自分ルールで行動することが自信につながった #4 不登校経験者のキャリアインタビュー 

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不登校の経験がある人の進学や就職についてたずねる、不登校経験者のキャリアインタビュー。
今回は学童の支援員をされている青柳たかしさん(仮名)に、当時のお話や進路選択についてお伺いしました。

 

 

——今日はよろしくお願いします。まず、青柳さんが不登校になったきっかけや期間について教えていただけますか。

 

はい。期間ですが、小学2年生6月から中学3年生の最後までですね。中学生の時は別室登校が基本で、科目によっては教室に入って授業を受けていました。

きっかけは小1のときです。学童保育の上級生(小3)からのいじめがきっかけでした。担任の先生には相談せず、学童の先生に相談してたんですけど、「自分で立ち向かっていきなさい」と言われました。上級生グループ3、4人に対して1人だったので、「いやぁ無理だろう」と思っていましたね。

1年生の時はいじめに耐えていましたが、2年生の時に耐えられなくなって「親に学童に入れる親は親じゃない。学童行かない!」と言いました。そこで初めて共働きだった両親もおかしいなと気づいてくれました。親から学童に働きかけてくれましたが、学童には行かなくなりましたね。

でも、学童行かなくても学校ではその上級生に会うんですよね。ですので、学校もお腹が痛くて休む日が続いて、不登校が始まりました。両親とも働いているのでシルバー人材センターから派遣された地域の方がずっとお世話をしてくれていましたね。

 

 

—そうだったんですね。小2のころから中学生になるまで、完全に学校にいかなかったんですか。

 

いや、そうではなかったですね。小3はほとんど休んで、小4では3分の1ほど登校しました。けど、小5のときにまた行けなくなって、小6のときは半分くらい行けていましたね。「学校に行かなくちゃ」という気持ちじゃなくて、小4と小6の先生がそれぞれ面白い先生だったので行く気になれました。

 

 

 

—中学生になると人数も増え、上級生と会う機会もグッと減ると思います。それでも学校に行けなかったのは学童でのいじめが尾を引いていたんですか。

 

中学生のときは。上級生じゃなくて同年代の子からちょっかいをかけられたことがきっかけでした。いま思えば本当に些細なことだったんですけど、自分としては小2の時から行ったり行かなかったりだったので、周りの目が気になっていた時期でした。そんな時期だから、今では小さなことに思えても、このときのちょっかいがキッカケで夏からいけなくなりました。

でも、休み初めて一週間くらいの時にびっくりしたことがありました。スクールカウンセラーの人が、別室登校をしてた子と一緒に車で家まで迎えにくてくれたんです。

「青柳くん、よかったら一緒においでよ」って。車に乗っていた子は同じ部活だったんですよ。「なんで乗ってるの!?」ってすごく驚きましたね。顔なじみの子が別室登校してるなら自分も行こうって思えました。

 

 

—まさか友だちが来るなんて思っていませんものね。その後、高校からは教室に入って過ごせるようになったんですよね。

 

そうですね。高校から行けるようになりました。進学先は小中学校の自分を知らないところに行こうと決めて選びました。成績で進学先を考えると、自分をいじめてきた子と同じ高校になるかもしれなかったので。

 

 

—中学のときは周りの目を気にするという話がありました。高校生活はどうだったんでしょうか。

 

高校の友だちはとても良い人たちでした。自分が不登校だったことを打ち明けたら、「じゃあ高校からは大丈夫だね」って言ってくれたんです。でも、自分にちょっかいをかけてくる人はいました。で、ちょっかいを受けたある日、人生で初めて授業中にキレました(笑)。

この時に初めて、自分も怒りを出せるようになったんです。これを機にちょっかいも無くなりました。それからは、部活でも部長になって部活を立て直したり、学校集会で前に出たりする機会が増えました。

 

 

 

—すごいですね。それだけアクティブになれたのはどうしてですか?

