中高生が欲しているのは、「最後まで話しを聞いてくれる塾」だと思う。

それは、東京で研修を受けていたときのことだった。

僕は、どうにも仕事で行き詰まり、なんとか打開策を見つけたいと思い、二泊三日の研修に参加していた。

NPOを立ち上げたものの、なかなか結果が出ない日々。

起業したときに持っていたモチベーションは陰りを見て、なんだか体の中から“やる気”というものが消えそうになっていた。

参加する前は、なんとか、事業がうまくいくようなアイデアや戦略を学べたらいいなと思っていた。

まさか、自分の根本的な課題に気がつくキッカケになるとは思ってもいなかった。

そのワークは、二泊三日の初日におこなわれた。

自分の思い込みをはずし、立ちはだかっている壁に対処するワーク。

「では、最近うまくいっていないことを考えてください」と、講師のかたが言う。

僕は、今の自分の状況を思い出し、考えていく。

特にうまくいっていないのは、教室の集客だった。

ホームページをリニューアルし、ブログも書いていた。
ビラも作り、一軒一軒とポストに投函。
マーケティングの勉強もして、講座を受けることもした。

でも、生徒は一向に増えなかった。

しばらくすると、講師の人は次の質問を言う。

「その課題を引き起こしているのは、自分にどんな思い込みがあるからでしょうか?」

思い込み?

どうやら講師の人が言うには、自分の思い込みが問題を引き起こしており、それを取り除くことで、ブレイクスルーができるのだと言う。

思い込みってなんだろう?
なにを思い込んでいる?

上手くいっていない状況を見つめ、じっくり考えてみる。

すると、ある法則が見つかった。

僕は、「ガンバって努力する」けれど、うまくいかないと、「イヤになってしまう」のだ。

そして、モチベーションが下がる。

しかし、「これじゃダメだ!」と思い、また「ガンバって努力する」。
でも、結果が出なくて、また“イヤになってしまう”。

どうして、イヤになってしまうのだろう?

失敗しても、うまくいかなくても、またガンバればいい。
違う方法を試してみればいい。

どんどんチャレンジすればいいのに……。

頭では分かっているのに、僕は明らかに、うまくいかないとモチベーションが下がっていた。

どんな思い込みがあるのだろうか?

