「子ども達が夢を持てば社会は変わる。」
学生の頃、そう信じて疑わない自分がいました。
少しだけぼくの話をさせてください。
ぼくが「子ども達が夢を持てば社会は変わる」なんて思うようになったのは、
中学校からの友だちがいたからです。
彼は工業高校に入学しました。
高校は別々になりましたが、休日はよく一緒に遊んでいました。
普通科に通うぼくとは違う授業を受ける友だちの話は、すごく新鮮でした。
工業高校を卒業した彼は近くの工場へ就職しました。
夜勤もある職場で、よく仕事の愚痴をこぼしていました。
就職して半年ほど経ったころ、彼は仕事を辞めてしまいました。
心配になったぼくは、彼に辞めた理由を聞きました。
「なんかダルくなった。」
そうとしか答えてくれませんでした。
仕事を辞めた彼は、好きだったアパレルのショップでバイトをはじめました。
ゆくゆくは正社員になれることを夢見ていましたが、結局その店も半年で辞めてしまいました。
ぼくは大学進学を選んだので、大学の部活やサークルに打ち込むようになり、
だんだんと彼とは疎遠になっていきました。
彼の友人から、アパレルショップを辞めた後どうしているか尋ねましたが、
友人も知らないと言っていました。
彼が今どこで何をしているかぼくは分かりません。
気がかりです。それ以上に後悔しています。
工場を辞めようとしてた頃の彼は、本当に辛そうでした。
辛い気持ちを忘れようと無理に騒いだり遊んだりしているようでした。
そんな彼に、ぼくがもっと何かしてあげたら彼の社会人としての生活が何か変わったのかもしれない。
そんな悔いが今もぼくの中にあります。
ぼくが「子ども達が夢を持てば社会は変わる」と思うようになったのは、
彼のように、辛い思いをしながら働かなくていい社会を作りたかったからです。
そのために必要なのは夢だと、大学生のぼくは思いました。
彼が工業高校に進んだのも、自分の成績と家から近いからというのが大きな理由でした。
もし彼に夢があって、進学先が変わったのなら仕事を辞めることもなかっただろうと考えたんです。
少し話は逸れますが、ぼくが大学生だったのは10年くらい前です。
このころは、「高橋歩」とか「きむ」のようなフォトエッセイ的な自己啓発本がブームでした。
ぼくも当時はよく読んでいました。夢が大事だと思うようになったきっかけにこれらの本は大きく影響しています、
この文章を読んでいる学生さんはピンとこないかも知れませんが、
「やりたいこと仕事にしようよ!」なんていうムーブメントは間違いなくこの辺りがきっかけになっています。こんなメッセージと同じ時期に、もう一つ別のトピックがブームになりました。
それが社会起業家やソーシャルという言葉です。
病児保育問題を解決しようと立ち上がったフローレンスというNPOがメディアに注目されるようになり、
社会起業家という言葉が学生の間でも広がるようになりました。
NPO法人で働くことに関心が高まったのも、これがきっかけだったように思います。
こう振り返ってみると、当時のぼくはメディアに如何に影響されていたかがよく分かります。
子ども達が夢を持って生きていけば、ぼくの友人のようなしんどさや生きづらさを感じる大人は減っていく。
そう考えたはNPO法人を立ち上げることを決めました。
法人を立ち上げて5年。
子ども達が夢を持つだけで社会が変わるとは思いません。
学生の自分は浅はかだったと思います。一方で、浅はかな自分でよかったとも思います。
法人として事業を進めていく中で、たくさんのことに気づきました。
今の制度では支援の手が届かない子ども達がいます。
子どもじゃなくて、子どもを取り巻く環境にアプローチしないと変わらない問題があります。
これらは、法人を立ち上げないと知れなかった問題です。
夢も大事だけど、社会を変えるために必要なのは夢だけじゃない。
もっといえば、夢がなくても普通に幸せを実感できることが必要な気がしています。
ちょうどこの文章を書いている時に、羽生結弦選手が平昌オリンピックで金メダルを獲得しました。
羽生選手のような小さい頃から1つの夢に向かって努力を重ねる生き方も素晴らしい生き方です。
確かにそうなんですが、このようなやりたいことに向かっていく生き方が美徳とされすぎているんじゃないかと、就活にのぞむ学生と話していて感じます。