 

実は中2の時から地元の少年団活動に参加していました。どの地域でも似た活動があると思うんですが、ぼくの地域では大学生が小4~中3の子を集めて遊んだり、キャンプに行ったりしていました。

この活動に加わるまでは、人と関わる機会がありませんでした。小6くらいからオンラインゲームでチャットすることはあったけど、面とむかって話したり遊んだりという機会はありませんでした。だから、この活動に加わってすごく楽しかったんです!遊びを通して、同年代の子と触れ合ったり、手を繋いだり、ニックネームで呼び合ったり。同年代の子でも友だちになれるんだという実感を得て、高校でもがんばろうというエネルギーになりましたね。

 

 

—リアルな関わりの暖かさって、すごく自分の心を軽くしてくれますよね。青柳さんは学童でお勤めとのことですが、今の仕事を選んだのはやはり小学校から高校までの出来事があってのことでしょうか。

 

いや、子どもの頃はコックをめざしていたんです。高校を卒業してからは専門学校で勉強しつつバイトで修行していました。ですが、そのバイト先でボコボコにしごかれて「あぁ、コックはダメだ」と(笑)

専門学校を卒業したあとは、大学進学のために予備校に通うことにしました。通い始めたころ、進学先なんてハッキリしていなかったんですが、その頃に親友が自殺したんです。本当に悲しかったし、何より悔しかったのが、友だちと最後のやりとりは自分だったんです。何かできることはなかったのかと後悔しましたね。これを機に子供や教育に関わることをしたいと思い始めました。

進学後の就職先ですが、大学での学習支援団体での活動が大きいですね。大学で「子どもの貧困問題」を勉強したときに高校の進路選択を思いだしました。自分の場合だと、私立高校を選ぶというお金がかかる選択ができました。

中学時代に自分以外にもう一人別室登校だった子がいた話をしたじゃないですか。その子はお金が足りなくて、ぼくと同じ私立高校に行けなかったです。中学を卒業してからも何度か連絡を取り合っていましたが、結局その子は高校も続かなかったんです。

経済的な理由で行きたい学校に行けない子がいる。大学では、そんな子たちと関わり、力になりたいと決めて、学習支援をする団体を立ち上げました。その経験もあって、学校教育というフィールドとは違う形で子どもと関われたらなと思っていました。4回生の時に学童保育の求人があるのを知って、子どもと毎日遊びを通して関われることに魅力を感じたので、今は指導員をしています。

 

 

—自分で団体を立ち上げるなんて立派ですね。不安な気持ちは無かったんですか。

 

ぼくは専門学校と予備校に通ったあとの入学だったので、同期より2つ年上なんですよね。だから、「やろうか迷ったことは全部やる」という自分ルールを決めて学生生活を過ごしていました。自分ルールを設定したおかげで、立ち上げる頃にはドキドキじゃなくて、ワクワクした気持ちでいっぱいでしたね。

 

 

—自分ルールで行動した一つ一つが自信につながったんですね。最後に、いま不登校の子どもにメッセージをお願いします。

やばいなと思ったら逃げていいです。けど、絶対に自分の味方になってくれる人が社会にはいるので、逃げてもいいけど社会とつながり続けることを大切にして欲しいですね。コミュニティや人か変われば上手くいかなかったことも上手くいくと思います。だから無理に今のコミュニティで繋がらなくてもいいんですよ。

極力ネットで人とつながることもありだと思いますね。少しずつ社会との接点を持つこと。自分が楽しいなぁ、面白いなぁと思うことを持てばエネルギーがたまっていきます。このエネルギーが動き出すときの力になるんです。

 

 

—貴重なお話をありがとうございました。青柳さんには、5月27日(日)の不登校のおはなし会でも話題提供していただきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

不登校 経験者と話す子どもが自信を取り戻すまで
〜第11回 不登校のおはなし会 in 滋賀〜

イベント詳細

日時  5月27日(日) 14:00~16:30

参加費 1000円

プログラム

・自己紹介
・話題提供  不登校だった時の気持ち/立ち直ったキッカケ/将来について考えていること etc.
・質問タイム
・参加者みんなで話す時間
・ふり返りやアンケートなど

定員  10名

会場  コワーキングスペースMaghouse
滋賀県大津市大萱一丁目9−7 ワイエムビル202(JR瀬田駅最寄り)

 お申し込み

・メールでのお申し込み

件名を「5/27 不登校のおはなし会参加」とし、

本文に、お名前・ご住所・ご所属・ご連絡先を明記のうえ、info@dlive.jp にメールをお送りください。

※こちらからのお返事が届かないケースが増えております。迷惑メール対策をされている方は特に、info@dlive.jpのメールが届くよう設定をお願いいたします。

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得津 秀頼

得津 秀頼

D.Live副理事/元小学校教員 自分に自信が持てない、自分を好きになれない、そんな人が自分を好きになり前向きにチャレンジできる社会を創るためにD.Liveを立ち上げた。 自尊感情に関心が高く、D.Live内では主に自尊感情に関する事業を担当。