血を吐きながら歩んできた8年という歳月は、全て子どもの笑顔を見るためだった。
「キミたちは、いったいなにがしたいんだい?」
真っ黒に日焼けしたフルノさんは、大学生の僕たちに聞いてきた。
「子どもたちが、夢を目指せる社会を創りたいんです!」
2009年10月。
団体を立ち上げて数ヶ月の僕たちは、NPOのコンペに参加していた。
フルノさんは、少し呆れた顔をしながら話しかけてくる。
「夢を目指せる社会ってなに? キミたちは、今の社会のどこに問題があって、誰が困っていると思っているの?」
僕は、なにも言えなかった。
ただ、「社会を変えたい」と思っていたものの、具体的なことまで考えていなかった。
高校生のとき、僕は不登校になった。
浪人して大学へ進学したものの、1ヶ月で引きこもりになった。
しかし、周りの人たちに支えられ、1年の引きこもりの末、僕は学校へ復帰した。
あのまま過ごしていれば、退学していただろう。
学校をやめ、今でも引きこもりのままだったかも知れない。
たまたま、僕は運が良かった。
たまたま、周りの人たちに助けられた。
たまたま、学校へ復帰することができた。
就職活動のとき。
自分になにができるだろうと考えた。
なにがしたい? なにができる?
考えたとき、“恩送り”という言葉が頭に浮かんだ。
苦しかったとき、僕は助けてもらった。
学校へ行けないとき、家の中で引きこもっているとき、とてつもなく苦しかった。
誰にも相談できなかった。
自分をわかってくれる人もほとんどいなかった。
暗闇の中を一人で歩いているように、孤独で、胸が張り裂けそうだった。
苦しい日々から抜け出せたのは、周りの人たちのおかげ。
僕は、その人たちに与えてもらった恩を次の人へ返そうと思い、NPOを立ち上げることにした。
苦しい子をなんとかしたい。
子どもたちがみんな夢を目指せたらいいな。
所詮、大学生の戯れ言だ。
フルノさんはじめ、たくさんの大人に言われた。
「夢ってなに?」
「夢が叶わなかったらなにが問題?」
僕たちにとって大きすぎる宿題は、解くまでに数年を要した。
自分たちは、どんなことがしたいんだろう?
どんな社会を創りたいんだろう?
考えても、考えても、答えは見つからなかった。
自分たちがやろうとしていることは、ただの自己満足で、取り組む価値なんてないんじゃないだろうか……?
そんなふうに思ったこともあった。
仕事もせず、バイトをしながら食いつなぐ日々。
社会問題の本を読み、新聞に目を通しながら、自分たちが解決したい問題を探す。
なにがしたいんだ?
行き詰まりを感じ、2ヶ月ほど、長野県へ行って住み込みでバイトをしたこともあった。
僕たちは、敗者復活できるような社会を創りたかった。
能力や才能、育った環境に関わらず、その子たちがイキイキと生きていける社会を創りたかった。
貧困で、進学を諦める。
学力不足で、仕方なく就職する。
学校が合わず、学校へ行けなくなる。
今ある日本の制度では、こぼれ落ちてしまう子がたくさんいた。
その子たちが、「ガンバろう!」「まだできる」と思える社会を創りたかった。
「やればできるんだ!」と希望が持てる国にしたいと思った。
でも、まだまだ曖昧だ。
「なにがしたいんだい?」と言われたときの明確な回答にはなっていない。
僕たちは、社会のどんな数字を変えたいのだろうか?
貧困率? 高校中退の数? 一人親家庭の人数?
取り組みたい数字に着目すれば、やるべきことも見えてくる。
『現代用語の基礎知識』を来る日も来る日も眺める日々。
なにかないのか?
目を皿にして眺める。
そして、一つの言葉を見つけた。
それが、“自己肯定感”(自尊感情)だった。
日本の子どもたちは、他国に比べて自信を持てておらず、自己肯定感が低いということが書かれていた。
これじゃないのか?
