古代ローマの人々が敗戦将軍を赦した理由―世界史から「不登校支援」を学ぼう
僕が不登校のころ、何か失敗したときにすごく落ち込むことがよくありました。
例えば、明日は朝からフリースクールに行くぞ、と決めていたのに、目が覚めたらとっくに昼を過ぎていたとか。これは本当にしょっちゅう失敗していました。フリースクールでの僕の誕生日会を寝坊してすっぽかしたことすらあります。そのときは、数週間申し訳ない気持ちが消えませんでした。
そのたびに、朝起きられない自分を激しく責めました。毎日毎日、何もできない自分に絶望していました。
失敗することを恐れて、何か行動を起こせない人たちは、不登校に限らず最近よく耳にします。
今日はこのことを「世界史」から考えてみましょう。
今からおよそ2000年前のこと。
地中海のあたりに、ギリシアとローマ、2つの都市国家が存在していました。とくにローマは、その後ローマ帝国として世界史でも類を見ない1000年以上に渡って繁栄を見せた国家でもあります。
この時代は「ポエニ戦争」など、地中海を囲む国々同士で頻繁に戦争が起こっていた時期。そんな中でギリシアもローマも当然ながら敗戦することもあったのですが、この2つの国家は負けた将軍に対しての対応に雲泥の差がありました。
ギリシアの負けた将軍は、なんとか生き延びて命からがら逃げ帰っても、そこで待っているのは良くて追放処分。要するに二度とギリシアの土を踏むことが許されませんでした。もしもギリシアの土を踏んだとしても、処刑される運命が待ち構えていました。
それに対して、ローマでは処刑も追放もなく、むしろ負けたにも関わらず温かく迎えてもらえることすらあったようです。
つまり、「戦争での敗戦」ということに対して、ギリシアでは人命をも伴う重い処分を課さなければならないほどたいへん不名誉なことであるという認識なのが、ローマでは「立派に戦って負けたのなら、こうしてボロボロになってでも帰還したことですでに十分に罰せられている」と考えたわけです。
そうして、ローマの人々は、前の戦争で味わった屈辱をバネに「次の戦争こそは勝つぞ」と努力する将軍へ大きな期待を寄せました。その結果、後のローマ帝国を支えた将軍には戦争での敗戦経験を持つ人物も多く、この温かさが古代ローマの繁栄をもたらしたという考え方もされています。
戦争での敗戦が不名誉という考え方だったギリシアの将軍は、それこそ死ぬまで戦い続けるか、万が一負けて生き延びてもギリシアではなく他国へ逃げなければ処刑という運命が待っています。言い換えれば、ギリシアは失敗しても次取り返せる環境ではない、まさしく1度の失敗が命取りというわけです。
これは、子育てや不登校支援には、まるで向いていないやり方だと言えます。
なにせ、失敗が許されないのです。逆に言えば120%成功(勝利)を求められているわけです。子育てや子どもへの支援は、失敗して学ぶことのほうが多いのにそれが許されないどころか命取りになってしまう。そんな余裕なかったと思いますが、ギリシアの将軍のプレッシャーは半端なかっただろうと想像できます。
一方で、たとえ失敗(敗戦)したとしても、その屈辱をバネに次の勝利へ向けてリベンジに燃える姿にローマの人々は期待を膨らませていたわけです。この「期待」というのがどの程度を示すのかは不明ですが、文献を読む限りでは「努力を見守る」という意味での「期待」というふうに(僕は)捉えました。
ローマの人々は、上述した理由でたとえ戦争で負けて帰ってきたとしても責めることはなかったと言います。それは、はるか昔から「全力で立ち向かった結果だったら、失敗しても大丈夫!」「次取り返せばいいさ!」と、ある程度は失敗を許容するという考えが浸透していた証です。
学校が嫌で嫌でしょうがないのに、毎朝強引に起こされて渋々学校へ行く。でもつまらない。しんどい。帰りたい。ようやくボロボロの状態で帰ってきて学校が嫌なことを告白すると、怠けてるとか逆に叱られる。ギリシアの考え方を不登校や学校がしんどい子に当てはめると、こんな感じになるでしょうか。
または、無理やり学校を休んだとしても、たとえば朝起きることができなかったことに対してねちねち叱ったりして、とにかく「学校に行かない子は悪い子」というレッテルを貼るような接し方も、ある種ギリシア式だと考えられます。
一方でローマの考え方を当てはめると、学校がしんどい子どもたちが命からがら帰宅するのを温かく受け入れるようなイメージになると思います。そして学校へ行く・行かないに限らず「自分らしく生きてほしい」という期待をかけたりメッセージを送ることも、ローマの考え方と共通するでしょう。
確かに、ギリシアでは失敗を許さなかったかもしれません。でも、2000年前、ローマの人々は、戦争に負けるという大きな失敗を犯した将軍を受け入れ、温かく期待をかけていた。繰り返し書きますが、2000年前でも、失敗を許容する文化が存在していたのです。
世界史は、子育てや不登校の大きな道標となるような事実を、時として教えてくれるものかもしれません。
(参考文献)
本村凌二(2016)『教養としての「世界史」の読み方』 PHP研究所
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