しばらく考え込み、「あっ!」と閃いた。
「そういうことか……」

そのように考えると、全ての辻褄(つじつま)が合う。

どうやら、僕は諦めていたのだ。

「どうせうまくいかない」「どうせ誰も分かってくれない」と、心の奥で思っていたのだ。

だから、うまくいかないと「やっぱり、うまく行かないんだ」と思い、落ち込んでしまう。

頭では「努力は報われる」と思っていたのに、心ではそんなことを一切信じていなかった。

誰も自分がやっていることなんて理解してくれないし、きっとうまくいくわけない、と思い込んでいた。

僕は、どうせ誰も分かってくれないんだ、と諦めていたのだ。

自分の思い込みに気がついたとき、思わず笑ってしまった。

「まだ、俺はここに留まっているのか……」と、呆れた。

僕は、小さい頃から大人への不信感が強かった。

どうしてかは、分からない。
きっと、自分のことを理解してもらえる機会が少なかったからだろう。

中学生になると、不信感はいよいよ強くなっていた。

信じられる人はいなくて、どんどん孤立していくようになる。

「分かってくれない」と思い、いつの頃からか人に頼ることをやめてしまった。

先生にも友達にも、親にも。
 

誰にも相談することなく、悩みは一人で抱えていた。

あるとき、「プロ野球選手になりたい」と言うと、親や先生、友人からバカにされた。

「そんなの無理だよ」「自分が見えていない」「中学生にもなってなにを言っているんだ」

夢を語っただけで、これほど言われるのかと愕然としたことを、今でも覚えている。

誰も僕の話しを聞いてくれなかった。

そして、悟った。

「誰も自分のことなんて理解してくれないんだ」と。

そこからは、一切相談することも、悩みも話すことをやめた。

「どうせ、わかってくれないんだ……」

分かって欲しいという気持ちを押し隠し、ただ一人で耐えていた。

ある日、部活のコーチとトレーニング方針で揉めることがあった。

コーチは、僕の意見など一切聞くことなく、一方的に指示を出してくる。

最後は、つかみ合いのケンカをするまでになった。

「分かって欲しい」「どうして分かってくれないんだ」という僕の中での憤りは、沸点まで到達していた。

素直に、「分かって!」とヘルプを出せば良かったなと、今になって思う。

けれど、思春期でカッコつけたい僕は、それが出来なかった。

「どうして、分かってくれないの? 言わなくても気づいてよ!」と、僕はどこか被害者のように思っていた。

誰も分かってくれないから、拗ねて、一人で殻に閉じこもっていった。

初めは薄かった殻は、どんどん厚くなり、どんどん誰にも心を見せないようになった。

そうして、中学3年生のときには、学校で誰とも話しをしないようになった。

僕は諦めたのだ。

誰も自分のことを分かってくれないなら、もうコミュニケーションをする必要はない、と。
 

一人になりたかった。

「分かって欲しいな」と思いながらも、「どうして分かってくれないんだ」と悲しむくらいなら、期待なんてしないほうがラクだった。

誰とも関わらないのが、僕にとって唯一残された選択肢だった。

だから、高校生になってからも、僕はほとんど誰かに相談をするといったことをしたことがない。

学校へ行かない日々が続き、担任の先生に「どうした? なにかあるなら先生に言ってみろ」と言われても、僕は「いや、なにもないです」と、シャッターを一方的に閉めた。

関わって欲しくなかった。

ふられ続けて恋愛するのが怖くなった人みたいに、僕は人と関わるのが怖くなっていた。気がつかないうちに。

でも、まさか「どうせ誰も分かってくれないんだ」という気持ちが、未だに自分の足を引っ張っているとは思わなかった。

思い返すと、思い当たる節はあった。

僕は、自分のことを理解してくれない人と出会うと、「もういいや」と思うところがあった。

「なんとか理解してもらおう」とは、思えなかった。

それは、思春期の頃、大人に自分の気持ちを分かってもらえなかったことが原因だったのだろう。

僕は、無意識のうちに、そのときの“思い込み”をずっと引きずって生きていたのだ。

ずっと孤独で、生きづらさを感じて過ごしていた。

その原因は、「誰も分かってくれない」という諦めだった。

「どうして、こんなにガンバっているのに、誰も理解してくれないんだろう……」と思い、僕はずっと寂しさを感じていた。

大人になり、その寂しさを押し殺して生きていた。

自分が傷つくのを避けるように。

ワークに取り組むことで、僕は、ずっと心にはめていた枷(かせ)を見つけ、気持ちがラクになった。

講師の人は言う。

「思い込みが見つかれば、それを書き換えていきましょう。その思い込みは、あなた自身が生きて行く上でとても大切だった成功体験です。悪いものではありません。でも、これから生きていく上では、それが邪魔をするかも知れません。もしそうのなのであれば、書き換えていけばいいのです」

そう。
中学生のとき、「誰も分かってくれない」と思い込むことは、僕にとってはすごく大切だった。

きっとそのように割り切らないと、心が潰れていただろう。

でも、大人になった今では、「理解されない」と嘆くだけではいけない。

その思い込みが、大きな壁になってしまっている。

自分に立ちはだかっている壁を取り除くため、関西へ帰ってきてから、僕は少しずつ自分の思い込みをハズしていった。

すると、不思議なもので、教室の生徒もだんだん増えるようになった。

「あなたが変われば、子どもたちはもっとあなたを頼るようになるわ」

研修で、講師の先生に言われたように、少しずつ子どもたちに頼られることが増えていった。

子どもたちは、どんどん成長した。

不登校だった子は、学校へ行けるようになり、一人旅へ行く子もいた。

引きこもっていた子が、今では受験勉強をガンバっている。

順調。
そう思っていた。

でも、違った。

ある日の授業でのこと。
元気に学校へ通うようになった高校生に向けて、進路の授業をした。

やりたいことを考えて、「こんなことがしたい」という意欲も見えた。

「うまくいった」と、手応えを感じていた。

でも、勘違いだった。

具体的な行動の計画を立てたにも関わらず、数週間がたっても、いっこうに行動にうつす気配が見られなかった。

なぜだろう……?

