不登校の子どもたちと関わる学校の先生にとりあえず意識してほしい、3つの「大原則」

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不登校は「誰にでも起こること」です。

つまり、ある日突然「学校に行きたくない」と声を漏らすことが、誰の身にも起こりうるのです。たとえ1学期、いや昨日まで元気に楽しそうな様子を見せていたとしてもです。もしかしたらそれは、周りの大人に気を遣って、心配させたくないという思いで「わざと」楽しそうにしていたのかもしれません。

「どう関わっていけばいいのだろう・・・」

ぱたっと学校に来なくなった子どもたちを目の当たりにして、そんなことを思う学校の先生方も中にはいらっしゃるかもしれません。

学校は集団生活を原則とする場です。毎日同じ場に子どもたちが集まることによって管理や指導がしやすく、生徒の体調・様子を把握できるシステムになっています。そういった意味では、毎日学校に来ることはない不登校の子どもたちの様子や状況が心配かつ不安になるのは致し方ないことです。

ではいったいどういった形で、学校の先生は不登校の子どもたちと関われば良いのでしょうか。

僕はこの3点が大原則だと思います。

・学校に来なくても「よし」とする
・場合によっては「上下関係」を捨てる
・子どもを変えようとしない

とくに学校に来なくても「よし」とするというのは非常に重要です。担任を持つ生徒が不登校になったとき、なにかにつけて「学校で待ってます」などとメッセージを送りたくなる気持ちはわかりますが、そんなメッセージを送るのはハッキリ言って逆効果です。

なぜなら、そのメッセージは不登校の子どもたちからすれば、たとえそんな意図がなくても「学校に来ないキミはとても悪い子だね」と言われているにすぎないからです。「先生もそんな気持ちなんだ」と不登校の子どもたちが受け取ってしまえば、ますます学級復帰が遠のいてしまうのも無理はありません。

以前、弊団体の教室「TRY部」に通っていた不登校の生徒がいたのですが、ある日担任の先生から「ぜひ様子を見たい」と見学のご依頼がありました。当日、実際に教室に入って授業を見学し、つぶさにその生徒の様子を観察されていた先生は、帰り際に

あんなにイキイキとした(生徒)くんの姿は、はじめて見ました

と感想を残して帰られました。僕は「学校じゃない場に溶け込んでいる姿を学校の先生に認めてもらえてよかった」という気がして、この感想がとっても嬉しかったです。ちなみにこの後、この生徒は学級復帰を果たして、いまは大学受験に向けて大忙しの日々を過ごしています。

すでに文部科学省は「学級復帰にこだわらない」不登校対応を学校現場に求めはじめています。今までのように「なんでアイツは学校に来ないんだ」という観点からの不登校対応がもはや時代遅れになる日も遠くありません。フリースクールなど、学校以外の学び場の重要さが、日に日に増してもいます。

不登校の子どもたちは、学校以外の学び場ではとても元気に過ごします。自分のやりたい勉強に取り組み、ほかの子どもたちや大人とボードゲームに興じたりします。そんな元気があればなんで学校に来ないんだ、とお思いの先生もおられると思いますが、不登校対応はそんなに簡単なものではありません。

そうではなくて、この子は学校という場所が合わないのだから、ほかの場所でのびのびと時間を過ごして、いつでも学校に戻ってくるような心づもりだけしておく、というスタンスで接してあげてほしいと思います。ただし、家庭訪問で子どもに会えなくても、保護者から近況を聞くことは必須です。

つづいて、「場合によっては「上下関係」を捨てる」ことについて。

1989年に「東京シューレ」というフリースクールに通う不登校の子どもたち自らが不登校になった理由や原因をアンケート調査したことがあります(奥地圭子『不登校という生き方 教育の多様化と子どもの権利』(NHKブックス)より)。その中で先生を原因にした回答は全体の25.6%ありました。これは5番目に多い数値です。

「先生が威張っているのが嫌だ」「機嫌のいいときと悪いときで態度が変わる」「授業の進め方が気に食わない」などという意見が多く、引用した書籍によれば教員の態度の横暴さや無神経さにかかわる意見が多いことが指摘されています。

不登校の子どもたちの多くは、こうした理不尽な関係を嫌います。中には横暴でもない単なる上下関係すら怖れる子もいます。

そんなときは、いっそ「先生と生徒」という上下関係を捨てるのも一手だと思います。

僕自身も高校の教員をしていますが、ほとんどの生徒が僕に敬語を使うことなく「先生ちょっと聞いてぇな!」などと話しかけてきます。もちろんふざけてあだ名で呼んでくる生徒には「おい!」と軽く叱ったりもしますが、特段不快にならない限りはきっちりとした言葉遣いを求めることはしていません。

節度をわきまえることは大事ですが、たとえば子どもたちが怯えたように堅苦しい敬語を使うような場合は、もっとくだけた表現を使うことを許したり、ガチガチな上下関係を少し緩くするというのは非常に大事です。それによって、子どもたちは大きく心を開きやすくなります。

不登校の子どもたちは、なによりも「信頼できる大人」を心の底から求めています。

少しでも敬語ではない表現を使って「先生には敬語を使いなさい」と指導しても良い人間関係を築くことはできません。場合によればそれはただの「脅し」です。完璧を求める必要のない、フランクな人間関係を教えてあげることも大切なことだと思います。

そして最後に、「子どもを変えようとしない」。

これは当たり前ですが、「目の前の人間」を変えようと思っても、たとえばファッションなど物理的な外面を変えることはできるかもしれませんが、内面をガラッと変えるのはとても難しいです。ほぼ不可能だと言ってもいいでしょう。

だから、一度学校を休みがちになった生徒に、「明日は絶対学校来ような?」と約束させても、まず無理です。99.9%来ることはないでしょう。どうやったらあの子が学校に来るかな・・・と思えば思うほど、無駄です。これはたとえ毎日毎日家庭訪問したところでなかなか解決はしません。

ただ、それを「先生の責任」だとは思わないでください。

自分の働きかけ、接し方で学校に来れないんだ・・・と先生自ら自分のことを責めることだけはしないでください。不登校の子どもたちはこういう思いをしょっちゅう察知します。ちょっと暗い顔をしただけで「自分のせいで先生がしんどい思いをしている」と読み取ってしまうことも、ままあります。

イギリスのことわざに、「You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.」というものがあります。訳すと、「馬を水辺に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできない」。つまり水辺に連れて行ったとて、そこで思惑通り水を飲むかどうかは「馬次第」、ということです。

これは不登校対応も同じです。どれだけ学校へ来るよう働きかけても、学校へ行くかどうか最終的に決めるのは不登校の子自身です。そこだけは絶対に履き違えないでください。同様に、いつまでたっても学校に興味を向けてくれないのは先生が悪いわけではありません。誰の責任でもないのです。

前述しましたが、不登校の子どもたちは、びっくりするほどあっさりとある日突然「明日から学校に行きたい」ということがあります。もちろんそんな日が来ないときもあります。でも先生も、そして保護者も、そんな日が来たときのための準備や心づもりはいつでもしておいてください。

僕はそれが、何よりも大きな「不登校対応」だと、思っています。

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山本 駿

山本 駿

子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。