そろそろ自分を犠牲にしてまで、子育てをするのをやめたらどうでしょう?

「いや、ないんですよ……」
イベントに参加した保護者さんが言う。
「今までずっと子育てに掛かりっきりで、子どものことばかり考えていました。だから、自分の目標とか聞かれても分からないです……」
ワークで出した課題は、「あなたの目標は?」という問いだった。
それに対して、保護者さんは「自分のことなんて、なにもない」と答えた。
その光景を見ていて、僕はなんとしても、この問題を解決したいなと、心の底から思った。
あれは、僕が中学生くらいのときだっただろうか。
母親がいきなり、「看護師になりたいねん」と言い出した。
「自分もなにか手に職をつくりたいんだ」と、言って、「専門学校へ行きたい」と家族に相談を持ちかけた。
僕たちは、快く「OK」を出した。
あの時期は、まさしく家族で一致団結した時期だった。
家事や家の用事は、母親以外で協力しておこなった。
「なんとか応援したい」という僕たちの気持ちを行動として表した。
期待に応えるように、母は、ずっと勉強をしていた。文字通り、四六時中!
未だに、母が机に向かってペンを動かしている姿は忘れられない。
勉強している母の姿はカッコ良かったし、なにより楽しそうだった。
なんだかイキイキしていた。
今までは、イライラしている姿をよくみていた。
「私めっちゃガンバってるのに……」と言って、感情をぶつけてくることもあった。
「もういい……」と言って、実家へ帰ることもあった。
僕は、子ども心に、「かまってちゃんかよっ!」と思っていた。
でも、看護師の勉強を始めた頃から、母のヒステリー(こんなこと言ったら怒られる……)は、ピッタリとなくなった。
今までは、自分をずっと犠牲にしていたんだと思う。
子どもを乗せて、自転車を漕ぐ。
弁当をつくる。塾への送り迎え。
3人の子どもを育てるのは、さぞ大変だっただろう。
小さい頃から、働いていた当時の自慢をよく聞かされた。
「松下幸之助さんと一緒に社用車乗った」という話しは、耳にタコが出来るくらい聞いた。
きっと、もっとやりたいことがあって、好きなことも、子育てでガマンをしていたんだろう。
やりきれない気持ちが募り、たまに爆発したんだと思う。
もっと分かって欲しい。
もっと理解して欲しい。
もっと見て欲しい。
そんな気持ちだったに違いない。
だから、「看護師になりたい」というのは、母が久しぶりに出した、自分のわがままだったのかも知れない。
久しぶりの「自分のために使う時間」だったのだろう。
だからこそ、勉強しながらもどこか楽しそうだったし、今までと違うくらいに優しかった。
自分自身を満足させることが出来たからこそ、子どもへもフラットに接することができたのだと思う。
世の中のお母さんは、たくさんのことを犠牲にして子育てをしている。
自分の時間はもちろんのこと、お金さえも子どものことに使う。
「オシャレなんてもう考えなくなったんですよね。とにかく、着回しがいい。洗濯がしやすい。利便性ばかりになっています」と、イベントに参加された保護者さんはおっしゃっていた。
でも、自分を犠牲にしていると、どこかでひずみが起きる。
うちの母がたまにヒステリックになるように、我慢の限界が訪れる。
ダムが決壊するように、感情が爆発してしまう。
分かってよ。分かってよ。分かってよ。
自分を被害者のように思い、空しくなる。
今までやってきたこと、自分が費やしてきた時間が無駄に思える。徒労感でいっぱいになる。
僕は、子どものためにこそ、お母さんたちは「もっと自分を大切にするべき」だと思う。
八つ当たりされる子どもは、たまったもんじゃない。
なんたって、いつ爆発するか分からないんだ。
怒られている側は、もう、なにがなんだか分からない。
なんでこの人は、こんなに怒っているんだろうかと、パニックになる。
「子どものために!」という気持ちは、痛いほど分かる。
でも、それでストレスをためて、子どもに当たるのは、本末転倒だ。
結果的に、みんながしんどくなってしまう。
うちの母が「看護師になる!」と決めて、僕たちは自然に家事を手伝うようになった。
自分たちで「他にできることはないか?」と考えるようになった。
決めてしまえば、時間は生まれる。
やろうと思えば、なんとかできる。
今、「自分 : 子ども」が「 0 : 10」くらいの割合なのだとしたら、少しでも自分の濃度を高めて欲しい。
せめて、「2 : 8」に。できれば、「4:6」に
子どもの人数や状況によっても変わるだろう。
でも、覚えておいて欲しい。
大事なのは、いつだって自分だ。
自分が一番大切。
子どもが大切なのは分かる。しかし、自分を犠牲にしてまで、子育てをする必要はない。
我慢して、しんどい思いをして子育ては、するべきじゃない。
だって、それで被害をうけるのは、いつだって最終的に子どもなんだから。
こんな話しをイベントへ来られたかたにしていたら、
「ちょっと、自分のために、新しい服を買ってみます」と、参加者のかたがおっしゃってくれた。
うん、そうだ。
お金でもいい。
時間でもいい。
少しでも、自分のために費やそう。
やりたかった勉強を始めてみる。
資格を取ってみる。
宝塚を見に行ってみる。
母親が人生を楽しんでいると、きっと子どもにも伝わる。
「人生は楽しいものだ」と思える。
しんどそうに生きていると、子どもも「人生は大変なものだ」と思う。
僕は、母の背中を見て、「勉強って楽しいものだ」と思えた。
背中で語ろう。
楽しそうな姿を見せよう。
世界は、楽しみで満ちている。
我慢するなんて、もったいない。