見た瞬間、ピーンときた。
自己肯定感を高めることが、僕たちが創りたい社会に繋がるのではないだろうか?
そう仮説を立て、次の行動へと動いた。
教育学や教育心理学などの教授を訪ね、自己肯定感について教えを乞うた。
今の子どもたちは、ほんとうに自己肯定感が低いのか?
自己肯定感が高まれば、今の社会問題は解決するのか?
一つ一つ、仮説を検証していった。
もう気がつけば、フルノさんに宿題をもらってから2年以上がたっていた。
大学の同級生が、就職し、ガンバっているのを見て、自分自身が情けなくなったこともあった。
なにをしたらいいかわからず、ひたすら文献を調べているだけの日々。
「いつになったら、見つかるのだろう?」
「もしかしたら、見つからないかも知れない……」
不安や焦りを押し殺して、足繁く図書館へ通っていた。
でも、やっと突破口が開けてきた。
自己肯定感や自尊感情について、統計を調べ、関連する文献を読む。
すると、自分たちがやりたいことが、少しずつ明確になっていった。
人がなにかチャレンジをしようと思うとき、キーポイントになるのは、自己肯定感だ。
「やればできる」と思っている子は、行動をおこせる。
難しい課題でも、「やってみよう!」と思える。
しかし、自信がなく、「できない」と思う子は、どんなことにも行動をおこせない。
そして、不登校やいじめを受けた子、自ら命を絶つ子の自己肯定感は、とても低い。
調べてみると、自己肯定感が低いことは、大きな話題として取りあげられていたものの、対策はほとんどとられていなかった。
「この問題こそ、僕たちが取り組む課題じゃないのだろうか?」
やっと、長かった宿題が終わった。
僕たちは、子どもが自己肯定感が低い状態でいる、この社会を変えようと決めた。
子どもが自分に自信を持てず、未来に希望を持てない。
自分自身の可能性を諦めている現状をなんとかしたかった。
やりたい方向性が分かり、NPO法人化したものの、全くうまくいかない日々。
誰も知り合いがいない。
土地感もない滋賀県。
仕事もなく、なにもできない無力感に毎日さいなまれていた。
小学生向けの教室を開いたものの、生徒は全く集まらない。
広告を出す、値段を下げる、ビラを配る。
なにをしてもうまくいかない。
当初来ていた3人の生徒も、次第に卒業していった。
結局、法人化して初めて立ち上げた教室は、2年で幕を閉じた。
思いはあった。
できることは、いろいろ試してみた。
けれど、うまくいかなかった。
NPOは、難しいと思っていたし、先輩の人たちにも、「時間がかかる」と言われていた。
でも、正直もうちょっとマシだと思ってた。
法人化しても食べることは出来ず、朝からコンビニでバイトをする。
「いつになったら、ちゃんと食べることができるんだろう……」
そんな不安で、全く先が見えない頃だった。
そのとき、数ヶ月に1回、メンター(起業家の先輩)に事業相談にのっていただいていた。
ちょうど、小学生向けの教室をたたもうと思っていたときのこと。
「田中くんさぁ」と、メンターの先生が話しかけてくる。
「はい」
「塾をやりなよ」
「はい?」
なにを言っているのかわからず、思わず聞き返してしまった。
「塾をやればいいんだよ」
さすがにと思い、反論をする。
「いや、でも……。僕たちは、塾がやりたいわけじゃないんです」
「わかってるよ」と、そんなことは当たり前だ、と言わんばかりに先生は話す。
「学習塾をする必要はないんだよ。でも、塾をするんだ。よくわからない教室をしてても人は集まらないし、意味もない」
「塾ですか?」
「うん、塾だよ。キミたちが塾をすれば、おのずと他の教室とは違う、独特の教室ができるハズだよ。だから、やってごらん」
そう言われ、僕はまたしても大きな宿題をもらい、家に帰った。
僕たちがやりたいのは、自信を持てていない子の支援であり、自信がつく教室をすることだった。