就活シーズンになると「自分がしたいこと」を語ることを求められるそうです。
当然、したいことが無い学生は答えることができません。
いろんな面接や就活イベントでこんなことが繰り返され、
したいことがない自分はダメなやつなんだと自信をなくすんだそうです。
したいことなんて、働いてみないと分からないですよ。
目新しい企画を考えることが好きかも知れないし、地道に数値を入力していくことが好きかもしれない。
具体的なものは無くても誰かの助けになることが好きかも知れない。
自分が本当にしたいことなんて、働いてみないと分からない。
これがぼくの社会人としての実感です。
なのに、働いてたことのない学生に「自分がしたいこと」を過剰に求めるのは違うとぼくは思います。
もちろん今だって子ども達が夢を持つことは素敵だと思うし、それ自体を否定する気はありません。
もし、ぼくの生徒達が夢を持ったなら全力で応援します。
学生さんがやりたいことを見つけてそれに進んでいこうとするのも同じです、
ただ、やりたいことを仕事にしなくても良いし、普通の暮らしに満足する生き方も素晴らしいと思う。
特別じゃない、あまりパッとしないぼくたちでもご機嫌に暮らせる社会なら良いじゃないかとぼくは思います。
これが法人として事業を進め、いろんな方とお話しする中でぼくが得た実感です。
その上でぼくが働くD.Liveが掲げる「子どもがなりたい自分に向かって思いきり取り組める社会をつくる」とはどういうことなのか。
改めて考えた時に思うのは、子どもがアクセスできる居場所と、そこで出番がたくさんあることです。
子どもが安心して過ごせる地域の居場所が減っていると言われて久しいです。
実際、ぼくが事業をしている滋賀県の草津市では他府県から引っ越してくる人が多く、地縁がない家庭も多いです。
子どもが地域とつながる機会や情報もなかなか届いていないという声も聞きます。
こんな草津市で、子どもを取り巻く環境にどうアプローチしていくかを話し合った時に、
ぼくたちができることは不登校の子ども達が通える居場所を増やすことでした。
滋賀県にはフリースクールが県内に10箇所あるかどうかとくらい、フリースクールは少ないです。
教育委員会が持っている教育支援センター(公立のフリースクールみたいなものです)を合わせても、
せいぜい20箇所程度。
これらのフリースクールは、校区を出たことがない子どもにとってはすごく遠い場所にあります。
アクセシビリティが非常によくない。
子ども達が通いやすくするためにも、数を増やしていく必要があります。
だから、この2月から草津市に不登校の子ども達が通える新しい居場所を創ることにしました。
子どもがなりたい自分に向かって思いきり取り組める社会をつくるために、
不登校の子ども達が通える居場所を増やす。
当時の自分からは考えられないアイデアです。
聞く人が聞けばつながっていないように思われることでしょう。
でも、なぜこれが必要かはこれまでにご説明してきた通りです。
子どもを取り巻く環境を変えないと本当の意味で子どもが大人になった時の社会は変わりません。
もし、ここまでお読みいただいたあなたが何かしら共感する部分がございましたら、
不登校の居場所オープンに向けてご支援いただけませんでしょうか。
お恥ずかしい話ですが、資金が不足しているのが現状です。
D.Liveでは現在、開設のためのマンスリーサポーター (定額寄付)を募っております。
寄付での支援が難しいようでしたら、下記バナーのページをシェアしていただいたり、
うちの教室にきて子ども達と一緒に授業を受けたり、できる形でご支援いただけますと嬉しいです。
「子どもがなりたい自分に向かって思いきり取り組める社会」に一緒にむかってくれる人を
不登校の子どもたちが、信頼できる大人と友だちに出会える居場所づくり応援団募集!
「どうせ学校の先生は、オレのことなんてわかってくれない。」
不登校が長引き、私たちの教室に面談に来た生徒の言葉です。
不登校の生徒が、以前のような明るい表情や自信を取り戻すためには、信頼できる大人や友だちと出会える居場所が必要です。
私たちは不登校の生徒がいつでも通える居場所づくりに挑戦します。