「変わりたい」「自信が欲しい」と思いながら、一歩を踏み出せない中高生のキミへ

単刀直入に聞こう。
さて、キミは、変わりたいかい?

それとも、今の自分のままで良いと思っている?

「今の自分で満足している」と言うのであれば、このページを閉じてくれたらいい。

しかし、心のどこかで「変わりたい」と思っているのであれば、もうちょっとお付き合い願いたい。
ほんとは、もっとできるのに。
自分はきっとこのままじゃない。
まだまだ、本気を出していないだけ。

そうやって、くすぶっている気持ちを持っていないだろうか。
自分は大器晩成で、いつかきっと大物になってみせる。
まぁ、今はまだ本気を出していないだけ。
そんな風に思うことは、ないだろうか?

なにを隠そう、僕自身がそうだった。
周りの人たちを見下し、自分はまだまだこんなもんじゃないと思っていた。

勉強できない友達をあざけわらい、必死で勉強しているヤツをみて、「ただのガリ勉だ」とバカにしていた。

かと言って、自分自身はガンバるわけじゃない。

ガンバりたい気持ちはあった。
このままじゃダメだという気持ちもあった。

親から口酸っぱく言われるために、なにくそって思っていたし、見返したいという思いにもなった。

でも、ガンバることはできなかった。

どうやってガンバったらいいか分からなかったし、果たしてなにをガンバったらいいのかも分からなかった。

なにか全てをガンバらないといけない気持ちになり、気持ちだけが焦っていた。
「テストをガンバろう!」とか思って、参考書をたくさん買ってみたものの、数日たったら、それ以上、手をつけることはなかった。

あのときのやる気はどこにいったんだろうと思うくらいに、あっさりとやる気を失い、三日坊主になっていた。

子どもの頃から、なにをやっても続かなかった。

習い事も半年以上続いたのは、ほとんどない。

そろばんも3ヶ月でやめた。
小1からやっているサッカーも、しばらくしたら練習に行かなくなった。
自分から「行きたい」と言った書道も、結局、体験に行っただけだった。

なにかを継続して取り組むことが、極端に苦手だった。

「もしかして、自分はなにか病気なんじゃないか?」とすら思った。

どうして、僕はこんなにガンバることができないのだろう。

親からは、「あなたは、根気がないのよ」と言われた。

「なにをやっても続かないのね……」と言って、ため息をつかれたことは、一度や二度ではない。

当然のように、自分に自信は持てなかったし、なにをするにも「ほんとうに出来るだろうか?」と、不安になった。

小学校のときは、常に劣等感を感じ、自分はダメだと思っていた。

不安でいっぱいで、周りで自信満々に振る舞っている友達を見ていると羨ましかった。

でも、「羨ましい」とは決して口に出さなかった。

口に出たのは、いつも負け惜しみだった。

「あんなに勉強してなにになるねん」
「やったら、俺だってできるし」
情けなかった。

ただ、口で嫌みを言うだけ。
だれかをバカにするだけ。

自分はなにもしていない。
なにもガンバっていない。
勉強をガンバっている子。
習い事を5年も6年も続けている子。

僕はきっといつまでたっても彼らのようにはなれないのだろをなんて、諦めていた。

あの日までは……。

小学校のときは、全く自信がなかった。

でも、中学に入って転機がおとずれた。

期末テストでイマイチの点数を取ったとき、「悔しい」と思った。

そして、「まずい……」と思った。

英語がだんだん難しくなってきていて、授業が分からなくなってきていたのだ。

このまま何もしないと、きっと僕は授業についていけなくなる。

英語が全く分からなくなる。

恐怖だった。

できないこと以上に、分からない状況になるのが、怖かった。
「これは、やばい……」

英語の先生をしていた母に頼み、英語の特訓が始まった。

1年生の初めから復習をした。

分からないところは徹底して聞き、少しずつ理解できるようになった。

すると、英語だけではなく、他の科目も勉強するようになった。

「もしかしたら勉強、できるかも」という気持ちになったのだ。

結果、次のテストでは良い点数を取るとこができた。

それが僕にとって大きな転機になる。
「ガンバったら勉強ができる!」と思えるようになった。

自信が芽生え、「自分でもできるかも知れない」と思うようになり、どんどんいろんなことにチャレンジできるようになった。

部活の練習にも精を出し、プロ野球選手になろうという目標も出来た。

文化祭では、中学校の全生徒が見る前で、主役としてお芝居をすることもあった。

僕にあったのは、たった一つの大きな成功体験だった。

ガンバって勉強して、結果的に良い点数を取れた。

この経験が、僕の背中を押してくれた。

「俺はできるんだ!」という勇気をくれた。
キミは、この話しを聞いて、「あなただからできるのでしょう」と言うかも知れない。

「いや、勉強とかガンバるの無理だし」と思うかも知れない。
でも、安心して欲しい。

僕が言いたいのは、勉強についてではない。

大事なのは、自信をつけてくれるキッカケだ。

キッカケさえあれば、人は変われる。

自信が持てなかった子どもが、自信を持てるようになる。

小学生のときの僕だったら、きっと600人が見ている前でお芝居をするなんて考えられなかっただろう。

物怖じして、「自分にはできない」と思っただろう。

しかし、小さなキッカケが僕を変えてくれた。

キミも、当時の僕と同じように変わりたいと思っているのであれば、必要なのは、小さなキッカケだ。

キッカケさえあれば、きっとキミも変われる。

僕はどんな人にも可能性があると思っている。

でも、その可能性が眠っていて、うまく活かされないだけだと思うんだ。

勉強は誰だってイヤだと思うし、めんどくさいことは、みんな嫌いだ。

ガンバるなんて難しいし、できれば努力なんてしたくない。

しかし、「できる!」という自信がつくと、まるで遊んでいるように、努力をすることができる。

他人からは努力に見えても、本人にはただ簡単にやっているだけに過ぎないことがある。
キッカケさえあれば、そんなことができるようになるんだ。
僕は今、そんなキッカケをつくることができる教室を運営している。

当時、僕は自信が持てなくて、とても辛かった。
いつも人と比べていたし、自分より下の人を確認して安心していた。

ガンバれない言い訳を常に考えていた。

だから、自信が持てなくて、モヤモヤしている人の気持ちは、痛いほどよく分かる。

分かるからこそ、「自信がつくキッカケ」をつくりたかった。

自信が持てない子たちが変われる後押しがしたいと思って、教室を立ち上げた。

TRY部という教室は、どこにもない教室だ。

勉強は一切教えないし、なにかを強制させることもない。

それぞれがやりたいことを見つけて、それに向けてガンバっていくところ。

やりたいことを見つからなかった子が自分の夢を見つけて、希望の高校へ進学する。

中学校にほとんど行っていなかった子が、滋賀から長野県へひとり旅にでる。

コミュニケーションが苦手で、「学校が楽しくない」と言っていた子が、クラス全員の前での自己紹介でも「緊張せずに楽しく話すことができました」と言う。

「TRY部に来ていなかったら、高校へ進学していなかったと思います」と言う子もいる。
自分は、もっとできる。
なにか変わりたい。
やりたいことを見つけたい。

モヤモヤして、くすぶっているのであれば、ぜひキミにはTRY部へ来て欲しい。

自信がつき、「もっとこんなことがやりたい」と笑顔で言えるようになれるハズだ。
ぜひ人生のキッカケになる機会をTRY部で得て欲しい。

キミが来るのをいつでも待っている。

 

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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