だから、小学生のフリーペーパーをつくる教室を開いたのだ。
取材や記事づくりを通して、自信をつけて欲しかったから。
でも、そんな教室は他に例がなく、生徒は全く集まらなかった。
「どうせ今の教室は閉めるのだし、考えてみよう」と思い、塾について考えてみた。
いろいろ調べてみると、興味深いデータを見つけた。
自己肯定感は、勉強と相関があるという。
つまり、勉強が苦手な子は自信を持てず、勉強が得意な子は自信を持てているということ。
「あながち塾も悪くないかもしれない」と思い、知り合いの保護者さんに連絡し、まずは無料で1ヶ月開講することにした。
勉強は教えず、自信をつける塾。
いったいなにをしたらいいのかわからず、試行錯誤で授業をおこなう。
「いや、テストとか意味わからへん。なんで勉強とかする必要あるんやろ?」と、来ていた子が話してれる。
中学生は、そんなことを考えているんだなと思いながら、勉強について話しをする。
愚痴や悩み、相談をなどを聞いていくと、だんだん子どもたちからホンネが聞こえてくる。
「やっぱ、勉強できるようになりたいねん」
「俺、あほやから、全然あかんわ」
勉強に自信が持てず、「どうせやっても意味ないわ」と言っていた子が、次第に勉強への意欲を持つようになっていった。
お試しの1ヶ月が過ぎ、生徒も「続けたい」ということで、そのまま教室を開くことにした。
成績がスグにあがることはなかったけれど、子どもの勉強への姿勢は少しずつ前向きになっていった。
団体を立ち上げてから、もう5年がたっていたが、未だに試行錯誤の日々。
子どもたちに「なにが難しい?」「どうなりたい?」と聞きながら、手探りで授業をつくっていく。
すると、「親身になって子どもの話しを聞いてくれるところがあるみたい」という口コミで、生徒が少しずつだけれど増えていった。
そして、そのほとんどが学校へ行けない不登校の子だった。
「うちの子、自分に自信が持てず、とてもしんどそうにしているんです」
「学校になかなか行けないんです」
別段、不登校の子をターゲットにしたわけでもなかったけれど、学校へ行けなくてしんどさを抱えた子が好んで教室へ来てくれた。
その子たちのために、どうしていったらいいかを一緒に考える。
ひとり旅をすすめて、旅に出したこともあった。
そうすると、子どもは劇的な成長を遂げ、進学や復学するようになった。
そんな活動が評判を呼び、次第に不登校に関する相談を受けるようになっていった。
もう、気がつけば、「塾をしなさい」と言われて、教室を開講してから3年がたった。
未だに試行錯誤は続くものの、子どもたちは順調に育ってきた。
学校に馴染めず、なかなか学校へ行けなかった中学生の男の子。
教室へ来たときは、ほとんどしゃべることがなかった。
「なにか目標は、ある?」と聞いても、「別にない」と言う。
「自分の良いところは?」という質問にも、「ない」と答える。
自分に自信が持てず、自分に関する質問はほとんどシャットダウンしていた。
感情を出すことは少なく、笑うこともほとんどなかった。
しかし、教室へ来るうちに、次第に話してくれるようになる。
「こんなことがしたいねん」と、意思をしめすようになった。
今では、「悩み持っている子どもは、この教室に来たらいいのに」と言い、楽しそうに高校へ通っている。
学校へ行けず、引きこもっていた中学生は、今では受験勉強をガンバっている。
「学校へ行けない自分なんてダメだ」と思っていて、知り合いに会いたくないから、外に出られなかった。
毎朝、「学校へ行こう」と思うものの、行けない。
その度に、彼は自己嫌悪していた。
「自分は、なんてダメな人間なんだろう……」
親から、「将来どうするの?」と聞かれるたびに、不安がおそってきた。
このままでは、自分はずっと家の中で過ごすことになるんじゃないのか?
