【10.15 不登校のおはなし会レポート】子どもとのコミュニケーションはジグソーパズルのようなものかもしれない

10月15日(日)に第4回目の「不登校のおはなし会in滋賀」をおこないました。
この日は14名の保護者さんが参加され、過去最高の人数でした。
中には大阪や愛知から来られた方もおられました。
今回のテーマは、「不登校の経験がある大学生と話す 勉強・進路・将来」。
ゲストスピーカーに京都の大学に通うさくらさん(仮名)とまゆさん(仮名)をお招きし、
不登校だった時のことや、不登校から復帰したキッカケをお話いただきました。
話題の中心は学校復帰のきっかけになったコミュニケーション。
さくらさんの場合は、お母さんの理解があるおかげで前向きになれたそうです。
ーー私の場合は、お母さんが「しんどいなら行かへんかったらいい」と言ってくれたのが一番嬉しかったですね。それまでは学校は行くべき場所と思ってガマンしていましたが、お母さんのおかげで心が楽になりました。
まゆさんは、先生の熱心な働きかけがあったから復帰につながったそうです。
ーー私は、学校に行けないまま年度が変わりました。新しい担任の先生がとても親身になってくれる先生でした。毎日家に来てくれて、勉強も教えてくれたんです。
二人とも共通していたのは、ネットで会ったことの無い人とコミュニケーションをとっていたことでした。
さくらさんは、その日のニュースについて気になった言葉をチャットで質問していたそうです。
まゆさんは、ヤフー知恵袋で不登校のことを相談したと言っていました。
学校に行けない間、二人ともネットでコミュニケーションをとっていました。
そしてそれは、二人にとって良い経験だったそうです。
ゲストの二人から話題提供いただいたあとは、参加者みなさんでお話する時間です。
同じ熱心な先生でも、受け入れられる先生と受け入られらない先生がいる。その違いは何だろう?
ネットのコミュニケーションは確かに今の時代っぽいけど、一方で怖い部分もある。親は何ができるだろう?
参加者一人ひとりが疑問に思うことや考えたいテーマを持ち寄り、グループで話し合いました。
約1時間ノンストップでした。イベント後も残ってお話しされる場面も。
コミュニケーションはジグソーパズルだ。
私はコミュニケーションはジグソーパズルだと思っています。
私自身も「昼TRY部」というフリースクールで子ども達と関わっている立場です。
参加された親御さんと同じように、どう子ども達に声をかけるか悩んだりします。
「あ、言いすぎたな」と思った日の帰り道は一人で反省会もします。
ノッてきた!と思う日もあれば、全然聞いてくれへんやんと思う日もあります。
まるでジグソーパズルをする時のように、子どもにハマる話題をふったり質問をしたりしています。
理想を言えば、常に子ども達にばっちりハマる言葉を掛けたい。
子どもの心が楽になって、前向きになれる言葉があるなら今すぐにでも親御さんに伝えたい。
ですが、きっとこのジグソーパズルからは逃げられない。
試して、失敗して、また試す。
この繰り返ししかないとも思っています。
このことについて、哲学家の内田樹さんはブログでこのように言っています。
私たちはごく自然に自分は言葉を使って「言いたいことを表現する」という言い方をします。でも、ほんとうにそうなのでしょうか。現に、言いたいことはなかなかうまく言えません。たいていの場合、私たちはつい出来合いの言葉を使って近似的な表現に甘んじたり、言いたいことに言葉が届かなかったりします。つまり、私たちの言語運用はつねに「言い過ぎる」か「言い足りない」かどちらかなのです。
「言い過ぎた」と「言い足りなかった」というふうに「過不足」を語れるということは、「言葉と思いがぴたりと合った理想的な状態」を私たちがどこかで想定しているからです。でも、そのような状態を私たちはたぶん生まれてから一度も経験したことがないし、これからもたぶん経験することがないでしょう。
「お腹が空いたね」というような、これ以上はないほどシンプルな表現でさえ、そう告げた相手が例えば「え?もう腹減ったのかよ?だからデブになるんだよ」というふうに応じた場合には、こちらの空腹感はたぶん一瞬のうちに消え失せてしまっているでしょう。口にした一秒後に「思い」と一致しなくなる言葉はたぶん「ほんとうに言いたいこと」ではありません。
言葉と思いが一致した理想的な状態なんて私たちは誰も経験したことがありません。でも、それを求めて止みません。それは「思いと言葉が一致したので、すごく気分がよかった」ということが原体験にあるからではなくて、「思いと言葉があとちょっとで一致しそうなところまで行ったのだけれど、あとちょっとでずれた」という「あとちょっと経験」(ラカンの用語を使っていえば、「原初的不調和」)が原体験にあるからではないでしょうか。私はそんなふうに思います。
そこで私の仮説です。
びっくりされるかも知れませんが、「あとちょっとで言葉が届きそうになった『私がほんとうに言いたいこと』」というのはほんとうは存在しないんじゃないでしょうか。
つまり、「的をそらした」という感覚だけが存在して、「的」なんかほんとうはない、と。そしてクリエイティヴな、あるいはイノヴェーティヴな言語というものは、極論するとこの「的をそらした」という感覚にどこまで執拗にこだわり続けることができるか、その持久力によってもたらされるのではないでしょうか。
(内田樹の研究室:「クリエイティブライティングの告知」より引用)
執拗にこだわり続ける持久力が切れそうになるときもあります。
もう疲れたなぁと思ったり、誰か子ども預かってくれへんかなぁとボヤきたくなる時もあります。
そんなときは、どうぞ「不登校のおはなし会in滋賀」に来てください。
参加された方いわく、「前向きになれる会」だそうですので。
参加者の感想(抜粋)
◎ 同じような状況の方がいて、考え方や接し方や言葉がけのヒントがありました。参加して良かったです。息子を受け入れる幅が広がったという感じです。
◎ 見守っている方の中に、「見守るだけでいいの?」と同じように悩まれている方がいてホッとしました。元不登校の方に会えるのは嬉しかった。元不登校の人を知ってても、その話にふれていはいけないようなきになるので。
◎ 子どものやりたい事をできる限りやらせてあげる=甘やかすだと心苦しかった経験談を聞いてこれからも続けようと思った。みなさんの自己紹介が先に聞けて良かった。
◎ 今回参加して分かった事であるが、学校へ行って欲しい気持ちは持っているが、それ以上に自己肯定感の高め方や自己決定をどういう風にサポートしていってあげたら良いのかと思った。
次回のお知らせ
次回は11月11日(土)に開催します!
不登校のおはなし会in滋賀
◎テーマ:フリースクールの1日 そこから見える子どもの成長
◎日時:11月11日(土) 14:00 – 16:30
◎定員:10名
◎対象:不登校のお子さんがいる保護者さん
◎参加費:1,000円
◎場所:コワーキングスペースMaaghouse (JR瀬田駅最寄り)
滋賀県大津市大萱一丁目9-7 ワイエムビル202