僕の不登校は、わずか「くじ1つ分」の差で始まった

今でも思う。

16年前のあの日、もし僕が引いたクジが「当たり」だとしたら、今ごろ僕は何をしていたのだろう。

僕は小学校のころから、あまり学校が楽しくなかった。
授業がつまらないわけじゃなかったし、放課後友達と遊ぶことも多かった。
でも、クラスの輪に溶け込めなかったのは、間違いなかった。

今なら思う。

僕がクラスの輪に溶け込めなかったのは、持ち前の敏感さが災いしていたから。(参考
でも、幸か不幸か、あのときの僕は、そして家族や周囲の人間は、みなそのことに気付かなかった。
6年間を過ごしたクラスメイトと決別すれば、すべての問題が解決すると思っていた。

見かねた家族が、別に地元の中学校に進学しなくても良い選択肢を教えてくれた。
国公立の中学校があって、電車通学はやや大変だが環境を一新することができる。

秋の終わりから、毎日1時間、欠かさず問題集を開いた。
ひょっとしたら今までの人生で一番勉強した時期かもしれない。
国語→算数→理科→社会の4教科を1日ずつローテーションして、必死に勉強した。

その結果、僕は一本に絞った某国立中学の筆記試験を、見事パスした。
やればできるんだと思った。

でも、そのあとに悲劇が待っていた。

実は、国立中学は筆記試験に合格したとしても、晴れて入学とはならない。
「抽選」というなんとも不可解なシステムがあるのだ。
ここでうっかりハズレくじを引いてしまえば、いくら成績優秀者とて入学することを許されない。

12歳そこそこの少年少女には、あまりにも残酷すぎるシステム。

筆記試験に合格した翌日、意気揚々とくじ引きに挑む。
50人くらいいる中から、くじ引きで不合格になるのは5人程度。かなり狭き門ではある。

勘の良い方は、もう気付かれたかもしれない。

さっさと書けば、その「5人程度」の不合格枠に、僕はうっかり滑り込んでしまった。

そのまま合格者説明会になだれ込む親子を尻目に、この場を去らなければならない屈辱。

いくら努力しても、どうにもならないんだという現実を受け入れるのに、すごく時間がかかった。
僕はいわゆる「滑り止め」を受けていなかったので、この受験失敗は地元の中学への進学を意味していた。

あれだけ避けたかったのに。環境を変えたかったのに。

悪夢のくじ引きから1ヶ月半後、僕は足取り重く徒歩20分の中学校への道筋を歩く自分がいた。
本当なら電車で1時間だったはずなのに、全然色の違うクラスメイトが待ってたはずなのに。

そんな思いと、敏感すぎる性質が災いして、ある日小さなトラブルを起こした。
ちょっとした同級生のマナー違反を先生より先に咎めたら、そのままトラブルに発展したのだ。
すると夜、担任の先生から家に電話がかかってきた。

小学校のときには、そんなことはなかったのに。

僕は悟った。

あれだけ避けたかった「地元の中学」って、やっぱりこんな世界なんだ。
これから先、きっとこんなことが何度も何度もあるのだろう。

だったら、やっぱり嫌だなこんな世界。

・・・翌日から、僕の不登校がはじまった。

国立中学の試験にパスした僕は、たったくじ1つ分の差で、中学校をドロップアウトした・・・。

1992年、当時の文部省がこんな認識を明らかにしました。

不登校は誰にでも起こりうるもの」。

それまで不登校というのは病気である、治さなければならない、という風潮が強いものでした。ところが「不登校は無気力症である」と新聞でコメントした精神科医に大きな批判が寄せられるなど、徐々に不登校に対する認識が変わりだしたころの、この文部省の動きでした。

そうなのです。

「不登校は誰にでも起こりうるもの」、なのです。

表向きはとても楽しそうにしていても、実はものすごくいっぱいいっぱいかもしれない。そんな子どもたちが、明日もちゃんと朝起きて「いってきます」、と学校へ出かけることができるとは、限りません。まして来月には新しい学校、新しいクラスがはじまります。そこで必ず環境に適応するとは、限りません。

コップいっぱいに水を張った状況を想像してみてください。

そこに、わずか一滴でも水をぽとりと落とすとどうなるか。とたんに水はあふれ出し、コップづたいに水がこぼれていきます。

「不登校になる瞬間」と似たようなものを、僕は感じます。

僕の場合、クラスメイトと合わないことでコップ半分くらいの水がたまり、受験の失敗でほぼ満水になったのだと思います。そして、水を減らせないまま中学に入学し、件の担任からの電話が「最後の一滴」になり、翌日からついに学校へ行くことができなくなりました。

最後の一滴がコップに落ちるきっかけは、とどめを刺すような大きな出来事からあまりに些細なものまで、人によってバラバラです。いきなりコップが満杯になって決定的な一滴が落ちたり、日々一滴ずつ溜まっていたものが最後に溢れ出す・・・ということもあるでしょう。

もしあの夜担任から電話がかかってこなかったら、僕は翌日も学校へ通えていたのか。そして、大なり小なりのトラブルやストレスを抱えて毎日学校へ通えていたのか。当然途中で水があふれてしまった可能性もあります。それはもう、神のみぞ知る世界の話です。

ただひとつ言えるのは、16年前のあの日、あの抽選箱から当たりのくじを引いていたのなら、今の僕はないということ。

僕の代わりにあの中の誰かが不合格となって違う道へ進ませることになりますが、「不登校?なんだそれ?」という道を歩み続け、今ごろ安定した収入でどこかの会社で働いていたかもしれません。またはやっぱり不登校になって、もっとひどい引きこもりになっていたかもしれません。

これもまた、神のみぞ知る世界の話です。

しかし、あのハズレくじのおかげで出会えた人たちがいます。いや、今の僕の人間関係の9割9分はあのときハズレくじを引いたおかげで出会えた人たちだと思います。もちろん当たりのくじを引いていたら、この団体で今こうしてコラムを書いているはずもありません。

人生は、紙一重、くじ1つ分の差で、大きく違ってきます。

僕のように、たった「くじ1つ分の差」で、不登校になった子どももいるかも知れません。

でも僕は今、あそこでハズレのくじを引いていてよかった、と思います。

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    この記事を書いた人

    子どものころより人一倍敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。

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