学校には、もう二度と行くことはできないかもしれない。
そう思っていた彼が、今は学校のテストを受け、オープンキャンパスにも行くようになった。
5年前、フルノさんに「キミは、苦しんでいる子の名前を何人言えるんだい?」と聞かれた。
そのときは、答えられなかった。
でも、今は違う。
たくさんの子どもを見てきた。
どうして苦しんでいるのか。
どんなことで苦しんでいるのかがわかる。
夢や目標はあるけれど、自信が持てず、理想と現実の間で苦しんでいる子。
ひとりで悩みを抱えている子。
学校へ行けないことで、自分を責めている子。
人と比べ、出来ない自分にうんざりしている子。
ほんとは勉強ができるようになりたいけれど、自信が持てない子。
団体を立ち上げたとき、僕たちは”夢を目指せること”が大事だと思っていたけれど、”夢”ってのが良くわかっていなかった。
しかし、今ならわかる。
“夢”とは、”希望”だ。
「こんなふうになりたい」「こんなことがしたい」という希望。
自分に自信が持てない子は、希望がもてない。
未来を諦めてしまう。
「どうせ自分なんて……」と言って、自分の可能性を諦める。
子どもは、数字や結果で判断される。区別される。
子どもには、たくさんの良さがあって、可能性があるのに、なかなか気づかれない。
本人自身も、気づいていない。
だから、学校へ行くのがしんどくなってしまったり、家から出られなくなってしまう。
「自信がない……」と言って、苦しむ。
活動をはじめて8年。
”自己肯定感”を課題に設定したのは、間違っていなかった。
手探りで教室をはじめたけれど、その中でたくさんの課題を持っている子に出会った。
子どもたちに教わることのほうが多かった。
不登校支援をしようなんて思ってもいなかったけれど、たくさんの人たちに「昼の居場所をつくって欲しい」と声をかけてもらって、新しく教室も開いた。
“自己肯定感”をもっと広めていこうと思い、『子どもの自信白書』も毎年発行できるようになった。
保護者さんに、「講演で話してもらったことで、今、うちの小学校では自己肯定感がブームになっていますよ」と言っていただいた。
昨年から、滋賀県基本構想の審議員として、県の政策にも関わっている。
僕たちは、常に試行錯誤だ。
まだまだ、わかっていないこともたくさんあるだろう。
でも、一つだけ確かなことがある。
それは、どんなときでも、子どもの笑顔をつくるために活動をしていきたいということ。
苦しんでいる子に手を差し伸べたい。
どんな子どもでも、自分の未来に期待ができる社会をつくっていきたい。
大きな夢なんて持たなくてもいい。
けれど、「こんなことしたいねん」と、子どもが笑って希望を語れる社会にしたい。
「俺、あかんねん」と、自分をあきらめてしまう子を生み出さない社会にしたい。
目の前にいる子と向き合っていたら、いつの間にか8年もの歳月がたっていた。
知り合いがいなかった滋賀県だったのに、駅前を歩くと、たくさんの方々に声をかけられるようになった。
「いつも応援しているよ」
「この前、新聞みたよ」
「また、顔出すね」
教育は、複合的な問題で、変化をおこすには、時間もかかるだろう。
難しいこともたくさんあると思う。
でも、僕たちはたくさんの人たちと共に、子どものために、この社会を変えていきたい。
誰一人、自分自身の可能性を諦めてしまう子どもを生み出さないために。
不登校の子どもたちが、信頼できる大人と友だちに出会える居場所づくり応援団募集!
「どうせ学校の先生は、オレのことなんてわかってくれない。」
不登校が長引き、私たちの教室に面談に来た生徒の言葉です。
不登校の生徒が、以前のような明るい表情や自信を取り戻すためには、信頼できる大人や友だちと出会える居場所が必要です。
私たちは不登校の生徒がいつでも通える居場所づくりに挑戦します。
アクセスは、こちら!