この教室は、「分かって欲しい」と思う思春期の子どものオアシスだ。〈TRY部 授業レポート〉

もっと話しを聞いて欲しかった。
もっと自分のことを分かって欲しかった。

急に、子どものときのことを思い出して、僕は無性に寂しい気持ちになった。

親も先生も友達も、みんな自分の一部分しか見てくれない。

本当に見て欲しいところは、誰も見てくれない。

中学生の僕は、いつのまにか理解してもらうことを諦めていた。

「どうせ、誰も分かってくれない……」と思い、自己主張することをやめた。

もう、これ以上、傷つきたくはなかったから。

TRY部で授業をしながら、僕はあのときの気持ちは思い出していた。

そして、思った。

もし、自分がここで同じ授業を受けていたらどうなっていただろう……と。

『自分の取り扱い説明書』というワークを受ける機会があったら……。
このワークを楽しくやってくれるところがあったら……。

過去を嘆いても仕方がないことは分かっている。

でも、やはり思った。
もし、自分が受けていたらどうなっていただろうか……と。

自分の長所や特技、自慢。
されるとイヤなこと。言われたくないこと。
言って欲しい言葉。

A4の紙に自由に書いていくのだけれど、僕は童心に返り、子どもたちと同じようにワクワクしながら、書いていた。

「こんなことを知って欲しい」
「僕はこんな人間なんだよ!」

言葉では、口にしにくいこと。
恥ずかしくて、決して言えないこと。
なんて言われるか反応が怖くて、なかなか言えないこと。

どんなことでも、ここでは自由に書ける。
まるで、魔法のキャンパスだ。

どんなことを書こうか?
あれも、これも。そうだ、あんなことも……。

30分という時間では足りないほど、僕は気持ちよく自分の取り扱い説明書を作っていった。

生徒たちも同じだった。
それぞれの書き方で、楽しそうに書いていた。

褒められると伸びます。
イライラしているときは、目つきが悪くなります。

短所なんて、なかなか人には言えない。

でも、知っておいてもらえると、助かることもある。

「目つき悪くて、付き合いづらいなぁ」と思うのと、「あっ! 今、機嫌が悪いんだなぁ」と思うのでは、付き合いかたが変わってくる。

「褒められるのが嬉しいです」なんて、自己紹介でなかなか言えない。いや、絶対無理だろう。

みんなから、「いや、何言っているの?」と思われるのがオチだ。

でも、この取り扱い説明書なら、自由に書ける。
なんと言っても、『私の取り扱い説明書』なのだ。
用法、用量を守ってもらうために、みんなに自分を知ってもらうために書くのだ。

楽しい、楽しい、楽しい。

自分を知ってもらうというのは、こうも気持ちの良いものなのかと、改めて気がついた。

人は、誰でも自分がカワイイし、自分のことを知って欲しい。分かって欲しい。

思春期になると、大人ぶりたい気持ちもあって、「僕のことをもっと分かってよ〜」とは、言えない。

「ちゃんと分かれよっ!」と思っている。

でも、心の中では、「どうして分かってくれないの?」とシクシク泣いている。

まぁ、大人からすればちょっとめんどくさいけれど、それが思春期だ。

僕たちもみんなその道を通ってきた。
ほとんどの子は、「大人は自分のことを分かってくれない」と思っている。
心のどこかに孤独を抱えている。

さびしいけど、その気持ちをうまく表現できない。
だから、イライラするし、ケンカもする。

分かってくれる人がいる、分かってくれようとしてくれる人がいたら、きっとどれだけ心強いだろう。

もし、僕が中学のとき、「プロ野球選手になりたい」と言ったとき、本気で応援してくれる大人がいたら、僕はもっと自信をもってガンバれたと思う。

別に親や先生のせいにするつもりはないし、「諦めたほうがいい」というのも優しさだったのだろう。

でも、僕はさびしかった。
たった一人で戦っている気持ちだった。

先生も友達も、誰も自分の気持ちなんて分かってくれないと思っていたし、次第に心を閉ざすようになった。

気がつけば、明るかった自分が、学校で一言もしゃべらず、誰とも目を合わせないようになった。

安心できる環境があれば、勉強の意欲が増すと言われている。

でも、勉強だけじゃないと思う。

自分のことを分かってくれ、受け容れてくれる人がいたら、前向きに、楽しく人生を過ごすことができると思う。

たくさんの欠点があって、自分なんかダメだと思っても、「そんなキミでも大丈夫」と言ってくれる人がいれば、「もうちょっとガンバってみようかな」と思える。

僕は、思春期のとき、常に孤独とともにいた。
誰にも心を開けなかった。

だからこそ、僕は子どもたちの心に寄り添いたいと思う。
分かってあげたいと思う。

正直、TRY部は僕にとってすごく羨ましい場所だ。
僕は、どう転んでも、TRY部の生徒にはなれない。
子ども時代に戻り、授業を受けることはできない。

「みんな野球選手になりたいって言ったら笑うねん。俺、本気やねんけど、誰も分かってくれへんねん」って、心の叫びを訴えることはできない。

そう思うと、すごく悲しい気持ちになる。

でも、僕と同じような寂しさを感じている子にとって、TRY部は心のオアシスになるだろう。

乾ききった心を癒やしてくれる、砂漠の中にあるオアシスだ。

僕が欲しかったオアシスがこのTRY部には、ある。
 

それでも……。

あぁ、、生徒としてTRY部の授業を受けたかったな……。
  

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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