満足度の高い講演をする方法は、スタバの接客だと教授から教わった。

僕が大学生の頃。
アルバイトをしていたのが、スターバックスだった。

接客などほとんど経験がない僕は、初めの頃は、レジの前に立つだけで緊張をしていた。

スタバは、新人研修が充実しており、京都で働いているにも関わらず、わざわざ大阪まで1日研修を受けにいくこともあった。

コーヒーの知識やドリンクの作り方、スターバックスの精神について教わる。

30時間以上、研修の時間はあっただろうか。

でも、唯一なかった研修があった。

それが、接客だ。

接客については、ほとんど教わらなかった。

レジの使い方は教えてもらうものの、どんな言葉を話すかについても、なにも言われなかった。

普通、飲食店だと、接客の研修が一番多くを占めると思う。

どんな言葉を使い、このシチュエーションではこういう言葉を話す。

マニュアル一辺倒ではないお店でも、少しくらいのレクチャーはあるはずだ。

しかし、スタバにはなかった。
(少なくとも、僕は全く教わらなかった)

では、なにを基準に接客をするのか?

あるのは、スターバックスの店員としてのおもてなしのみ。

スターバックスとして大切にすることを実践すれば、それで良かった。

スターバックスは、家と会社(学校)以外のもうひとつの居場所、サードプレイスだと教わった。

ならば、僕がすることは、来てくれる人たちがほっこり出来るような居場所をつくること。

そう考えると、必然的に接客は決まってくる。

大声で「いらっしゃいませ」なんて無粋だし、リラックスできない。

ガツガツといくのも、無愛想にするのも違う。

「帰ってきた」「ここはくつろげるな」

安心できる空間を作るための接客を心がけた。

だから、画一的な対応をすることはなかった。

就活で疲れていそうな大学生には、「ガンバってください」と声をかけ、朝のサラリーマンには爽やかに「いってらっしゃい」と言う。

「上手に接客しよう」「上手くやろう」などと、考えることはなかった。

思っていたのは、その人たちが店を出るときに小さな勇気や元気をもらってくれること。
「来て良かった」と思い、帰ってもらうことだけだった。

スタバでバイトをし、そのあとも飲食店で就職していた僕は、教育業界に入り、講演活動をするようになった。

まだまだ認知度の低い“自尊感情”という言葉をもっと多くの人に知ってもらいたい。
伝えたいと思った。

自尊感情という言葉が知れ渡り、子どもと関わる人たちが「自尊感情を大切にしよう」という意識が高まれば、子どもの自尊感情も高まっていく。

僕たちがどれだけガンバっても関われる子どもの数は変わらない。

けれど、たくさんの大人たちが自尊感情を理解し、関わり方を会得することができたら、より多くの子どもたちに影響を与えることができる。

だから、僕たちはどんなところでも講演をしていこうと決めた。

僕は教育畑出身ではなくて、先生経験もない。心理学の専門家でもない。

正直、30歳前後の若造になにができるのだろうと思っていた。

だから、ずっと自信は持てなかった。

講演の仕事が来るたびに怖かった。

「本当にできるのだろうか?」
「主催者の人は、満足してくれるのだろうか?」

不安でたまらないから、入念に準備をした。

30分近くの講演でも、スライドは50枚を越えた。

講演時間が長いときには、スライドは100枚以上になったこともある。

とにかく、ミスをしないように。

練習をして、上手く話せるように準備をした。

会場へ向かうまで、何度もスライドを確認し、セリフを暗唱した。

講演が終わったあとも、ずっと消化不良だった。

「本当にこれで良かったのか?」
「もっと上手に話すことはできなかったのか?」
「スライドが分かりづらかったのでは?」

講演、いつまでたっても僕にとって“厄介な仕事”だった。

とにかく、達成感がなかった。

うまくいった、うまくいかなかったの反応が見えづらく、手応えがなかった。

その原因が分かったのは、とある教授の講演でのことだった。

同志社女子大学教授の上田信行先生に会えると聞いて、僕は大阪まで行ってイベントに参加した。

上田先生は、ワークショップデザインの専門家で、次々とおもしろい企画をおこなっている先生だ。

僕は、ワークショップのことを学ぼうと思い、イベントへ参加していた。

そのときに、上田先生がおっしゃったことを僕はその日から忘れたことがない。

「オーディエンス(参加者)が最大の変数なのに、どうして用意してきたスライドだけを流してプレゼンをすることができるのだろうか?」

雷に打たれたような衝撃を受けた。

そうか……。
そうだったのだ。

自分が今まで講演を面白く感じなかった理由。
手応えを感じられなかった原因が、やっと分かった。

僕は、ずっと上手にプレゼンをしようと思っていた。
ミスのないように、失敗しないようにやろうと思って準備していた。

でも、僕は参加者のことを全く見ていなかった。

ただ自分が話したいことだけを話していた。

これは、マニュアルを見て接客をすることと同じだ。

一人一人のことを見ず、ただ可もなく不可もなくの対応をしていた。

失敗はないだろう。
クレームをもらうこともないし、不満も特にない。

でも、喜ばれることもない。

スタバで働き出したとき、僕は接客が格段に上手かったわけではなかった。

それでも、一人一人のお客さんを見て、どうすれば喜んでもらえるかを必死で考えていた。

稚拙だけれども、心を込めたおもてなしが出来ていたはずだ。

なのに、僕は今、変にテクニックだけを身につけた、おもしろくもないヤツになってしまっていた。

それに気がつき、僕は“上手いプレゼン”をやめた。

100枚作っていたスライドも20枚以下にまで減らした。

一人一人の参加者をじっくり見て、それぞれの人たちがちゃんと満足して帰ってくれるかを考えようと思った。

話すテーマだけをざっくり考えて、あとは現場へ出て対応をした。

質疑応答を増やし、参加してくれた人それぞれが聞きたいことを聞ける環境を作るようにした。

怖くなかったと言えばウソになる。

なにを話すかも決まっていないアドリブ全快の講演。
いつ言葉が出なくなるのかも分からない。
会場からどんな質問が飛んでくるかも想像できない。

ヘタをするば、大失敗する可能性もある。

でも、僕はそのミスよりも、参加者の満足度を高めることを優先したかった。

スタバのときと同じ、参加者それぞれが「来て良かった」と思って帰って欲しいと思った。

せっかく費やしてくれた時間を絶対に無駄にするものかと思った。

そうやって、講演のスタイルを変えると、参加者の反応が全く違うようになった。

なにより自分自身も楽しくなった。

先日、豊中で講演をおこなったときのこと。

「言葉がすんなり入ってきました」
「今の仕事が好きなんだなぁって話しを聞きながら思いました」

そんなコメントをいただいた。

今までは、まるでセリフを読むように話していただろう。
でも、今は違う。
台本もなく、ほとんどがアドリブ。
言葉を選び、一つ一つ紡ぐように言葉を発する。

だからこそ、言葉に気持ちが乗り、感情が表れる。
だからこそ、心に届く。

100人に講演をするとしても、僕は100人に向かって話すことはもうやめた。

たとえ100人いたとしても、出来る限り一人一人の顔をみて、その人達が満足できる場をつくる。

「来てよかった」と思える時間を作っていきたい。

豊中での講演は、僕にとって、このスタイルが「間違っていない」という確信を得られる機会だった。

まだ、30歳そこそこで、上手いプレゼンなんてできるハズないし、する必要もない。

たとえヘタくそでも、僕は一人一人の人たちが心震えるような講演をしたい。

鈍く、心地よい爪痕を残せる話しをしていきたい。

大学生でなにも持たなかった僕が、懸命におこなっていた接客のように。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
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