京都新聞での連載はじめました。
代表理事の田中が京都新聞の『よし笛』というコーナーで3ヶ月に1回、地域版(滋賀)で連載させていただくことになりました。
今回は、第1回(6/10)です!
(全文)
僕は手を挙げ、瀬戸内寂聴さんに聞いた。
「人生、すごくしんどいのですが、どうしたらいいでしょうか?」
すると、寂聴さんは、にっこりと微笑み、「人生はしんどいですよ。
でもね、しんどいことをたくさん経験した人は、人に優しくできます」
僕は、この言葉を聞いて、この仕事をやろうと決めた。
変調は、中学3年生の頃からだった。文化祭で主役をつとめるくらい明るかった僕は、誰ともしゃべらなくなった。声をかけてくれる友達をにらみつけ、ある日、気がつけば電信柱に自転車で突っ込んでいた。高校は、プロ野球選手になろうと思い、大阪の強豪校へ進学。しかし、周りの凄さに圧倒され、自信を失った。その後、ほとんど高校へも行かなくなる。
浪人して大学進学したものの、すぐに引きこもりになった。一人暮らしをしていた2階建ての木造アパートで、電気もつけず、毎日天井だけを眺める生活。やりたいこともなく、なにをしたらいいのか分からない。人生は真っ暗で、ずっと暗闇の中をさまよっている感覚だった。幸い、友人の支えがあり、僕は1年間ほどで引きこもりからは脱出できた。でも、そのあともずっと心のモヤモヤは晴れることがなかった。
そんなとき、瀬戸内寂聴さんが大学の授業へゲストとして来られた。僕は、すがる気持ちで、手を挙げて質問をした。寂聴さんの言葉に、僕は今までの苦しみにも意味があったんだな、と思った。自分と同じような苦しみを抱えている子どもをなんとかしたい。不登校や引きこもりがたくさん苦しむ社会を変えたいと思い、NPO法人を立ち上げることにした。
活動を始めて数ヶ月がたったある日、総合学習の授業で高校へ行ったときのこと。茶髪でやんちゃそうな高校3年生が授業が終わったあと、食事に誘ってきた。進路のことを聞いていると、暗いトーンで言った。「ほんまは大学行きたいねん。でも、俺あほやし、ムリやわ。親も別に期待してへんし」彼は、この話を誰にもできなかったんだろう。友達にも先生にも。自信が持てず、自分の可能性を諦めようとしていた。
このときの僕は、彼になにもしてあげられなかった。「彼のような気持ちにさせたくない……」と思って、毎日、子どもと向き合っている。不登校、引きこもり、鬱。たくさんの子どもが苦しんでいる。大人が気がついていないこともある。ボソっと話してくれた、あの日の彼みたいに。能力、才能、環境。すべて関係なく、子どもたちが自信を持ち、「こうなりたいな」と思う希望に向かって一歩を踏み出せる社会を創っていきたい。