「学力」よりも、もっともっと大事なものがあるんじゃないか

学校は、本当に勉強「だけ」させておけば良い場所なのだろうか?
そして、それだけで評価を下してもいいものなのだろうか?
教員という仕事をはじめてから、そんなことをよく考えます。確かにいわゆる成績というものは試験の点数がなければつけることができません。その点数も、とにかく高得点にこだわる生徒もいれば、「追試に来るのが面倒」という理由でボーダーラインをギリギリ越えて満足する生徒もいます。
しかしそんな生徒にもずば抜けた才能があります。それは勉強や学力以外の場面で大いに役立つことも往々にしてあります。僕は学力や勉強面はもちろん、そんな一芸に秀でる才能もじっくりじっくり育んでいってあげたい、と思いながら、生徒や子どもたちと接しています。
いま、「学力テストの順位」が一部で大きな話題になっています。
でも、学力テストの順位が低いことが、そんなにも子どもたちの将来を左右してしまうのでしょうか。
北海道にある「植松電機」の代表取締役社長、植松努さんは、幼少時代から「ものづくり」に夢中で、中学の進路相談でもロケットを飛ばす夢を先生に語りました。しかし返ってきた答えは「そんなものはこの街に生まれた時点で無理だ」。
その上で、東大に行かねばロケットは作れない、お前には無理だ、とあっさり突き放したそうです。
元をたどれば小学校時代にあれだけ人気を集めた紙飛行機を折る技術も、先生からすれば「勉強に関係ない」の一点張り。植松さんは「赤点の帝王」と呼ばれるほど、少年時代の成績は散々なものでしたが、奇跡的に国立大学に合格すると、今度は勉強せずとも常に試験では100点を取れる成績を残すのです。
それはなぜか。
幼少時代あれだけ夢中だった「ものづくり」の知識が、ここで活きたのです。
そして今、植松さんは、あれだけ中学の進路相談で明確に否定されたロケットを作り、奇しくも生まれ故郷の北海道で飛ばしています。たとえどんなに赤点にまみれても、彼は今自分が思い描いていたロケットとともに歩む未来を実現しているのです。
ただ好きなことを、どれだけ熱心に続けられるか。そこに、学力の高低は関係ありません。
もうひとつ。以前高校の小論文講座でこんな話も聞きました。
成績優秀のAさんがデパートのエレベーターガールに就職したのですが、接客業に必須の「笑顔」を、彼女はうまく作れません。そのうえにハキハキと話すこともできず、それを叱責される機会も増えたAさんはついに自信をなくし、数ヶ月で仕事を退職してしまいました。
一方、進路の行く末を心配されるほど成績が悪かったBくんは、卒業後スーパーマーケットに就職します。ここで彼は持ち前の人の良さを発揮し、「Bくんがいないと寂しいわ!」と客から絶大な信頼を得るようになります。当然店側もそれを評価し、Bくんは異例の速さで出世していったそうです。
やはりここでも、学力の高低の関係なさが表れています。成績優秀で、どれだけ優秀な学校を卒業していたとしても、その人が優秀であるという保証はいっさいないのです。もちろんそれでお金持ちになれるかどうかなんて、まったく別の話です。
このブログでよく引用していますが、教育経済学者の中室牧子さんの著書『「学力」の経済学』では、どれだけ学力が高く勉強ができていたとしても、コミュニケーション能力や忍耐力など「非認知能力」が備わっていなければ、社会ではなんの意味もないと述べられています。
どんなに勉強ができても、自己管理ができず、やる気がなくて、まじめさに欠け、コミュニケーション能力が低い人が社会で活躍できるはずはありません。一歩学校の外へ出たら、学力以外の能力が圧倒的に大切だというのは、多くの人が実感されているところではないでしょうか。
引用:中室牧子(2015)『「学力」の経済学』ディスカヴァー・トゥエンティワン
もちろん学校という場ですので、たとえば教材を工夫したり、個別対応を受け付けるなど生徒に少しでも良い点数を取ってもらうような「学力を上げる」努力もしています。が、それと同じくらい、生徒とのコミュニケーションという面も僕は手を抜いていません。
玄関でおはよう!と出迎える、帰り際にはさようなら!気をつけて!と声を掛ける。これだけでもずいぶん違います。挨拶からいきなり「ちょっと聞いてぇな!」と愚痴が止まらなくなることもありますし、ぽろっと「最近これが心配なんですけど」、と思わぬタイミングで相談されることもあります。
これは、コミュニケーションという面もさることながら、悩みを吐き出して勉強に集中できるような環境を整えさせることも意識しています。なにか不安ごとがあると勉強の手が止まり、それが学力低下につながることもあります。これもまた、どれだけ完璧に数式を覚えていても解決できない問題です。
僕は教員です。もちろん、教科学習を通して、少しでも子どもたちの学力を上げなければなりません。失敗すれば職員室から自分の席がなくなります。
でも、「学力を上げる」ことに固執するのも、僕はものすごく抵抗があります。
果たして学力を上げること「だけ」が大事なのか。それで目の前の子どもたちは将来に希望を持って幸せな人生を送ることができるのか。自問自答を繰り返す、教員1年目の夏休みを過ごしています。