不登校が、もっともっと前向きな存在であるために。―「不登校」で振り返る2017年

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早いもので、2017年ももうすぐ終わり。

今年、D.Liveでは不登校に関する事業を次々とスタートさせました。不登校の子どもたちには昼間に過ごせる場所「昼TRY部」、そして保護者の方向けには月に1度の「不登校のおはなし会」。これらは、気づけばいつもたくさんの生徒や参加者でにぎわうようになりました。

正直、ものすごくびっくりしています。

僕自身、こうした不登校の事業に携わるのははじめてではありません。しかし、ここまで「不登校」の場が少ないこと、そして需要が大きいことは、完全に想定外でした。とくに「不登校のおはなし会」は毎回滋賀県内の開催ですが、必ず県外、それも時には関西以外からお越しになられる方もいます。

「不登校」という、強烈な個性を持つ子どもたちは、時に協力しながら時にぶつかりあいながら、一歩一歩ずつ前を進んでいます。そして「おはなし会」に集う保護者の方も、時折涙を流しながら、鬱積した思いを話し、ゲストの体験談をしっかり記録しながら、また前を向かれています。

不登校だからといって、下を向く必要なんてないのです。学校に行ってなくても、そんな子どもが家にいたとしても、前を向いていい。負い目を感じることなど、ありません。

・・・と明言した僕も、昔は負い目を感じていました。

学校に行っていない。それはつまり授業はもちろん、学校でのイベントごとにも参加していない。ということはどうなるか、卒業アルバムに自分が載らないかもしれない。もしかしたら自分は学年の中で「忘れ去られた存在」になるのではないか。

こう焦って、修学旅行に前代未聞の「1日だけ」参加したことがあります。両親はわざわざ仕事を休み、半日かけて雪深い長野の山奥にいる修学旅行本隊まで送り届けてくれました。そして数時間後に僕をピックアップしてまた京都に帰ってくる。

いまとなってはいくらドライブ好きだった両親とは言え、必死に雪道を上り手を真っ赤にしてタイヤにチェーンを巻かせたりして、非常に申し訳ないことをしたと思っています。実際それで自分がきちんと卒業アルバムに(クラス写真以外で)載ったかさえ曖昧だと言うのに。

あのときは、とにかく学校に行けない自分を、ものすごく悔いて責めていた時期でもありました。

でも、今はもう、負い目を感じることはありません。

僕は結局、「忘れ去られた存在」にはなりませんでした。今年の夏、ほとんどが中学校もいっしょだった保育園の同窓会があって久しぶりに同級生に会いましたが、まるで僕が毎日学校へ通っていたように、ごくごく自然に彼らと談笑していました。彼らもそれを受け入れてくれていました。

13年前の僕は、きっと考えすぎだったのでしょう。それが負い目につながり、「不登校である自分」をずっとずっと悔い責めていたのだと思います。

この1年、僕が担当している水曜日のブログは、イベントレポートなどを除いて「不登校」というテーマに沿ったものをお届けしてきました。それは、不登校の今を取り上げる話題から、かつて僕が「負い目」だと深く後悔していたことも、包み隠さず書いてきました。

そのなかで、時々温かなコメントをいただく機会にも恵まれました。そして、僕の不登校体験を実際にお話しさせていただく機会もありました。このブログや講演、そのほかの場所で発信した僕の言葉や文章から、何かお役に立てたのなら、すごく嬉しいです。

でも、これではまだまだだと思っています。

この時間、この文章を書いている間にも、日本のどこかで不登校という3文字に悩み苦しむ人たちが必ずいるはずなのです。そして、D.Liveのサービスやスタッフの言葉、文章は、そんな人々にまだまだ届けられていないのも、事実だと思います。

先日引用したデータにもありましたが、小中学生の不登校はここ5年右肩上がりの傾向があります。中学生の不登校は久々に10万人の大台を越えました。進級や卒業を契機に学級復帰・不登校を脱却できた生徒とほぼ同じ人数の生徒が、新たに不登校になったデータもあります。

しかし不登校の問題はこれだけではありません。このデータは実際に学校を休んでいる子どもたちの数「のみ」出しているものです。つまり、「学校が嫌だけど、毎日辛い思いをしながら通っている」子どもたちの人数は、なんら反映されていないわけです。

僕は「不登校」をテーマにしつつ、余力があればそんな人たちへ向けてもメッセージを送り続けました。しかしずいぶんと弱いメッセージであったことは事実です。今年の大きな反省点でもあります。

もしかしたら、本当は学校に行きたくない、だけどそれを周囲が許してくれない。こんな例はたくさん埋もれてるのだろうと感じます。先日も兵庫でいじめを苦に自殺した中学生のニュースが報じられました。もしも「学校に行かない」選択肢を誰かが教えてあげられたら、その命は救えたかもしれない。

ひとくちに「不登校」「学校に行かない」と言っても、抱える問題は千差万別なのです。

昨年もこの時期に同じことを書いたのですが、「僕が発信している文章は、果たして本当に『必要としている人々』に届いているのか?」と自問自答しながら走り抜けた2017年でした。少数の人が不登校への知見を深める、これも喜ばしいことです。でも、逆に言えば不登校への偏見を持つ人も、まだ大勢います。

教育の多様化、互いが認め合える社会へ、という言葉も頻繁に耳にするようになって久しくなりました。たしかに昔ほど、著名人やその家族、また一般の方でも「不登校でした」とカミングアウトすることが困難ではなくなってきたように感じます。

以前も書きましたが、教育とは関係ないとある飲み会で「学校嫌だったなー、ほんと行かなくていいよあんなところ」とこぼしていた方がおられました。きっと、「学校が嫌だった」人は、カミングアウトしないだけで本当はたくさんいるのかもしれない、と直感した瞬間でした。

今よりも、もっともっと不登校である(あった)ことを胸張っていい社会が来るように。

そして、今「負い目」だと感じていても、いつかそれが力になれる日が来るように。

私事ですが、来年は「挑戦」の年にするつもりで、D.Live以外で活躍の場を広げることにしました。もちろんこの団体での活動も続ける予定ですが、今以上に多種多様な子どもたちと関わる機会も増えます。

それで、不登校支援をおろそかにするつもりは、まったくありません。来年もこうやってブログはもちろんのこと、今以上に人前で僕の不登校体験談や考え方をお話する機会があれば、どんどん登壇しようと考えています。というか、むしろ「不登校に関する講演、させてください!」という気持ちでいっぱいです。

今年も1年、水曜日の僕のコラムにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。来年もまた不登校や学校がしんどいというキーワードを中心に、コラムを発信し続ける予定です。来年もどうぞよろしくお願いいたします!

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山本 駿

山本 駿

子どものころより過度に敏感な特性を持ち、中学3年間を不登校で過ごす。大学卒業後、不登校ボランティアを経て2014年よりD.Liveに参画し、現在は通信制高校教員を両立しながらTRY部や不登校講演事業を中心に担当。HSP(Highly Sensitive Person)特有の極度な繊細さを活かし、今を生きる子どもたちの先生でも友達でもない「ナナメの関係」になることを目指しています。