疑問に思って、生徒の一人に聞いてみた。

「プログラマーに興味あるって言うてたやん。なんで、プログラミングの勉強でけへんの?」

すると、高校生の彼は
「いや、やっぱり無理やと思うねん。俺、学校の勉強もでけへんから、プログラミングの勉強なんて無理やわ」

そうか……。

内心、やっぱりかと思っていた。

今まで、学校の勉強を避けて、自信を身につけられるように手を変え品を変えてワークをしていた。

実際に、子どもたちは自信をつけ、行動できるようになっていた。

でも、やはり“勉強”から逃れることは出来なかった。

学校の勉強が出来ないことで、「自分は勉強ができない」と、子どもたちは思っている。

運動の苦手意識を持っている子が、どんなスポーツもやりたくないように、勉強が苦手な子は、“学ぶ”ということがイヤになっている。

結果、「俺、勉強とか全然できひんし、資格とか技術が必要なことも無理やと思うねん。やから、就職なんかできひんと思う」と、言うことになるのだ。

やっぱり、勉強が必要だな……と、思った。

勉強ができないことで、子どもの可能性が閉じてしまうのであれば、僕たちはなんとかしなくてはならない。

僕たちがやりたいのは、“なりたい自分に向かって思いきり取り組める社会を創ること”だ。

勉強ができないことで、将来やりたいことに取り組めないのであれば、僕たちとしては大問題だ。

今まで、ずっと“塾”というものをしたくないと思っていた。

運営している教室のTRY部も、“塾”と言っているものの、「学力を高める」とは言ったことがない。

世の中にこれだけたくさんの“塾”がある中で、僕たちがわざわざやる必要はないとずっと思っていた。

けれど……。

ある女子高生の話を聞いて、「これは、僕たちがやらないといけない」と思った。

彼女は、「私、めっちゃアホやねん」と言うように、勉強が得意ではなかった。

高校3年生で、進路選択が目前に迫っていた。

「出来れば、大学へ行ってみたいんですよね……」

彼女は、恥じらいながら僕に話してくれた。

「いや、全然なんですよ。勉強も全くできないし。でも、やっぱり行ってみたいんです。それで、親にお願いして、塾へ通わせてもらうことになったんです」

僕は、相談があるんですと言われ、カフェで彼女の話を聞いていた。

「でも、やっぱり友達と比べて勉強、全然できないんですよ。わからない問題も多いし。だから、やっぱり大学行くの諦めようかなって思うんですよ。勉強のやる気もなかないか出ないし……」

「そうなんかぁ。塾の先生には、相談してみた?」

「いや……」と言って彼女は、少し暗い表情になった。

「いや、無理ですよ。そんなの。自信がない、勉強できないって言えば、じゃあ受験辞めたら? って言われると思うんですよ。親も、そこまで大学へ行くことを望んでいるわけでもないし……」

