなかった。
悲しくなってトイレにこもって泣いた。

「なんでこうもうまくいかないんだ」
「自分なんて誰からも必要とされてないダメ人間なんだ」

そう思った。

数少ない出番でクラスメイトと話すときは、嫌われないように必死だった。
周りが騒いでいるなか、そこに自分がいないのを惨めに思った。 何にも楽しくなかった。
クラスで撮る記念撮影も笑顔を作ることができなった。
打ち上げには誘われなかった。
ツイッターとインスタグラムでその存在を知った。
楽しそうな写真がアップされていた。
行きたかったわけではないが、とても悲しくなった。

そして、学校というものがしんどくなっていった。
週に一回ぐらい学校を休むようになった。
同時にできていたことができなくなっていった。
その一つは課題だった。
課題は小学校から高2まではきっちり提出していた。
休み始めてから出せなくなることが増えた。
先生からは 「なんで前までちゃんと出していたのに出さないの?」 と言われた。
僕は 「すみません・・・」としか返せなかった。
どうして出来ないんだと、自分を責めた。
なぜできなくなっていったのか分からなかった。
次第に字が書けなくなった。 手に全く力が入らずうまくペンを握ることができない。
読みにくいヒョロヒョロの字しか書けなかった。

登下校のとき。 手に力が入らず、ゾンビのようにフラフラと歩いていた。
後ろから部活の友達が声をかけてきた。

「ぐっさんめっちゃ病んでる(笑)」
「お前顔死にすぎ(笑)」
無理に笑って、 「黙っとけ。俺はいたって普通や。」 そう返した。
まわりは冗談のつもりだったのかもしれない。
ただ僕にはとても堪えた。
自分は真剣に悩み苦しんでいるのに、馬鹿にされた気がした。
優しい言葉を期待してしまった。 話を聞いてくれると思った。
「どうせ誰にもわかってくれやしない」 味方が誰もいないように感じた。
ただただ苦しかった。
次第に週2のペースで休むようになった。
休む連絡を入れるときはビクビクしていた。
担任の先生から怒られる・・・ 恐怖でいっぱいだった。
何とか電話を済ませるとどっと疲れが出た。
その後は自分の部屋のベッドに潜り込んでいた。
「受験も近いし勉強しないと・・・」
そう思うものの勉強に取り掛かれない。
やる気が全くでなかった。
力が入らなかった。

周りは受験勉強を頑張っているんだろうなと思うと、罪悪感でいっぱいだった。
「学校を休んだ上に何もしないなんてゴミ人間だ」 と自分を責めた。
何をしているんだと思いながらYouTubeをみていた。
何にも面白くなかった。
ひたすらダラダラと過ごしていた。

12月が近づいてきて、無理してでも行っていた模試も行けなくなった。
11月のある模試の日、 動けずベッドに横たわっていると、 階段を上る音が聞こえた。
部屋に誰にも入ってほしくなかった僕はドアにギターのアンプを置いて 入れないようにしていた。
しかし父は無理矢理入ってきた。
「お前、はよ行けや! 学校にも行ってへんし何を考えてんねん! ホンマ訳が分からん!頭おかしいやろ!」

普段、温厚だった父が大声で怒鳴った。

父はこれまで、休みの日にはどこかへ連れて行ってくれた。
テストの点数がよかったら褒めてくれた。

そんな優しかった父は、もういなかった。

それ以降は、父に家で無視をされ続けた。

これまで一緒にしていたプロ野球や仕事の話もしなくなった。

仕事に行くときは、弟にだけ行ってきますを言い、僕がいってらっしゃいと言っても何の反応もなかった。

家ですら居場所がなかった。

どうせ学校に行っている自分が好きなだけだったんだ。

何事もなくうまくいっている自分しか受け入れてもらえないんだ。

こんな自分では愛してもらえないんだ。

涙を流しながら、僕は壁に何度も頭を打ち付けた。

デコは真っ赤に腫れていた。

「なんて自分はクズ人間なんだ」と自分を傷つけた。

よく聞く不登校はイジメや家庭内での問題だったりするのに自分は大した問題でもないのに引きずっている。

正真正銘のクズ野郎だと思った。

ついに出席日数が危なくなっていった。

担任の先生との面談も増えた。

「なんで前までガンバっていたのに来れないの?」

先生に聞かれたところで、「こっちこそ、理由を知りたいよ……」と思った。
「このままやったら卒業できひんよ」と言われたところで、僕はもう学校に通うだけの元気はなかった。

なら高卒認定試験を受けるか通信制の学校に行き、もう一度やり直そうと思った。
たまたま中学校の同級生がこの制度を利用していて魅力に感じたからだ。

このことを担任の先生に言うと、間髪入れずに 「逃げたらあかん」 と否定された。

先生は卒業してほしいという優しさのつもりだったかもしれない。
でも僕はとても傷ついた。

少しでいいから、話を聞こうとして欲しかった。
分かろうとして欲しかった。

「逃げたらあかん」だって?

こんなにしんどい思いをしているのにまだ頑張れというのか?
学校というのがそれほど大事なのか?
そこまでして卒業が大事なのか?

帰り道はだれからも受け入れてもらえないという絶望感と孤独感でいっぱいだった。
これから先どうなるのだろう。
ずっと頑張ってきた勉強もできなくなり、学力が落ちた。

ついには「勉強だけはできる」という自分の核の部分も壊れてしまった。

心はもうズタボロだった。
死にたいと何度も思った。
誰か助けて欲しかった。

 

前半終わり。

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山口 駿士

NPO法人D.Live 学生スタッフ 1999年 滋賀県出身 京都産業大学 法学部 在学  BUMP OF CHICKENが大好き。(『才悩人応援歌』がお気に入り) 音楽に目覚め、ベースを始めるも、弦が切れて1日で挫折した経験を持つ。 特技:早食い(給食でのお替わりがいつも一番手) 主にTRY部を担当。 高3の時に友人関係と受験のストレスで不登校に。 自身の経験を生かして何か役立つことをしたいと思いD.Liveに参加。