不登校の子を見て不安になるのは、ちゃんと見ていないから。
このままで大丈夫なのかなって不安になる日があります。
どうしても心が揺らいでしまうのです。
保護者さんからのご相談をもらい、僕はじっと考え込んでしまった。
僕は子どもたちの可能性を絶対的に信じていて、もう絶対に「大丈夫だ」と思っている。
でも、保護者のかたは違う。
毎日、ずっと子どもといると、イライラしたり、不安に思うこともあるだろう。
「他の子は大丈夫でも、自分の子は違うかも知れない……」という気持ちにもなるだろう。
悩んで、不安を抱えている保護者さんに、「大丈夫ですよ」という薄っぺらい言葉をかけることは、僕にはできなかった。
どうしたらいいんだろう?
どうやって伝えたらいいんだろう?
どうすれば、保護者のかたが安心して、子どもを見ていくことができるのだろうか?
モヤモヤしたまま毎日を過ごしていたある日、ひょんなことから、その答えを見つけることになる。
休日、「見たいなぁ」と思っていた映画を見に行った。
その作品に触れ、僕は「そういうことかっ!」と思ったのだ。
茶道の先生である樹木希林さんは、稽古をしている生徒に向かって「頭で考えないで。」と言う。
作法を覚えようとすると、「あっ、ダメ! 覚えちゃ」と叱る。
作法に疑問を持ち、「どうして、そのようにやるんですか?」と聞くと、「そういうものだ」と言われる。
ハッキリ言って、とても不親切だ。
でも、物語がすすんでいくうちにその理由が分かった。
茶道は、すべて“感じること”を大切にしているのだ。
音に耳をすます。
目の前にあるものに心を入れて、観る。
肌触りを感じる。
今、ここにあるものや音を感じるためには、考えていてはダメなんだ。
なにが起きているのかじっと耳を澄まして聞いてみる。
すると、聞こえていなかった音までも聞こえるようになった。
「あっ!」
観ている途中で僕は気がついてしまった。
考えながら観ていたので、映画の中で聞こえてくる音に全く気がついていなかった。
聞こえているのに、聴いていなかったのだ。
頭で考えると、たくさんのものを見逃してしまう。
ブルース・リーが言うように、Don’t Think Feel ! なのだ。
大事なのは、今を観ること。
今、目の前にいる子どもを観ること。
不安になるっていうことは、きっと今、目の前にいてる子どもを観ていないってことだ。
別に保護者のかたを責めるわけでもないし、気持ちは良く分かる。
僕も、すぐ心がどっかいっちゃうので、目の前のことがつい見えなくなってしまう。
でも、不安になるのは、「来年どうなるんだろう?」「昨日言ったこと気にしているのかな」と、未来や過去をみてしまっている。
心が入っていない状態で子どもと接していても、大切なことはなにも見えてこない。
よく考えてみれば、僕は子どもと接するときには、「今、ここ」しか観ていない。
どんな表情しているかな?
なにを思っているだろう?
なにをしている?
目の前にいる子を観察し、集中している。
過去や未来を考える余裕は、僕にはない。
子どもが帰ったあとや会っていないときに、未来のことを考えて、なにができるかについて検討をする。
子どもといるときは、「今、ここ」を大切にしているのだ。
あっ、こういうことか、と思った。
僕は、子どもたちの成長をたくさん感じることが出来るのに、親御さんたちはなかなか気がつかないことがあった。
「いや、めちゃくちゃ変化ありますやんっ」と言うと、ポカンとした顔をして、「え? そうですか?」となることも少なくなかった。
仕事柄、どこを観たらいいか分かっていることもあるだろう。
それでも、「どうして気がつくことができないんだろう……」と疑問に思っていた。
けれど、この映画を観て、分かったのだ。
子どもたちは、確実に変化している。
でも、見過ごしてしまっているのだ。
僕が映画での音を聞き逃したように。
寒いなぁ、冬って嫌いだなぁと思っていたら、雪の音は聞こえない。
雨早くあがって晴れないかなぁと思っていると、梅雨と秋雨の音の違いには気がつかない。
大事なのは、今、目の前にあることをちゃんと観ること。
ちゃんと感じること。
心を入れ、考えずに感じること。
そうすれば、きっと子どもの変化に気がつく。
「なんだか、昨日よりも表情が暗いぞ」
「今、言った瞬間に表情が変わったな」
「少し声のトーンが高いな」
小さなことに気がつくと、変化や成長にも気がつけるようになってくる。
勉強するようになったとか、外へ出るようになったとか、そんな分かりやすい変化ではなく、見過ごしてしまうような小さな小さな変化に。
先日、フリースクールに来て1ヶ月ほどが経った子に、「このゲームする?」と聞くと、「いや、いいです」と言った。
僕はその言葉を聞いて、小躍りしたくなるほど嬉しかった。
これまでは、みんなに合わせるようにして、多少気が乗らなくても、「はい」と言っていた。
でも、この日は、「いや、いいです」とキッパリと断った。
自分の意見を言ったのも嬉しかったけど、なにより、良い音だった。曇りのない声だった。
僕はあまりにも凛とした態度に、「あぁ、成長したなぁ」と感じた。
注意して観ていないと、ついつい見逃してしまう。
なにを言ったか、どんな表情をしているかだけが重要なのではない。
どんな音で言ったのか?どんな間で言ったのか? どんな感じで言ったのか?
感じないと分からない、見えてこないことがある。
もし、あなたがお子さんのことで不安になっているのであれば、きっとまだちゃんと観ることが出来ていないと思うのです。
心を入れて、ぜひもっと集中して観てください。
きっと、感じることができようになってきます。
もし、「どうしたらいいか分からない」というのであれば、ぜひ『日日是好日』をご覧ください。