僕は、とても大きな勘違いをしていた。

塾は、勉強は教えてくれる。
受験対策もしてくれるだろう。

でも、子どもの気持ちに寄り添い、最後まで話しを聞いてくれるところはほとんどないのだ。

少なくとも、悩んでいた彼女は塾の先生に「話そう」という気にはならなかった。

塾は、あくまで成績を伸ばすところだ。

上手に勉強を教えてくれたとしても、親身になって寄り添ってくれるところはほとんどない。

「子どもの味方になって、話しを最後まで聞いてくれるような塾が必要だ」と思った。

そういえば、僕のときもそうだった。
誰も僕の話しを聞いてくれなかった。

行きたい高校を話したとき、親も先生も塾の講師も反対した。

何度ほど「現実を見ろ!」と言われたか分からない。

夢みたいだったかも知れない。
どれだけ、努力しても無理だったかも知れない。

でも、聞いて欲しかった。
せめて、受け止めて欲しかった。

「そうか。キミは、あそこの高校へ行きたいんだね」と。

アホを見るような目で、笑いながら「いや、無理やって」と言われた。

悲しかった。
悔しかった。
寂しかった。

誰も味方は、いなかった。
たった一人で、不安や孤独を抱えていた。
ずっと、「聞いて欲しい!」と思っていた。

だから、孤独を感じ、理解してくれる大人を欲している子どもたちの気持ちが、僕にはよく分かる。

勉強をしなくていいと思っている子なんていない。

みんな「勉強ができるようになりたい」と思っている。

でも、できないと、だんだん自信がなくなってくる。

分からない自分が惨めで、すごく劣っている気になる。

そして、いつの間にか「どうせ、無理やし……」と諦める。

僕は、勉強が出来なくて、将来を諦めている子に手を差し伸べたい。

塾へ行っても、ホンネを言えない。
勉強ができない不安を誰にも話せない。
「もっと、私の話を聞いてよっ!」と、思っている。

そんな子たちに寄り添い、味方になってあげたい。
 
 

学校へ行けない子、家から出られない子。

「うちの子、まったくやる気がないんです」と保護者に言われていた子が、劇的に変わる瞬間を何度も見てきた。

だから、今まで僕たちがやってきたことは、きっと「勉強」というフィールドでも出来ると信じている。

僕は、思春期のとき、ずっと「分かって欲しい」と思っていた。寂しかった。

そのときの経験は、このときのためだったのかも知れない。

僕が「欲しい」と思っていた大人がいる塾を作り、子どもたちが勉強できるように後押しをしたい。

ついに、きた。
いよいよだ。

僕たちは、塾へ打って出る。
 
 

 

秋の体験モニター募集

D.Liveでは、今までおこなっていたTRY部のカリキュラムをリニューアルし、勉強を教えず、学力を伸ばす塾を始めます。

子どもに寄り添い、悩みや不安、どんなことでもじっくり耳を傾けます。

「自分なんてどうせ……」
「俺、あほやし……」
「塾なんて行きたくない……」

そんな子にこそ来てほしい教室です。

開講に先立ち、限定6名で授業を体験してくれる生徒さんを募集します。

参加希望のかたは、10/27(金)、10/30(月)のどちらか可能な日に
「無料説明会&体験会」へ、親子でお越しください。

【無料説明会&体験会】
10/27(金)
どうして僕たちは勉強が嫌いになったのか。
ぶっちゃけ座談会

10/30(月)
学校で言えない事もココでは話せる!苦手な友だちや先生との関わり方

【体験モニター授業】

11/6(月)
①一緒に考えるから安心!
自分にあった目標と1日のスケジュールの立て方

11/10(金)
②こんなやり方アリ!?
学校じゃ教えてくれない誰でもできる勉強法

11/13(月)
③テスト直前!自分のスケジュールを見直そう!

11/17(金)
④どうして成績を伸ばしたいの?
もう一度自分の理由を確認してモチベーションを高めよう

11/20(月)
⑤自分の力で2時間の学習スケジュールを立てて勉強しよう!

11/24(金)
⑥総まとめ!自分で勉強できる方法をテスト期間の過ごし方から見つける

※ 授業内容は、変更する場合があります。

【時間】19:30 – 21:30

【場所】草津まちづくりセンター

【対象】中学1年生〜高校3年生

【料金】5,000円(11/6 – 11/24までの6コマ)

【お申込み】下記のフォームにご記入ください。

内容や体験モニターに関するお問い合せは、info@dlive.jpまでご連絡ください。

 

 

〈秋の体験モニター応募フォーム〉

    保護者のかたのお名前 (必須)

    お子さんのお名前 (必須)

    お子さんの学校名 (必須)

    お子さんの学年 (必須)

    携帯電話番号 (必須)

    メールアドレス (必須)

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    希望する体験日(必須)10月27日(金)10月30日(月)

    困っていることやTRY部に期待すること (必須)

    ご質問などございましたら、こちらへご記入ください。

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    この記事を書いた人

    1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

    中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
    しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
    野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
    浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
    友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
    フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
    京都新聞にして子育てコラムを連載中。
    詳しいプロフィールはコチラから

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